484話 ラティルはギルゴールに、自分に触りたいのかと聞かれましたが・・・
◇誘惑に勝つ◇
ラティルは、
ギルゴールに触ろうとしたのではなく
彼がカルレインをアニャの所へ送れと
憎まれ口を叩いたので
腹を立てただけでした。
しかし、ギルゴールが優しく囁くと
背中がぞっとし、自然と
「うん」という言葉が漏れました。
ラティルは心が温まり、
ギルゴールの腕に頭をもたれ、
彼の手と一緒に
ポケットの中に入っている手を
ゆっくりと動かしました。
それとなく笑みがこぼれました。
ギルゴールはラティルに
何をしようとしているのかと
尋ねました。
ギルゴールの目が赤く染まりました。
ラティルは、
しっかりと握った彼の手に
触れ続けました。
温室で彼と交わした愛情を思い出すと、
訳もなくお腹が痛くなりました。
意識が朦朧とし、目の前に
ギルゴールの美しい外見だけが
広がっていた時の感覚が
生々しく思い出されました。
ラティルはもう片方の手で
懐中時計を取り出し、
時間を確認しました。
少しギルゴールと遊んでから
謁見に行くのはどうだろうか。
本当に少しだけだと思いましたが、
行き来する時間を考えれば、
今、急いで謁見室に
行かなければなりませんでした。
ラティルは時計を胸に入れて
ため息をつくと、
何もする時間がない。
行かなければならないと告げました。
ギルゴールは
ラティルの首筋に軽くキスをし、
眉をひそめながら、
こんなことをしておいて
行ってしまうのかと
耳元で囁きました。
一体、自分が何をしたと言うのか。
手を握って、
肩にもたれただけなのにと
思いましたが、
その、わずかな接触も
ギルゴールに刺激を与えたようで
ラティルは、彼の赤い瞳から
ギルゴールが興奮していることに
気づきました。
彼は今にも寝室に
駆けつけなければならない状態でした。
ギルゴールは
ラティルの親指の爪の上を擦り、
「行きますよね?」と
せがむように尋ねました。
くすぐったい感覚が、
爪と肉の上を戯れるように
駆け巡りました。
ラティルは唾を飲み込みました。
しかし、側室に溺れて
業務を疎かにすることは
できませんでした。
ラティルはしばらくためらった後、
ギルゴールの手を離して
走り始めました。
悪夢を払い退けるような態度に
ギルゴールは呆れましたが、
すでに彼の弟子は、
ギルゴールと同じくらい
速く走っていました。
◇似ている境遇◇
業務に戻ったラティルは
謁見室で人々に会い、
彼らの悔しい思いや切なる願い、
現場での声などを聞きました。
その後、再びハーレムに戻り、
そこの警備を担当する
第5警備団を訪問し、警備団長から、
倉庫の屋根が崩壊した事件について
話を聞き、
敵が外部から侵入した場合の
シナリオなどについて話し合いました。
その後、個人執務室に戻り、
数時間の間に積もった書類を見ました。
スケジュールによれば
午後5時から6時までが
その日1日の最後の書類業務でしたが
各国で起きている怪現象についての
報告が特に多く、その1時間の間に
すべての案件を見ることは
難しかったため、
ラティルは執務室で
パンとジュースの
簡単な夕食を済ませながら
夜9時まで机に座っていました。
アニャドミスの侵入とは別に、
怪物の数がどんどん増えているので
彼女を防備するだけでなく、
これらの怪物も
防備する必要がありました。
ラティルは頭が痛くなり、
こめかみを押さえました。
皇太女の時代、
怪物は全て消えたと思われていたので
怪物に備える方法を
学ぶことができませんでした。
聖騎士団長のタンベクは、
その時期にも怪物たちはずっといたと
話していましたが、
少なくとも聖騎士たちが、
密かに処理するほどの規模でした。
しかし、今も聖騎士たちが
同じように活動しているにもかかわらず
怪物の目撃談が
あちこちから聞こえて来ました。
この時期を
うまく乗り越えなければならないと
悩んでいたラティルに、サーナット卿は
もう休んだ方がいいと助言しました。
ラティルは、
サーナット卿に声をかけられて
初めて時間を確認すると
ペンを置きました。
ラティルは、
そうしなければならない。
明日の閣議は、本当に集中して
臨む必要があるからと言って、
凝った肩を叩いていると、
サーナット卿が
腕を上げたり下げたりするのを
繰り返しているのが見えました。
ラティルの肩を
叩いてあげたいけれど、
どうしようか迷っている様子でした。
ラティルは、それに気づきましたが、
知らないふりをして
執務室の外へ出ました。
ラティルが廊下に出るや否や
冷たい冬の風が
激しく吹き付けました。
訳もなく再びタッシールのことが
思い浮かびました。
この冬が終わる前に
タッシールは戻って来るのかと
心配になりました。
タッシールが誕生日を迎えると、
もうすぐ春。
彼の誕生日が目前でした。
ゲスターはタッシールが一人で
まんまと逃げたと言っていたのに
まだ帰って来ませんでした。
あちこちに商団の支部があるのなら
人を送ってくれたらいいのに。
黒林の暗殺者でもいいからと
考えていると、サーナット卿が
ラティルのことを心配しました。
タッシールのことを考えると、
寒さよりも
息詰まる思いが大きくなり、
ラティルは、少し歩きたいと呟き、
廊下を歩きました。
ラティルは、
大したことではない質問だと
前置きをして、
吸血鬼も寒さを感じるのかと
尋ねました。
サーナット卿は、
まだ自分は完全ではないので、
寒さを感じるけれど、
普通の人よりずっと寒さに強いと
答えました。
ラティルは、
他の吸血鬼たちはどうなのかと
尋ねましたが、サーナット卿は
聞いていないのでわからないと
答えました。
その時、廊下に吊るされている紙が
風に揺れている音の合間に、
すすり泣く声が
かすかに聞こえて来ました。
ラティルが周囲を見回すと、
サーナット卿は、
「あちらの方向です」と
音が聞こえてくる方を指差しました。
しかし、暗いので、
誰が泣いているのか
ここからは見えませんでした。
アニャドミスが泣くはずはないので、
一体誰が泣いているのかと思い、
ラティルは回廊を降りて、
声のする方へ歩いて行きました
念のため自分が先に行くと、
サーナット卿は言いましたが、
ラティルは首を横に振り、
急いで歩いていくと、
アイニが空き地に座り込み、
泣いていました。
横には、放り投げたと思われる
木刀が見えました。
ラティルは、
どうしたのかと思いながら見ていると
しばらくして泣き止んだアイニが
剣を握って再び立ち上がりました。
深呼吸したアイニは、
一定の剣路に沿って
木刀を振り始めました。
ラティルは、その姿を
こっそり見守っていると、
最近、ギルゴールが
過酷なほど訓練の強度を上げたらしいと
サーナット卿が
こっそり教えてくれました。
ラティルは、
それであんなことをしているのか。
練習に付いて行くつもりなのかと
尋ねました。
サーナット卿は、
ラナムンは、
元々剣術を身に着けているので
基礎がしっかりしているらしく
ギルゴールは、ラナムンを
集中して教えているようだ。
そのことで、アイニが、
ラナムンと同じくらい学びたいと
抗議したら、ギルゴールは、
可能性のある方に集中したいと
あからさまにアイニに言ったので、
少し雰囲気が険悪になったと
聞いていると答えました。
ラティルは舌打ちしました。
アイニは
プライドが傷ついただろうけれど
サーナット卿は、その話を
どうやって知ったのかと尋ねました。
サーナット卿は、
演舞場で起きたことなので、
近衛騎士たちと一緒にいると、
自然に話が入って来ると答えました。
サーナット卿は
アイニをチラッと見て、
そのままにしておくのがいいので
行こうと勧めました。
ラティルはそうしようとしましたが
以前、カリセンに行った時、
まだ、ヒュアツィンテの婚約者だった
アイニが
酒瓶を持ってきてくれたことを
思い出しました。
悩んだ末、ラティルは、
その場を離れる代わりに
酒瓶を1本だけ、
こっそり持って来て欲しいと
頼みました。
サーナット卿は言われた通りにすると
ラティルは酒瓶を持って、
アイニの所へ歩いて行きました。
驚いたことに、アイニは
ラティルが近くに来るまで、
彼女に気づかず、そのせいで、
丸い軌跡を描いていたアイニの剣が
ラティルの首筋を
打ってしまうところでした。
遅ればせながら、
ラティルを発見したアイニは
目を大きく見開きましたが、
ラティルは剣を避ける代わりに、
自分の短刀を抜いて剣を防ぎました。
役目を終えた短刀を、
空中で半回転させた後、
ラティルは、それを腰に差しました。
木刀を落としたアイニは
虚しい表情で、
ラティルを眺めました。
アイニの視線は、
ラティルが腰にぶら下げている
一見、装飾用のような
華やかな短刀に注がれました。
アイニが自らを恥じていることに
気づいたラティルは、
自分と比較しないように。
自分は幼い頃から
近衛騎士たちを追いかけながら
訓練していたからと話しましたが、
あまり役に立たないようでした。
ラティルは躊躇いがちに
アイニに酒瓶を差し出すと、
飲んでください。
お酒が好きなんでしょう?
友達なんですよね。
と言いました。
しばらくアイニは、
理解できないような視線で
ラティルを見つめていましたが、
酒瓶を受け取りました。
しかし、アイニはお礼を言うこともなく
酒瓶とラティルを
交互に見つめただけでした。
アイニのプライドを
傷つけてしまったのか。
自分は、
余計なことをしてしまったのか。
アイニの態度に
ラティルは照れくさくなり、
もう行くので、飲んでね。
と言って、
アイニに背を向けようとしましたが
彼女は、
初めてラティルに酒瓶を渡した時、
ラティルは自分と似ていると思った。
自分はまだ、ヘウンのことで
ショックを受けていた。
強制的に結婚することになった
ヒュアツィンテは、
無条件に自分を憎んでいた。
ラティルはヒュアツィンテを
欲しがっていたのに、無理矢理、
手放さなければならなかった。
ラティルの方が自分より
身分が高いけれど、
境遇だけ見れば似ていた。
感情を表に出せない点もそうだった。
本当は違うかもしれないけれど、
当時は、そう思ったと呟きました。
ラティルは、半分、アイニに
背を向けたままで、彼女を見ました。
アイニは酒瓶のラベルだけを
見つめていました。
ラティルは、
今でもかなり似ていると思うと
言いました。
アイニは苦々しく微笑み、
首を横に振ると、
自分はあの時よりも、
後退しているような気がする。
前に進もうとしてはいるけれど
それが前なのかどうかも
分からないと言いました。
ラティルは、
時期が良くないからと言うと、
アイニは、
ラティルを見ていると、自分は、
全てを選択できていないとしか
思えない。
自分の道を自ら進みたくて、
タリウムへ来たけれど、
これが正しいことなのかどうかも
わからないと言いました。
自陣満々に酒瓶を差し出していた
アイニの姿と、
寂しく酒瓶を抱いているアイニの姿が
ラティルノ脳裏をよぎりました。
ラティルは、アイニがなぜ、
あれほどまでに、
自責の念を感じているのか、
理解できませんでした。
公爵家の家族は、
アイニのために尽力したし、
ヒュアツィンテは、
アイニが危ない時に、
ラティルと別れて、
妻である彼女を助けに
駆けつけました。
彼女の侍女たちは
アイニに真の友情を与えているし、
先代の対抗者とロードの取引で
運命が少しこじれましたが、
とにかく、彼女は
人々から称賛される対抗者でした。
アニャドミスに狙われていることが
怖いのなら、むしろ理解できる。
アナッチャに拉致されたことで
怒りを感じているなら
理解できるけれど、
なぜ、あれほどまでに
プライドを失っているのか
理解できませんでした。
訝しがっているラティルを
アイニは、
しばらく注視していましたが、
酒瓶を片手で振りながら寂しく笑うと
ラティルにお礼を言い、
木刀を拾った彼女は、
すぐに、その場を離れてしまいました。
ラティルは、
数多く残っているアイニの足跡と、
木刀が落ちた跡を眺めると
首を傾げました。
◇問題を解決できる人◇
翌日、午前中に仕事を終えたラティルは
国務会議が始まるや否や、大臣たちに、
秘密裏に入手した情報によれば、
先日、ハーレムの倉庫の屋根を崩した
黒魔術師が、数多くの怪物を
作っていると伝えました。
ラティルの予想通り、
この話を聞いた大臣たちは恐怖に怯え、
その怪物たちはどこへ来るのか。
タリウムに攻め込むのは確かなのか。
百花繚乱が怪物たちを退治できるのか。
確かな情報なのか。
と騒ぎ始めました。
ラティルが侍従長に目を向けると、
彼は小さな木槌で卓上を叩き、
大臣たちを静かにさせました。
話しても問題ないほど静かになると
ラティルは、
確かな情報だけれど
怪物たちがどこを狙っているのかは
定かではない。
これからモンスターの数が増えても
減ることはないので、
備えて悪いことはないと
話を続けました。
アトラクシー公爵は、
聖騎士たちがいるけれど、
彼らだけでは、
国全体を守ることはできない。
他に何か考えはあるかと
落ち着いて尋ねました。
ラティルは、
大神官の助けを借り、
お守りと聖水を作って
タリウム全体に配布するつもりだ。
家ごとに送れればいいけれど、
大神官一人で、全国民に
お守りを書くことはできない。
だから、まずは各地に
避難所を作り、
そこから準備させる。
避難所が整備されれば、
そこから遠く離れた家々を
中心に準備させる。
その家々の準備が済めば、
他の家も準備し、準備が整えば
避難訓練も受けさせる計画だと
答えました。
すると、すぐにロルド宰相は、
良い意見だけれど、
お守りと聖水だけでは足りない。
実際に怪物たちを防ぐ
兵力が必要だと反論しました。
ラティルは、
聖騎士たちを各地の神殿に送り、
黒死神団の傭兵たちの力も
借りることにした。
そして、既存の兵力も分担して送ると
話しました。
それでも、ロルド宰相は懐疑的で、
大神官が1人で、
そんなにたくさんの品物を作るのも
大変だけれど、
スペースも限りなく足りない。
それに怪物を相手にする避難所なら、
神殿の近くに作るべきではないかと
意見を述べました。
ラティルは同意しました。
ロルド宰相は、
小さな町なら分からないけれど
人が多く住む領地に
数多くの領地民と兵力を
すべて収容できる避難所は少ない。
神殿も、大きな神殿より
小さい神殿の数が多いけれど、
領地民と兵力を
全て収容することは難しいと
言いました。
イリス伯爵も、
新たに避難所を作る方法もあるけれど
そのような巨大な規模の避難所を
神殿の近くに新しく作るためには、
土地問題を解決することも
容易ではないと、
心配そうに付け加えました。
ラティルも、
すでに悩んでいた問題でしたが、
必ず解決して
乗り越えなければならないことでした。
ラティルは、
命がけの問題なので、
簡単でなくても
やり遂げなければならない。
だから、他の良い意見や
避難所の問題を処理する方法を
考えてくるようにと、
大臣たちに指示しようとした時、
その問題はタッシールが解決すると
扉の方から明るい声が
聞こえてきました。
愛するヘウンの命を奪った
ヒュアツィンテのことを
許せるわけがないのに、
彼と結婚しなければ
ならなくなった苦しみを
表に出すことなく、
ラティルをからかうかのように
酒瓶を渡したアイニ。
当時、ラティルは、
アイニのことを
ヒュアツィンテを奪った
勝利者のように
思っていたかもしれませんが
アイニの本当の気持ちを
聞いたことで、彼女を見る目が
少し変わったかもしれません。
アイニも、当時の気持ちを
打ち明けたのは、
ラティルが初めてではないかと
思います。
2人がロードと対抗者ではなく
ヒュアツィンテを
奪った、奪われたの関係ではなく、
同じ国で、同じ身分で
出会っていたら、
良い友達になっていたかも
しれません。
タッシールが帰って来ました!
自分が問題を解決すると
堂々と宣言するなんて
頼もしい限りです。
公私ともにラティルを支えられるのは
タッシールしかいないと思います。