532話 いよいよラティルは、クラインが閉じ込められている監獄に到着しました。
◇救出◇
通路を通り、
3つの石の扉を通ってから、
ラティルは、アナッチャが
閉じ込められていたのと似た部屋を
見つけて立ち止まりました。
ラティルは
レッサーパンダを下ろして
長い廊下をゆっくり歩きました。
この中にクラインがいるのだろうか?
ついに彼を救えるのだろうか?
石造りの狭い廊下の端に行くと、
快適に飾られ、
岩と木の匂いが漂う空間が
現われました。
しかし、部屋の中には
誰もいませんでした。
椅子にもカーペットの上にも
ソファーにも
クラインはいませんでした。
まさか、ここにもいないのか。
ラティルは虚しい気持ちで
拳を握りしめましたが、
寒さを感じたラティルは、
布団が幾重にも積まれたベッドを
見ました。
もしかして?
ラティルは積まれた布団のそばへと
ゆっくり歩きました。
耐え難いほど寒くはありませんでしたが
ここに長くいれば、
寒さを強く感じるかもしれない。
クラインも寒さをしのぐために、
布団の中にいるかもしれないと
考えました。
ラティルは布団の前に立つと
クラインの名を呼び、
慎重に布団に手を伸ばしました。
厚くて柔らかいけれど、
冷たい布団を一枚めくると、
また布団が出て来ました。
そして、何枚を布団をめくることを
続けているうちに、
ついに、その下に
うずくまったクラインが現れました。
彼は怯えているように
目をギュッと閉じていました。
ラティルが再びクラインを呼ぶと、
ようやく瞼が少しずつ開き、
真っ青な瞳が現われました。
クラインと目が合うと
彼の瞳が激しく揺れました。
クラインは、その状態で
ラティルをじっと見つめ、
布団から手を出しました。
クラインの手がラティルの頬に
触れました。
どれほど寒さに震えていたのか、
厚い布団を何枚もかけていたのに、
彼の手は凍えていました。
ラティルが彼の手の上に
自分の手を重ねると
青い瞳に涙が溜まり、
ポタポタと下に流れ落ちました。
陛下
クラインは、ようやくラティルを呼ぶと
布団の外に出て、
力いっぱいラティルを抱き締め、
彼女が本当に、
自分を捨てて行ってしまったと
思っていたと言いました。
ラティルは、
自分がそんなことをするはずがないと
クラインを宥めましたが、彼は、
ラティルの声が聞こえたかと思うと、
洞窟が揺れて、
突然、彼女の声が途切れたからと
言い訳をしました。
ラティルは、
クラインが寒さのせいで
布団をかぶっていただけではなく
洞窟が揺れて
扉の外へ出られなくなったために
怖くて布団をたくさんかぶって、
その中に入っていたことに気づくと
目頭が熱くなりました。
ラティルは、すぐに彼を抱きしめて
背中を撫でながら、
クラインを怖がらせないために、
わざと雰囲気を
和らげようとしたのだけれど、
余計に怖がらせてしまったと
謝りました。
アナッチャが、
あまりにも毅然としていたので、
クラインも同じだと思っていましたが
まさか、こんなに震えているとは
思いませんでした。
ラティルは、
クラインを捨てたりしないと告げると
彼はラティルのお腹に顔を埋めて
静かに頷きました。
彼の肩の揺れが収まらなかったので
ラティルは、しばらく彼を
撫で続けました。
しかし、見かねたレッサーパンダが
ロード、そろそろ行かないと!
と急かしたので、ラティルは
少しクラインを押し退けました。
それだけでも、クラインが
衝撃を受けたような表情をすると、
ラティルは両手で彼の両頬を包み込み
アニャドミスが
戻ってくるかもしれないので、
早く行かなければならない。
再会の喜びは後で分かち合おうと
断固とした態度で伝えました。
クラインは頷きながら立ち上がると、
少しよろめいたので、
ラティルはすぐに彼を助けました。
クラインは、
大丈夫。ラティルを見て、
とても驚いただけだと言いました。
ラティルはクラインに
1人で歩けるかと尋ねると、
彼は、中で暴れ続けたから
大丈夫だと答えました。
ラティルは安堵して
クラインから手を離しました。
移動する速度を考えるなら、
クラインが自分の足で走った方が
良いと考えたからでした。
ラティルは、外に出れば、
ゲスターやギルゴール、
ラナムンにも会えると思うと言うと、
クラインは、
なぜ、レッサーパンダが
2匹いるのかと尋ねました。
ラティルは、分裂したと答えると、
違う!
適当なことを言ってふざけるな!
と、レッサーパンダたちは
強く抗議しました。
ラティルはクラインに
急いで事情を
説明しようとしましたが、
話が長くなるので、後で話すと
返事をしました。
そして、クラインに、
レッサーパンダを抱いていけば
暖かいと思うし、
その方がスピードも出ると言って、
レッサーパンダを抱き上げ、
クラインに抱かせた後、
自分も再びクリムゾンを
抱きしめました。
そして、クリムゾンに道案内を頼むと
彼は短い腕をあちこち動かして
行く方向を教えてくれました。
その指示に従って
懸命に走ったラティルは、
石の扉を前にして、
そこを通れずにいる3人の男たちを
発見しました。
まだ、ここにいたんだ!
レッサーパンダは舌打ちしました。
どうやら、彼らは、
レッサーパンダと別れた時も
ここにいたようでした。
ラティルは、
なぜ皆ここにいるのかと、
当惑しながら尋ねましたが、
今は、そんなことを
言っている場合ではないということに
気づき、
アニャドミスが来る前に
離れなければならないと言って
急いで手を振りました。
来る時より3人増えた一行は
急いで地下牢の外に出ました。
すると、開いていた石の扉が
軋む音を立てながら閉まりました。
普通の絶壁に戻った地下牢は、
奥にそんなに広い空間があるとは
思えない形に変わっていました。
ラティルは、
クリムゾンの頭を撫でて
絶壁を見つめた後、
クラインを見ました。
彼は、その前から
ラティルを見つめていました。
目が合うと、クラインの口に
明るい笑みが浮かびました。
◇休戦◇
ラティルは宮殿に戻ると、
着替えながら、
アナッチャの処遇について考えました。
とりあえず、
外に放っておけないので、
一時的に彼女を
宮殿に連れて来ましたが、
アニャドミスのことが解決するまで、
彼女を宮殿に置いても
いいのではないかと思いました。
アナッチャの心を読んだラティルは、
彼女は自分のことが
好きなわけではないけれど
自分に恩返しをするまでは、
自分の後頭部を叩かないと
思ったからでした。
アニャドミスは
アナッチャを狙っていましたが、
その理由についてアナッチャは
彼女がアニャドミスを置いて
逃げたことで、
プライドが傷ついたからだと
話していました。
それが正しいかどうかはわかりませんが
指輪を奪った後、すぐに
彼女の命を奪わなかったのを見ると
アニャドミスにも、
それなりに考えがあるようでした。
このような状況で、アナッチャを、
トゥーラと約束した別宮に行かせれば、
また襲撃に遭う可能性がありました。
当面、アナッチャが
恨みよりも恩返しを優先させるなら
事が解決するまで、
彼女を宮殿に置いてもよさそうでした。
彼女は、
青二才の黒魔術師ですが、
独学で黒魔術を身につける程、賢いし、
トゥーラは食餌鬼なので、
あれこれと役に立つと思いました。
服を着替えたラティルは、
アナッチャが顔を隠したまま
泊まっている客用の部屋を訪ねました。
ラティルは、
トゥーラと約束したように、
アナッチャを他の先帝の側室同様、
別宮で安らかに過ごせるように
するつもりだけれど、
そんなことをすれば、
またアニャドミスに捕まりそうなので
事が解決するまで、
本宮から離れた宮殿内の別宮で
過ごしたらどうか。
そこなら、トゥーラを連れて来られると
提案しました。
アナッチャは
ラティルが訪ねてくると、
なぜ、この子が来たのかと
不安を感じていましたが、
ラティルの意外な提案に
目を丸くしました。
しかし、彼女は
すぐに提案を受け入れませんでした。
反抗的な視線で
ラティルを睨みながら
何か魂胆があるのではないかと
疑いました。
ラティルは、
魂胆があるなら、2回も助けなかったと
答えました。
そして、
2回とも偶然助けたという真実を隠し、
慈しみ深く見せたい時の目つきで
アナッチャを見つめました。
しかし、その瞳に
何度もだまされたことのある
アナッチャは信じませんでした。
彼女は、
自分にまでそんな表情をする
必要はない。
ラトラシルが、
純粋で善良な性格ではないということは
誰よりもよく知っていると言いました。
ラティルは肩をすくめると、
彼女の要求通りに慈しみ深い表情を捨て
ゆったりと足を組むと、
アナッチャの言う通りにすると
返事をして笑いました。
その言葉にアナッチャが驚いていると
ラティルは、
自分も自分たちが味方になれるとは
思わないと率直に言いました。
アナッチャの瞳が揺れました。
しかし、ラティルは、
味方ではないからといって
ずっと戦う必要もない。
アナッチャも
分かっているだろうけれど、
自分はすでに敵が多い。
その中で最も強力な敵は
自分たちに共通の敵でもある。
そして、トゥーラは、
公に死んだとされているので、
次の皇位に上がることはできない。
今、トゥーラが望んでいるのは、
アナッチャが平穏に過ごすことだけ。
自分はそれを可能にすることができる。
皮肉なことに、
アナッチャが平和に過ごせば、
自分も敵が一人減ることになる。
これは、自分たちが戦うのを止める
口実にはならないかと、
率直に言いました。
アナッチャの目から、反抗的な気配が
少しずつ消えて行きました。
完全に、ラティルを
信頼する顔ではありませんでしたが、
彼女の言う通りだと
認めているようでした。
当分の間なら、
手を握ってみる価値が
あるかもしれない。
恩を返すには近くにいた方がいい。
アナッチャの考えが、
ラティルに聞こえ始めました。
彼女は、アナッチャが考えるのを
邪魔しないよう、
わざと沈黙しました。
アニャドミスは、
私の顔が気に入ったと言った。
トゥーラは私にそっくりなので、
アニャドミスに彼を見られたくない。
そのためには、
彼を宮殿に隠しておいた方が
いいかもしれないし、
トゥーラが放蕩生活をするのも
見たくない。
ラトラシルを裏切ったレッサーパンダを
彼女が抱いているのを見ると
意外とラトラシルは
後腐れがなさそうだ。
しかし、レッサーパンダは
可愛いからかもしれないけれど・・・
しばらく悩んでいたアナッチャが
考えるのを終えると、
ラティルは思わず「やった!」と
叫ぶところでした。
でも本音を読む能力は
皆に秘密にしているので、
ラティルは、直接アナッチャが
返事をするまで、
落ち着いて座っていました。
ついにアナッチャは考えをまとめ、
いいわ。
と高慢に答えました。
短い返事でしたが、
ラティルには、これで十分でした。
アナッチャとトゥーラは、
密かに気になる敵だったので、
当分の間でも、2人をこちらに
引き入れることができれば、
ずっと楽になると思いました。
気分が良くなったラティルは
ニヤニヤ笑いながら、
ソファーから立ち上がると、
トゥーラも首都にいる。
彼を呼ぶので、先に別宮へ行くように。
大臣たちには
きちんと自分から話をすると
言いました。
◇1人でいるのは怖い◇
その晩、ラティルは、
数日間滞っていた仕事をするために
寝室に書類を持って来て、
机の上に積み上げました。
そして、熱いコーヒーと
砂糖菓子も机の上に置いて
ラティルは、
慎重に書類を読み進めました。
何日か席を外しても、
仕事を完璧に終えることが
できるということを示さないと、
次の外出の際に、
大臣たちの反対が大きくなるので、
徹夜してでも、早く仕事を
終わらせなければなりませんでした。
そのようにして、ラティルは
仕事に集中していると、
クラインがやって来たことを
告げられました。
ラティルは、彼の入室を許可すると
すぐにクラインが入って来ました。
彼は、パジャマの上に
フワフワのマントを羽織り、
胸には陛下2の人形を
抱いていました。
ラティルはコーヒーカップを置いて
彼の方へ行くと、
クラインはラティルを抱き締め、
一人でいると怖いので、
一緒に寝てはいけないかと
元気のない声で呟きました。
ラティルが本当に善良でなければ
偶然とはいえ、アナッチャを
助けたりしないと思います。
自分の嫌いな人でも、
目の前で大変な目に遭っていれば
助けてしまうのは、ラティルが
正義の味方だからなのだと思います。
ラナムンとギルゴールとゲスターが
石の扉の前で、
ずっと対峙したままの様子を
思い浮かべて笑ってしまいました。
ゲスターは、ラティルたちを
狐の穴を使って地下牢の前まで
連れて来てくれたけれど、
クライン救出のために、
何の役にも立たなかった
ラナムンとギルゴールは
一体、何のために来たのか。
けれども、2人が
一緒に来てくれたことだけで
ラティルは心強かったと思います。
次回は、いよいよ
クラインとの初めての夜です。
以前の文章を修正したものを
公開いたします。