105話 タッシールが考えていたのは大神官のヌードでした。
◇タッシールの頭◇
タッシールは、
陛下、髪の毛です!
と空中で手を振りながら叫ぶと
ラティルは、すぐに髪を放し、
驚いたと言って、謝りました。
タッシールは、
ヒリヒリする頭皮を押さえました。
そして、自分の瞳を
注意深く覗き込んでいると思ったのに
急に、どうしてそんなに驚いたのかと
尋ねました。
ラティルは、タッシールの頭の中に
裸になった大神官が飛び出して、
急に筋肉を自慢したからとは
言えませんでした。
しかし、
そのまま見過ごそうとすれば、
もっと聞きたくなるので、
ラティルはタッシールに
今、何を考えていたか尋ねました。
彼は、ずっと頭を擦りながら
ラティルの顔を覗くと、
にっこり笑って、
祈っていたと答えました。
ラティルは嘘だと主張した後で
何を祈っていたのか尋ねました。
タッシールは、
無事に行って帰って来られるように
祈っていたと答えると、
ラティルはタッシールのことを
嘘つきだと言いました。
しかし、彼女は
ブツブツ言いながらも、
頭皮を擦り続ける
タッシールの手を押さえ
とても痛いのかと尋ねました。
タッシールは返事の代わりに
手のひらを広げると、
彼の髪がパラパラと落ちました。
驚いたラティルは
タッシールの頭を擦りながら
抜けたらどうしよう、
傷跡が残ったらどうしようと
口を押さえながら叫びました。
タッシールは、ラティルに、
少し息を吹いてみてと頼みました。
彼女は、フーフーと
タッシールの髪の毛に
立て続けに息を吹きかけました。
タッシールは微笑みながら
肩を震わせているので、
ラティルは、眉をひそめ
彼をそっと押すと、
後ろに下がりました。
驚いたというラティルを
タッシールは抱き締め、
どうして、
自分の髪をかきむしったのかと
尋ねました。
ラティルは
自分の過ちを認めながらも
どうして、タッシールが
心の中で恥ずかしいことを
想像しているのか。
だから驚いたと
心の中でブツブツ言いました。
タッシールは、そんなラティルを
笑いながら見ていましたが、
懐中時計を取り出して
時間を見ると、
しまった。
とため息をつき、
これ以上遅れたら、
カルレインに
大目玉を食らうので、
そろそろ行くと言いました。
タッシールは
カルレインが怖いみたいだと
ラティルが指摘すると、
彼はラティルにだけ穏やかに振舞い
他の人には無慈悲だと言いました。
それにしては、
他の側室たちと
よく交わっていたのではないかと
不思議に思いましたが、
ラティルは、早く行くようにと
彼の背中を軽く叩きました。
しかし、
タッシールが馬に乗るや否や、
もし他の人の心を読めるとしたら、
誰の心を読みたいかと
質問しました。
タッシールは手綱を握りながら、
どうして、
そんなことを聞くのかという目で
ラティルを見ました。
彼女は、
どうしてこんな質問をしたのか
わからないと
心の中で自責していると
タッシールは、すぐに、
おとなしくて静かな人だと
答えました。
それはゲスターかと
ラティルは尋ねました。
タッシールは「はい」と
返事をしました。
ラティルは、なぜゲスターなのか。
あまりにも無難ではないかと
言いました。
ラティルは、いつも物静かで
小心のゲスターのことを
思い出しました。
あの子は、心の中でも
いつもブルブル震えているような
気がしましたが、
タッシールは妙な表情で、
そういうこともあり得ると
低い声で呟きました。
その微妙な言葉に
ラティルは、違うのかと
疑いを抱きました。
もしかして、ゲスターは
自分といる時と
側室たちといる時の言動が違うのか。
しかし、時々、
ハーレムの出来事について
報告を受ける時、
そんな話はありませんでした。
ラティルが首を傾げていると
タッシールは肩をすくめ、
馬の首を撫でながら笑い、
そうすれば、それなりに
良いのではないでしょうか。
外見も心も優しい人は、
そばにいるだけでもいいですから。
と助言しました。
ラティルは、それはそうだと
返事をしました。
◇均等によくする◇
タッシールを見送った後、
ラティルは
執務室へ戻るつもりでしたが、
タッシールの話を聞いて、
ゲスターの本音を
聞いてみたくなり、
彼の部屋へ向かいました。
いつも静かに本を読んでいたり
まともに話もできない、
気の小さい性格だけれど
偽皇帝事件の時は、
偽者によく付きまとっていました。
ケガをした鳥についても
すでに釈明していましたが、
彼の本音を聞きたいと思いました。
けれども、先ほどのように、
タッシール以外の人の本音が
聞こえるかどうか不安でした。
ところが、通りかかった騎士が
挨拶をした時、
(陛下はお顔に弱いんだって。
私も、ハンサムだと言われるけれど
もしも陛下が
私を気に入ったと言ったら・・・)
と本音が聞こえてきました。
ラティルは恥ずかしさで
顔を真っ赤にして、
真顔になりました。
すると騎士は、
表情は淡々としているのに、
心の中で
(陛下が私を見て顔を赤くした!)
と歓声を上げました。
ラティルは、騎士の顔を見るのが
恥ずかしくなり、
聞いてはいけないことを
聞いた気分になりました。
ラティルは先を歩いて行くと、
後から、
(次は顔がよく見えるように
帽子をかぶらないでおこう)
と心の声が聞こえてきました。
彼女は、片手で顔を隠したまま
逃げるようにハーレムの中へ入り
ゲスターを探しました。
名前も知らない変なパンを
運んでいたトゥーリは、
ラティルを見ると、
陛下と呼びました。
心の中では
(ついに陛下がお越しになった!)
と、泣くように叫んでいました。
ラティルが
ゲスターの居場所を尋ねると
トゥーリは心の中で
奇声に近い歓声を上げました。
あまりにも騒々しいので、
ラティルは
少し眉間にしわを寄せましたが
気まずい思いをしました。
自分をずっと待っていたようだ。
ゲスターだけではないだろうと
ラティルは考えました。
彼女がハーレムを作った時、
ヒュアツィンテに対する怒りと
大臣たちへの意地が強かったし、
側室たちも、計算ずくで
ハーレムに志願したので、
ラティルは彼らと
取り引きをしたものと
考えていました。
しかし、
このように喜びまくっている
トゥーリを見ていると、
ラティルは、彼らとの関係で
自分が決定的な役割を
果たしていることを感じました。
彼女は、側室たちに、
均等によくしてあげなければと
思いました。
その時、
力強く扉が開いたのとは裏腹に
ゲスターがおずおずと出て来ました。
彼はラティルと目が合うと、
彼女の顔色を窺うように
見つめました。
その目が、
何となく悲しそうに見えたので、
ラティルは、この前のことを
知らないふりをして笑いながら
ゲスターの背中を包み込み、
急にあなたに会いたくなりました。
入りましょう。
食事は済ませましたか?
と尋ねました。
◇ゲスターの心の声◇
時間があまりないという
ラティルの命令で、
パンとスープとサラダだけの
簡単な食事が用意されました。
ラティルはスープの香りを嗅ぎながら
ゲスターをじっと見つめました。
食事を準備する間、
ゲスターはきちんと話ができず、
下ばかり向いていましたが、
下男たちが外へ出ると、
ラティルの顔色を窺いながら
スプーンを握ったり離したりを
繰り返しました。
けれども、彼の心の声が
聞こえて来ないので、
ラティルは
効果が消えてしまったのかと
首を傾げました。
それならば、先ほどは、
なぜ、会う人ごとに
本音を聞くことができたのか、
ラティルは不思議に思いながら
スプーンでスープをかき混ぜました。
ゲスターは、まだ、
ラティルの顔色を窺っていました。
ラティルは、
ゲスターの本音を
聞けると思っていたので
残念な気持ちになりました。
必ずしも、聞きたくて
来たわけではないけれど、
実際に聞けないとなると
やたらと切なくなり、
スプーンを下して、
フォークを握ろうとしました。
ところが、スプーンとフォークを
交換しようとした時、
テーブルの上でフォークが滑り
ゲスターの前に行ってしまいました。
ラティルは恥ずかしそうに笑いながら
手を伸ばしました。
ゲスターはラティルに
平然とフォークを手渡しました。
彼の指と彼女の指がかすめた瞬間、
(指が可愛い。)
と低い声が聞こえて来たので、
ラティルは驚いて
フォークを引っこ抜きました。
ラティルは目を丸くして
ゲスターを見つめながら、
瞬きしました。
今、いつもよりずっと
低い声が通り過ぎたのは
勘違いだろうか。
通り過ぎた人が雀の足でも見て、
そう思ったのではないかと
途方もないことを考えながら、
勘違いだと言い訳しました。
目の前のゲスターは
白うさぎのように
すべすべして可愛いので、
ゲスターの心の声にしては、
低い感じがしました。
ゲスターは、どうしたのか。
ラティルの顔色が悪いと
心配しました。
ラティルが返事をしようとすると
(眼球まで可愛いね。)
と、再びあの声が聞こえてきました。
しかも、瞳ではなく目玉と言うなんて。
ラティルは、悲鳴を上げながら
椅子ごと後ろへ倒れました。
身体が傾いても考えていたのは
なぜ自分のおとなしいウサギの中に
お告げタヌキが
入っているのかということだけでした。
ゲスターは驚いて飛び上がると
すぐにラティルに近づきました。
彼女は天井を
ぼんやりと見つめながら
目をぱちくりさせました。
先ほど聞いた心の声は
とても聞きやすかったし、
どこか少しエッチな感じがしました。
しかし、問題なのはゲスターでした。
彼を前にして腹黒いことを考えると
罪悪感を覚える程、
純真で清楚な外観なのに、
その顔で低い声を出すなんてと
思いつつも、
ゲスターを呼んで、
返事をした彼の声を
よく聞いてみたところ、
普段から低い声だ、
消入りそうな声だから
気付かなかっただけだと
ゲスターの声は
とても低いことに気がつきました。
ゲスターに手を取ってもらい
椅子から立ち上がったラティルは
思いがけず彼の声を知ることになり、
新たな気持ちで、彼をじっと見ました。
ゲスターはその視線だけでも
耐えがたいほど恥ずかしそうに、
頭を垂れました。
その瞬間、ゲスターが思い浮かべた
ラティルを美化した姿が、
彼女の目の前にも広がりました。
先ほど、
椅子に座ったまま後ろに倒れ、
横たわったのか、座っているのか
曖昧な状態の時の姿。
カーペットのある場所には
花が咲き乱れ、
ラティルの周りには
キラキラと光が漂っていました。
あのキラキラと花は何?
いつ、あんなものがあったの?
その中で、ラティルは
星のように笑っていて、
彼女が見ても、本当にきれいでした。
ゲスターの目には、
自分があんな風に映っているのかと
当惑するのも束の間、
幻想の中のラティルが、
天使のように片手を伸ばし、
ラティル、失敗しました。
と、ゆっくり口を開きました。
ラティルは鳥肌が立ち、
うわぁ~
止めて、止めて、それは止めて!
と叫んで、
空中で手をかき回しました。
ゲスターは目を丸くして
ラティルを見ている途中で
急に笑い出しました。
その瞬間、ゲスターの頭の中から
別のイメージが伝わってきました。
それは、幼いラティルの姿でした。
2段の小さな階段の上に立つラティル。
その下では、
トゥーラがうつ伏せになって泣いていて
ラティルは笑いながら
ラティル、失敗した。
と謝りました。
忘れかけていた過去の場面に
ラティルは眉を顰めました。
幼い頃もラティルは
完璧な発音を駆使していましたが、
トゥーラと喧嘩をした時は、
わざと舌足らずな発音をして、
自分は子供だから何も分からないと
アピールしていました。
この時の自分を見ていたゲスターは
これを思い出して、
幼い時の記憶と現在の姿を合わせて
思い浮かべたのかと思いました。
現在と過去を合わせて見るのなら、
心の中で考えても
真実ではないかもしれないと
ラティルは考えましたが、
おかしなことに気づきました。
あの時、ゲスターはいただろうかと。
マンガや原作のイラスト、
文章から読み取れる
ゲスターの外観から
私も彼の声が低いというイメージは
ありませんでしたが、
ラティルが驚きのあまり
椅子ごとひっくり返り
お告げタヌキと言うほどなので、
彼の声は低くて太くて
迫力があるのでしょうね。
声は、持って生まれたものなので
仕方がないとしても、
使用人に対するゲスターの行動や
彼の考えていることから、
気持ち悪さと薄気味悪さを
感じてきました。
タッシールは、
即位祝賀パーティの準備の時に
ゲスターの腹黒さと
本当は筋力もあることに
気付いたので、
彼には何かあると思い
ゲスターの心の中を読みたいと
ラティルに話したのかもしれません。
彼女がその助言に従ったのは
賢明だと思います。
ラティルは、
レアンが絶対に裏切ることはないと
堅く信じていましたし、
彼女が見ているゲスターの姿から
彼は、おとなしくて優しいという
イメージを抱いています。
彼女は思い込みが激しいと思うので
それを知りつつ、
適切な助言をする人が
彼女には必要だと思います。