56話 使節団の中にヒュアツィンテが紛れ込んでいました。
◇再会◇
謁見が終わり、
控え室に入った途端
ラティルは使者の腕をつかんで
話をしようと言いました。
迫力がありますね。
と、ヒュアツィンテは
驚いている振りをして、
自分ではない振りをしましたが、
ラティルは騙されませんでした。、
彼女は、ヒュアツィンテが
一番後ろに立っていたので、
彼をカリセンから来た使者8番と呼び
顎で人のいない所を指すと、
彼はおとなしく付いてきました。
もっとも、皇帝でありながら、
使節団に紛れて
ここまで来た人なので、
付いてこないはずはないと
ラティルは考えました。
カリセンの使者たちは、
来る途中、
本当に苦労したのではないか?
人数の少ない一行の中に、
皇帝がいれば、
騒ぐこともできなかっただろう。
一番後ろの列に立っていた使者が
謁見が終わって
すぐにラティルの後に
付いてくることができたのも、
彼の正体を知っているからだろう。
サーナット卿が
付いてこようとするのを止めて、
ラティルは誰もいない廊下に
彼を連れて行き
帽子を脱がせました。
帽子を脱ぐや否や
茶色の髪が流れ落ち
神秘的な灰色の瞳と共に
彼の笑顔も一緒に現れました。
やはり、ヒュアツィンテでした。
ラティルは息を止めて
彼を見つめ、
唇を噛み締めました。
彼女は、本当に不愉快でした。
どうして、こんな中で、
彼に会いたかったと思えるのか。
会わなかった時は
忘れてしまえたと思ったのに。
おそらく、このまま何年も経てば
本当に忘れられたかもしれないのに、
ラティルは、
ヒュアツィンテの目を見るとすぐに
何年も彼を忘れようとした努力が
無駄になってしまったことが
分かりました。
むしろ、時間が経ったことで
悪い記憶は薄れ、良いことだけが
頭に残っているようでした。
ラティルは、呼吸を落ち着けるために
拳を握りしめ
爪で掌を押さえると、
ヒュアツィンテに
なぜ、来たのか尋ねました。
幸いなことに、
声は落ち着いていました。
しかし、ラティルの心に
波風を立てておきながら、
ヒュアツィンテは平然と
彼女に会いたかったからだと
答えました。
ラティルは、
彼の声が細かく震えているのを
痛快に受け止めるべきかどうかさえ
分かりませんでした。
自分を捨てて別の女と結婚した
元恋人が過去を忘れて、
その女と幸せに暮らしていれば
幸せを祈り、
過去を忘れられず、
未練たっぷりであれば、
怒るしかありませんでした。
ラティルは、ヒュアツィンテを
本当に厚かましい。
良心はどこへ行ったの?
元々なかったの?
あったのに売り飛ばしたの?
と罵倒しました。
そして、怒りを抑えて
彼の胸倉をつかむと、
結婚したら、
あなたの花嫁の世話をしてください。
私は、自分の側室の世話をするから。
と囁きました。
言い終えたラティルは
ヒュアツィンテを押すようにして
ぱっと背を向けました。
カリセンでやったように、
つかつかと席を立つことは
できませんでした。
ヒュアツィンテが
ここまで来たからには、
他の理由もあると思いました。
ラティルは、
会いたくて来たと言う
戯言は止めて!
本当は何の用で来たの?
あの手紙の件?
と尋ねました。
ところが
ヒュアツィンテが答える前に、
誰かが近寄る音がしました。
ラティルはヒュアツィンテから
さらに2歩離れました。
現れたのは月楼の使節団でした。
彼らは、ここに皇帝がいるとは
思わなかったようで、
ラティルを見て、
すぐに挨拶をしました。
ラティルは、ヒュアツィンテが
まだ帽子をかぶっていないと思い
しまったと思って横を見ましたが、
彼はすでに顔を隠していました。
幸いだけれど憎たらしいと思いました。
ラティルは、使節団に手を振って
挨拶は止めていいと合図しました。
そして、滞在中は
ゆっくり過ごすようにと言いました。
謁見室にいた時とは違い、
ラティルを鋭く挑発した1人を除いて、
皆、素直に返事をしました。
彼は、一行に付いて行く途中、
ラティルの方を
振り返り続けました。
あなたに恋しているみたいだけど?
ヒュアツィンテが気づいて
からかうほど露骨でした。
今、ヒュアツィンテと自分が
冗談を言い合っている時なのか、
ラティルは呆れて
ものがいえないと言いましたが、
彼は、
月楼の使節団が振り返るので
仲の良い真似をしないといけない、
ラティルに表情を和らげるようにと
何気なく笑いながら頼みました。
ラティルは、
彼のそんなところが嫌いだと言うと、
彼は、
そして、愛している。
違うかな?
と尋ねました。
月楼の使節団が
完全に見えなくなると
ラティルは
ヒュアツィンテの胸倉をつかみ、
愛していたです。
現在形で言わないで。
と言って、
ヒュアツィンテを押しのけ、
彼を最大限無視するように
睨みつけると、
身を翻して別の場所へ行きました。
そうでもしないと、
未だに混乱している気持ちが
現れてきそうで、
目ざといヒュアツィンテに
気づかれそうでした。
◇動くチャンス◇
ラティルが去ってから15分後、
近衛隊長がやって来ました。
ヒュアツィンテは、
彼がいなかった15分間に敵が来たら
自分は死んでいたと、軽く叱責すると、
近衛隊長は膨れっ面をして、
荷物を運んでいたと言い訳をしました。
ヒュアツィンテは、
にっこり笑いながら、
彼の肩を叩き、
それならば仕方がないと言いました。
自分と一緒に来たのが皇帝であり、
自分たちの護衛の中に
近衛隊長がいることを知っていますが、
カリセンの官吏は、
それを知りませんでした。
ヒュアツィンテは、近衛隊長に
理解を示しましたが、
彼の顔は晴れませんでした。
彼は、ダガ公爵が、
どのように出るかわからないのに、
ヒュアツィンテが
このような遠いところまで
席を外して、大丈夫なのか
心配していました。
それに対してヒュアツィンテは、
何とかして、ダガ公爵に、
出て来させるために
空けてやった。
座ったままで動かないから、
動くチャンスを与えたと答えて、
口の端を上げました。
続いて、
それに一度は来てみたかった。
と言ったので、近衛隊長は
ラトラシル皇帝のためかと
尋ねましたが、
ヒュアツィンテは
返事をする代わりに
どこかへ歩き始めました。
近衛隊長は不思議に思いながらも
彼の後を必死で付いて行きましたが、
ヒュアツィンテの目指している所が
気になり、どこへ行くのか尋ねると
彼は、ハーレムと答えました。
◇お姫様抱っこ◇
ハーレムの庭園を歩きながら、
近衛隊長は、
こんなことをして大丈夫かと
慎重に尋ねました。
彼はラティルのことを
よく知りませんでしたが、
彼女が即位する際に、
異母兄を処刑し、
父親が寵愛した、その母親を
塔に閉じ込めた話は知っていました。
それならば、少し怖い女性なのに、
元恋人が、
現在の恋人たちに会おうとしたら
嫌がるのではないかと思いました。
しかし、ヒュアツィンテは
他国の貴族たちまで騒がせている
ラティルのハーレムの側室たちを
自分の目で確かめたいと
思っていました。
近衛隊長が心配している中、
ヒュアツィンテは
天使のような顔をして
虎のような筋肉を持つ
雰囲気が普通ではない男を
じっと見つめていました。
彼が大神官だと
ヒュアツィンテは正体を見抜き、
呟きました。
彼は近衛隊長に
付いてくるなと言って、
大神官の方へ向かいました。
一体何をするつもりなのか。
ヒュアツィンテはクラインと違い
冷静沈着で計算高いものの、
焦った近衛隊長は
瞬きをすることもできませんでした。
クラインがハーレムにいるので、
誰かが、彼らを見ても、
カリセンの使節団が
クラインに会いに来たと
思うだろうけれど、
他国のど真ん中にいるので
ヒュアツィンテの安全を
担当する立場の近衛隊長は
焦りが募りました。
彼は、ヒュアツィンテに少し近づき、
万が一に備えて、
いつでも割り込めるように
準備をしました。
その間にヒュアツィンテは
大神官に近づき、
すみません。
と声を掛けました。
落ちた花びらを拾っていた大神官は、
傲慢そうなそぶりを
少しも見せることなく
どうしましたか?
と尋ねました。
何の用で来たと告げるのか、
近衛隊長は固唾を飲んで
ヒュアツィンテの言い訳を
待っていると、
彼は、頭がクラクラして
歩くのが大変だと
無難な言い訳をしました。
それに続いて、
よろしければ・・・
と何か言おうとしましたが、
ヒュアツィンテの言葉が終わる前に
あっ、そうですか。
と聞き返して、
大神官が彼の足をぎゅっと握りました。
突然の事態に、
近衛隊長は、気づかないうちに、
ヒュアツィンテに
手を伸ばすところでした。
彼も、大神官の大きな手で
足を掴まれたので慌てた様子でした。
ヒュアツィンテは
具合が悪いのは頭だと訴えると
彼の足を揉んでいた大神官は
うん、足は大丈夫です。
と呟いたかと思うと、
今度はヒュアツィンテを
抱き上げました。
近衛隊長の目が大きくなりました。
ヒュアツィンテも、
一段と低くなった声で
大神官に声をかけましたが、
彼は、
どこへ行くのですか?
私がお連れしましょう。
と親切に尋ねるだけでした。
善良だけれど、
気の利かない男でした。
だからといって、
そのままヒュアツィンテを
連れて行かせるわけにはいかないので
近衛隊長が直接乗り出そうとした瞬間
ロズータ卿じゃないの?
と、もう一人
気の利かない人が現れました。
何の気配もなく近づき、
後ろから自分を呼ぶ聞きなれた声に
素早く振り返ると、
クラインが立っていました。
よりによって、この最中に。
彼は嬉しそうに笑いながら、
使節団の中に混じって
付いてきたのかと尋ねました。
近衛隊長は、
確かに皇帝と一緒に
付いてきたけれども、
ヒュアツィンテが、このことを
クラインに知らせるかどうか
彼の意志を確認していなかったので
答えられませんでした。
すぐに返事をしない近衛隊長に
クラインは
しまった!
と言って、近衛隊長の腕をつかみ、
カリセンの近衛隊長である彼が
ここに来ていることは
秘密にすべきなのかと囁きました。
気の利かない者が
気を利かせれば、事がさらに拗れる。
まさに今がそうでした。
慌てた近衛隊長は
どうしましょうかと目で訴えながら
ヒュアツィンテの方を見ましたが、
彼は大神官に担がれて、
すでに、そこにはいませんでした。
大神官がどこへ行ったのか
見当もつきませんでした。
◇皇帝の行方◇
ラティルは、
ヒュアツィンテがやって来ても、
彼に振り回されないところを
見せたくて、
いつもよりきびきびと、
積極的に1日の日課を終えました。
そういうところを
見せたいと思うだけで
すでに振り回されていましたが、
何もしないで、
どうして来たの、ヒュアツィンテ!
と怒りを吐き出しているよりは
ましでした。
ラティルは、
その日にやると決めた仕事を終えると
カリセンの使節団の居場所を
サーナット卿に尋ねました。
ヒュアツィンテを部屋に閉じ込めて
彼が突然現れた理由を
問い詰めるつもりでした。
しかし、部屋の中を
一つ一つ確認したのに、
彼はそこにはいませんでした。
彼を見つけられなかった
ラティルは、あからさまに
皇帝はどこにいるのかと
尋ねました。
たじろぐ使者たちにラティルは
彼が来ているのは知っているので
嘘をつく必要はないと言いました。
使者は、陛下は寝ていると
嘘をつきましたが、
その後ろから、
(どうしよう?
大神官が陛下を連れて行ったのに
戻って来られない。
事実を話して助けてもらわないと
いけないだろうか?)
と、とんでもない本音が
聞こえてきました。
ラティルの表情が歪みました。
何の話をしているの?
ヒュアツィンテはどこにいるの?
誰が誰を連れて行ったって?
この話は、皇帝暗殺、政権争い、
黒魔術師やゾンビなど、
暗いテーマを
扱っているにもかかわらず、
クスっと笑わせるようなシーンが
随所に散りばめられていて、
あまり深刻になることなく
話を読み進めることができます。
空気は読めないし、
気が利かないし、能天気で
頭がお花畑でも、
純粋な大神官とクラインに
ほっとさせられます。