57話 大神官はヒュアツィンテをどこへ連れて行ったのでしょうか。
◇見当がつかない◇
ヒュアツィンテの頭がおかしいのか、
大神官の頭がおかしいのか。
どうしてまた、
大神官はヒュアツィンテを
連れて行ったのか?
腸が煮えくり返ったラティルは
早足でハーレムへ向かいました。
連れて行ったのかクラインなら、
久しぶりの兄弟同士の再会。
他の側室が連れて行ったなら、
大体何が起こるか見当がつく。
けれども、大神官となると
2人で何をしているか
見当がつきませんでした。
ハーレムの中に入ると
ちょうど出くわしたゲスターが
笑いながら近づいてきましたが、
「後で話す」という言葉を残して、
その場を急いで通り過ぎました。
ゲスターは後ろから
ラティルを呼びましたが、
彼女はヒュアツィンテと大神官が
何をしているのかが気になり、
ゲスターを気にする余裕が
ありませんでした。
ゲスターのぼんやりした表情を見た
トゥーリは
陛下は忙しそうだから
あまり気にしないようにと
心配そうに慰めましたが、
ゲスターの顔は晴れませんでした。
どうしよう。
トゥーリは恥ずかしくなり、
ゲスターの顔が見られず、
下を向きましたが、
それは幸いなことでした。
もし、今、彼が
ゲスターの顔を見たら、
彼の冷たい瞳に
驚くことになったので。
ゲスターは手で目尻を上げながら、
ラティルがあんなに慌てて
誰を訪ねるつもりなのか、
後を付けて確認するように
トゥーリに頼みました。
ゲスターが泣いていると思った
トゥーリは、
慌ててラティルが行った方へ
走って行きました。
1人になったゲスターは
手を下し、深呼吸をしました。
誰の所へ行ったとしても
その人は、必ず私の手で
取り除きます、陛下。
他の男に渡すために
救った命ではございません。
◇怒りのキス◇
ゲスターが嫉妬心のせいで、
何を考えているかわからないまま、
ラティルは大神官の部屋へ
真っ直ぐ向かいました。
早くヒュアツィンテを見つけて
カリセンまで放り投げること以外、
何も頭に浮かびませんでした。
もし、大神官の部屋にいなかったら
どうしようと思いましたが、
それでも、ヒュアツィンテが
最後に一緒にいたのが
大神官だったので、
彼を訪ねるしかありませんでした。
幸いなことに、
ヒュアツィンテは
大神官と一緒にいて、
仲良く並んで運動をしていました。
ずっと走って来たラティルは
扉を開けた途端、目に入った
意外な光景に呆れてしまい、
何をしているのかと尋ねました。
大神官は身を起こして大笑いすると、
この友人は
カリセンから来ているのですが、
筋骨がとてもいいんですよ。
それに剣術の才能もあるので、
久しぶりに
好敵手に会ったような気がして、
あれこれ話しているうちに・・・
と話し始めましたが、
ラティルは彼の口を塞ぎました。
(気が利かなくても、
程度があるはず。
この大神官は本当に・・・)
ラティルは、
大神官の口を塞ぎながら
ヒュアツィンテを睨みつけました。
(大神官は分からないから
こうしているけれど、
あなたは、
こんなことをしていたら
ダメなんじゃないの?)
しかし、ヒュアツィンテは
すでに、ゆったりとソファーに座り
笑顔でラティルを見ていました。
(面白いでしょうね。
昔のガールフレンドの恋人が
何も知らずに
自分の前でふざけていたら、
面白くないはずがないわよね。)
ラティルの表情が険しくなったので、
ようやく大神官は
何かおかしいことに気づき、
自分の口を塞いでいるラティルの手を
両手で包み込みながら
彼女を呼びました。
そして、彼女の顔色が悪いことを
心配しました。
元々、ラティルは
大神官の部屋で
ヒュアツィンテを見つけたら、
すぐに引っ張り出して、
人通りの少ない所へ連れて行き
脛を一発蹴ってから、
いたずらをしているのかと
怒鳴りつけて、
押さえつけるつもりでした。
ところが、彼は
お前の恋人は可愛いなという顔で
笑いながら自分を見ているので、
彼女のプライドは傷つきました。
怒りと傷ついたプライドが
入り乱れて、
どれが怒りで、
どれが傷ついたプライドか
区別がつきませんでした。
元恋人、それも、
自分を捨てて行った恋人の前では、
一番完璧で、素敵な姿で
いなければならないのに。
微笑んでいる灰色の目を見た瞬間、
ラティルは怒りが爆発し、
大神官の胸倉を引き寄せました。
そして、大神官の髪を
荒々しくつかむと、
ヒュアツィンテに視線を注いだまま、
彼に怒りのキスを浴びせました。
あなたが私の側室にいたずらしても、
無視しても、騙しても、
今、私の側室はこの人で
あなたではない。
そのことを、ヒュアツィンテに
教えるためのキスでした。
もしヒュアツィンテが
本当に自分に会いたいという
気持ちだけでここに来ているのなら、
今度は彼のプライドが
傷つくと思いました。
生まれて初めてのキスに
大神官は息を切らしました。
きちんと息をする方法さえ
知らないのか
胸がドキドキしました。
生まれて初めて味わう感覚に
後ろに誰かがいることも忘れて、
ラティルを抱き締めました。
ラティルは大神官の髪を片手で梳き、
彼の頬に歯型を残して
ヒュアツィンテを睨みました。
笑っていた彼の瞳が
重く沈んでいました。
それを見て、
ラティルの怒りが
徐々に収まってきました。
ようやくラティルの目が
半月型に曲がりました。
◇初めての喜び◇
ラティルがヒュアツィンテを連れて
部屋を出た後、
貴族からの贈り物の包みを抱えて
うんうん唸りながら
部屋に入ってきた修行司祭は、
大神官の腫れた唇を見て
包みを全て落としただけでなく
尻もちをついてしまいました。
そして、唇を震わせながら
大神官の顔を指差して、
大神官様の唇が・・・
と呟きました。
部屋の真ん中に
ぽかんと突っ立っていた大神官は
自分の唇に手を持って行きました。
その姿を見た修行司祭は
今にも泣きそうになりました。
正体を隠すために、
あちこち歩き回っていた時、
身体と心が世俗に染まらないように、
努力してきたのに、
誰が、
大神官の唇をあんな風にしたのか。
修行司祭が泣きながら尋ねると、
大神官は、「陛下が」と
恥ずかしがりながら囁きました。
修行司祭は、
唇をぎゅっと結びました。
大神官は、今、
ラトラシル皇位の側室なので、
彼女が自分の恋人を訪ねてきて、
キスをしても
どうすることもできませんでした。
それに、大神官本人が
魂の抜けた顔をしていました。
そのまま見過ごすのは
何だか悲しかったので、
修行司祭は、
キスをしながら魂を奪われたのか、
どうして、そんな顔をしているのか
大神官らしくないと
声を震わせました。
いつも、
「運動!」「筋肉!」と
叫んでいた大神官が、
色情的になった唇に触れて
呆然としていることが
何か変に思われました。
けれども大神官は
何か言う代わりに静かに笑って、
ベッドに近寄ると体を丸めました。
それを見ていた修行司祭は
呆れて腹が立ち、
そんなに嬉しかったのかと
尋ねました。
大神官は彼の気持ちも知らずに、
頷くと、にっこり笑いました。
とても良かったです。
どうして、人々が
口を合わせるのか
理解できませんでしたが、
思っていたより、
もっと良かったです。
と答えました。
◇弟とは?◇
他の側室たちとは
一生、一緒にいるけれど、
危険が消えれば、
いつかは去ることになるかもしれない
大神官に、怒りのあまり
衝動的にキスしたことに
ラティルは後悔して、
廊下を足早に歩いて行きました。
もちろん、その場にいたのが
大神官以外の側室でも
キスをしたと思うけれど、
大神官にキスをしたことで、
触れてはならない聖域に
唇の跡を残してきた
背徳感がありました。
それでも、ヒュアツィンテの唇を
閉じさせたと思えば
痛快な気分になるので、
一体、人の心は
どうなっているのだろうかと
考えました。
どれほど、
そのように歩いていたのか、
夜の静寂の中
聞こえてくるのは
鳥の鳴き声と2人の足音だけだったのに
突然、ヒュアツィンテは
自分は、ラティル以外、
誰とも唇を合わせたことがないと
言いました。
早足で歩いてたラティルは
立ち止まりました。
斜め後ろから付いてきた
ヒュアツィンテも
つられて立ち止まりました。
先程のヒュアツィンテの顔は
怒りがこみ上げていたけれど
今は悲しみも
浮かび上がっていることを
ラティルは発見しました。
もしかしたら、
嫉妬も一握りくらい、
あるかもしれないと思いました。
会いたくて来たというのは
真実かどうかわかりませんが、
会いたかったという気持ちは
真実のようでした。
ラティルは、
にっこり笑いながら、
自分には側室が6人もいるので
たくさんキスをしたことがあると
傲慢に告げました。
ヒュアツィンテの瞳が揺れたので、
ラティルは、いっそう痛快になり、
笑いながら、
ショックを受けたふりをしないで。
あなただって、
たくさん側室がいるでしょ。
楽しく暮らしてね。
あなたが、そうしていても
私は戻らないから。
あなた一人で純潔を守っても
何も残らないでしょ?
あなたも結婚したじゃない。
と付け加えました。
そのように話した後で、
ラティルは、
どうして自分はこんな風に
口汚く罵ってしまったのかと
後悔しました。
ラティルは
しばらく躊躇った後、
急いで前に進みました。
どうして、ヒュアツィンテが
ここへ来たのか、
今日聞くのは間違っている。
こんな状態では、
ヒュアツィンテも自分も
落ち着いて言葉を交わすことは
できないと思いました。
しかし、
他の人のことは気にしません。
けれども、一つだけ尋ねます。
と後ろから聞こえて来た
ヒュアツィンテの
せつなそうな声が
ラティルの足を止めました。
それは、
ヒュアツィンテが留学中に
ヘウン皇子の反乱を知らされた時、
父親の訃報について
尋ねていた時の彼の声と
まさに同じでした。
ラティルは振り返ると、
数歩離れたところで
ヒュアツィンテは涙をためて
ラティルを見ていました。
そして、弟とも唇を重ねたのかと
尋ねました。
◇噂◇
木のてっぺんにぶら下がったまま
どこかをじっと見つめる
タッシールを見て、ヘイレンは、
そんなことをしていると
捕まると言って、
ため息をつきました。
そして、
何をそんなに真剣に見ているのかと
尋ねると、
タッシールは答える代わりに、
静かにするよう合図を送り、
どこかをずっと見ていました。
どのくらい、そうしていたのか
ついにタッシールは木から降りると
ため息を漏らしながら
首を振りました。
タッシールは、
とてもすごい光景を見たと
ヘイレンに告げると、
彼は、何を見たにせよ、
自分が見た物には及ばないと
返事をしました。
何を見たのかと
タッシールが尋ねると、
ヘイレンは、
木の上からぶら下がった
若頭のお尻と
歯ぎしりしながら答えたので
タッシールは
くすくす笑いながら
ヘイレンの背中を叩きました。
そして、冗談ではなく、
自分が見たものを聞いたら
本当に驚くと思うと
ヘイレンに告げました。
彼は、皇帝が
7番目の側室を迎えるのかと
尋ねると、
タッシールは、彼が見たのは
ヒュアツィンテ皇帝だと告げました。
お願いだから
体面を保ってほしいと
ぶつぶつ小言を言っていた
ヘイレンでしたが、
誰ですか?
と驚いて聞き返しました。
タッシールは、
距離が遠いので
声は聞こえなかったけれど
雰囲気が
ヒュアツィンテ皇帝だったと
答えました。
ヘイレンは、周囲を見回し
精一杯、声を押し殺して、
皇帝が非公式にやって来たのかと
尋ねました。
タッシールは、以前、
ヒュアツィンテとラティルが
付き合っていたのではないかという
推測を持ち出し、
2人は別れたと思ったけれど、
まだ、ドロドロしているみたいだと
答えました。
その言葉を聞いたヘイレンは驚き、
それは大変だと言いました。
しかし、タッシールは
2人の感情がどうであれ、
ヒュアツィンテは結婚して
皇后までいるので
すでに、終わったことだと
話しました。
ヘイレンは、再び周囲を見回すと
先程より声を潜めて、
必ずしもそうではない。
最近、カリセンで
変な噂が流れていると伝えました。
ヒュアツィンテが
離婚するという噂なら
タッシールも聞いていましたが
大したことはないと言うかのように
肩をすくめました。
離婚について
まだ何も進んでいないし、
アイニ皇后とその家門は
裏では何をしているか
分からないけれど、
これといった過ちを
犯していないからでした。
しかし、ヘイレンは
そんな古い噂ではなく、
たった今入って来たばかりの
情報だと告げました。
ヘイレンはアンジェス商団の中でも
指折りの情報通で、
特に情報を早く仕入れてきました。
黒林よりも早く
情報を手に入れることもあるので
タッシールは無視することなく
ヘイレンの言葉に耳を傾けました。
彼は、
アイニ皇后の頭が
おかしくなったという
噂があります。
幽霊が見える、
亡くなった皇子が
友達を食べたと言って
大騒ぎしている。
おそらく数日前のことです。
と告げました。
いつ寝首を搔くかもしれない
アイニは別として、
他の側室とも
ベッドを共にすることなく
ラティルだけを愛する
ヒュアツィンテ。
タッシールの気持ちは
まだ、はっきりわかりまんが、
クライン、ゲスター、カルレイン、
そしてサーナット卿も
ラティル一筋。
たくさんの男性に愛される
ラティルが羨ましいです。
今までは、
ラティルとサーナット卿が
くっつけば良いと思っていましたが、
今回の話を読んで、
ラティルとヒュアツィンテが
よりを戻す未来があっても
いいのではと思いました。
それはともかくとして、
ゲスターは怖いです。
彼の意味深な言葉が気になります。