664話 カルレインに抱かれると、赤ちゃんは泣き止みました。
◇例えは変だけれど◇
カルレインは、
熱い石でも押し付けるかのように
赤ちゃんを
ラナムンに押し付けました。
ラナムンが赤ちゃんを抱くと、
赤ちゃんは、
また悲しそうに泣き出しました。
不愉快だ。
カルレインは冷たく言い放つと
背を向けて立ち去りました。
これを見た助手は、
あまりにも腹が立ったので、
どうして、あんなことを言うのかと
思わず本音を漏らしてしまいました。
いくらライバルの子供とはいえ、
まだ赤ちゃんだし、
赤ちゃんは彼を見て笑っていたので
本音を隠して、
少しくらい笑えないものかと
思いました。
そして、
あんなに冷たく振舞いながら消えた
カルレインの姿が、助手の目には、
とても冷血漢のように見えました。
よしよし、いい子だね。
ラナムンは赤ちゃんの背中を撫でて
宥めましたが、
赤ちゃんは悲しそうに号泣するだけで、
なかなか泣き止みませんでした。
このままでは皇女が
死んでしまうのではないかと
心配した助手は、ラティルに
カルレインを呼んで、
もう一度、
子供の世話をお願いして欲しいと
地団駄を踏みながら頼みました。
ラティルは返答に窮しました、
カルレインが、
どうしてあのような態度を取ったのか
分かっていたし、ラティル自身も、
今、とても嫌な
気分だったからでした。
それでも、最近は
穏やかに過ごしていて、
赤ちゃんを直接抱いたり、
顔をよく見なければ、
このように一緒に
散歩するほどになりましたが、
赤ちゃんが露骨に
カルレインに好意を示すと、
アニャドミスの存在感が、
より一層大きくなってしまいました。
皇帝までじっとしているので
助手は慌ててラティルを呼びました。
ラティルは、
カルレインにも、
それなりの事情があるのだろうと
返事をしました。
助手は、
カルレインに抱かれた赤ちゃんは
泣いたのではなく、笑っていたのに
あんなに、冷たく行ってしまうなんてと
息詰まる思いで不平を漏らしました。
しかし、ラティルは
助手の言葉を聞き流し、
子供が暑いようだから、
中へ入るようにと
ラナムンに指示しました。
ラナムンは、
これといった反発をすることなく
赤ちゃんを連れて来た道を戻りました。
助手も、彼の後を
追わなければなりませんでした。
ラナムンと助手、
赤ちゃんがいなくなると、クラインは
やはり、あの赤ちゃん・・・
アニャドミスの転生なので
カルレインを？
と小声で尋ねました。
すぐに大神官は、
まさか。
と否定し、もし、そうであれば
アイニ元皇后もカルレインが
好きになるはずなのに、
そうではないと
赤ちゃんを庇いましたが、
ラティルの表情は、
より一層青白くなりました。
クラインは大神官を
じっと見つめました。
遅ればせながら、
大神官は目を見開きました。
しばらく、気まずい沈黙が
流れましたが、クラインは、
あまり心配しないように。
自分は、たまに遊びに行って
見たけれど、
皇女はただの赤ちゃんだった。
前世の記憶があるなら、
ウンチのおむつを替える時、
あんなに喜ぶはずがないと
明るい声で話しました。
ザイシンは、精気のない顔で、
もちろん皇女は、
乳母がおむつを替えながら
まあ可愛い。
ウンチも可愛く出ましたね。
と言うと、キャーキャー笑ったので
普通の赤ちゃんと変わらなかった。
でも、皇女のおむつの話をしても
いいのだろうかと尋ねました。
その言葉にクラインは
戸惑いましたが、
皇女は、普通の赤ちゃんだと
再び、主張しました。
ラティルは、
高慢で傲慢なアニャドミスを
思い出しながら、
例えは変だけれど、
慰めにはなると言って、
沈鬱に頷きました。
赤ちゃんには、前世の記憶が
はっきりとありませんでした。
しかしカルレインに対する
好感に満ちた感情が
ある程度残っていることは
明らかでした。
問題は、アニャドミスが
自分のことを、
とても嫌っていた点でした。
ラティルは、赤ちゃんに
その感情も残っているのだろうかと
考えました。
◇エスコートする人◇
その数日後は、
ラティルとラナムンの誕生日でした。
念入りに準備することは
できませんでしたが、
皇帝と皇女の実父である側室の誕生日を
何もせずに
済ますことはできなかったため、
侍従長の主導の下、
小さなパーティーが
急いで準備されました。
名だたる貴族たちと
その家族が集まって、
簡単に食べて飲んで
踊る程度のものでした。
侍女たちが
ラティルを着飾らせている間、
体調が悪いと思ったら、
すぐに戻って来なければならないと
宮医は絶え間なく小言を言いました。
宮医は、ラティルが数ヶ月間、
意識を失っていた後、
目覚めた途端、出産をし、
産後、100日が過ぎた時に
馬に乗って怪物を捕まえて来たのに、
いまだに、ラティルの健康を
心配していました。
皇帝のように丈夫な人が
どこにいるのかと、
侍女の一人が笑いながら
宮医をからかいましたが、
宮医は顔をしかめたままでした。
宮医は、
丈夫であればあるほど
気をつけなければならない。
体が健康な人ほど、
不注意になりがちだと
断固として言いましたが、
侍女たちは顔を見合わせて笑いました。
彼女たちは、
皇帝の体は、
健康というレベルではなく、
世の中の誰も、
皇帝のような「健康」を
持つことはできないと思っていました。
これは、皇帝が伝説の対抗者なので
英雄のような身体を持っているとしか
説明できませんでした。
宮医は笑いものになると
首を軽く横に振り、
一人用の椅子に座りました。
いずれにせよ、宮医は
皇帝のことを心配していました。
自分が学んだ
医学のせいもありますが、
生まれたばかりの赤ちゃんを見た時、
ひどく怯えた皇帝の表情が
頭に残っていたからでした。
彼女はラティルが
皇帝であり英雄だということを
知っていましたが、
まだ若い青年であることも
忘れていませんでした。
侍女たちは、
おしゃべりをしながらも
熱心に手を動かし、
ラティルの支度を終えました。
彼女は欠伸を止めて
鏡の前に近づきました。
普段よく着る制服ではなく、
ふんわりとした服装で、
いつもと雰囲気が
全く違って見えました。
侍女はラティルに気に入ったかと
尋ねると、ラティルは、
悪くないと答えました。
侍女長は、
ラナムンが青い服を着ると
聞いていたので、
一緒にいるラティルには
わざわざ銀色の服を用意したと
説明しました。
準備を終えて廊下に出ると
ラナムンが立っていました。
サーナット卿は、その後ろに
固い表情で立っていました。
ラティルは、ラナムンに、
なぜここにいるのかと尋ねました。
ラナムンは、
ラティルをエスコートしたくて来たと
答えました。
今日はラナムンの誕生日でもあり
たった一人の皇女の実父でした。
当然のことながら、
そうするのに相応しい立場だったため
皆、じっとしていました。
やはりラティルも、今日は、
ラナムンにエスコートしてもらうのが
正しいと思ったので、
頷いて彼の腕に手を置きました。
ラナムンが来る前まで
ラティルをエスコートするために
待機していたサーナット卿は
視線を床に下げて、
淡々とした表情を維持しました。
◇赤ちゃんの名前◇
ラティルが意識を取り戻してから
すでに100日以上経ちましたが、
貴族の中には、
皇帝が無事に目覚めたことを
疑う者もいました。
皇帝が目を覚ましたとしても、
それほど健康な状態ではないだろうと
囁きました。
会議室で、
よくラティルを見る人々は
皇帝が健康だということを
毎日確認することができましたが、
彼らは貴族全体の中で
少数にすぎませんでした。
そのため、貴族たちは、
ラティルが本当に元気で、
疲れた様子もなく、肌に艶があり
目も澄んでいて、歩く姿も
いつものように元気なのを見て驚き、
ラティルが
何ヶ月も倒れていたことを
疑う人もいました。
そして、対抗者というのは、
何か特別なものがあるようだと
言う人もいました。
そのように貴族たちは話しながら
皇帝がラナムンの腕を握って
円形の階段を下りてくる姿を
眺めました。
ラナムンは社交界から
遠ざかっていましたが、
彼を一度でも見たことのある人は
誰でも彼の外観を称えました。
ラナムンの美しさは、
誰が見ても否定できませんでした。
しかし、ラナムンは
側室になった後も
社交生活と距離を置いていたので、
このような時でもなければ
彼を見ることは
容易ではありませんでした。
人々はうっとりして、
ラナムンを見つめました。
そして、一人で輝きを放つ
ラナムンのそばでも、
皇帝が彼に押されない存在感を
見せていることに感嘆しました。
皇帝夫妻が降りてくると、
貴族たちが同時にお辞儀をしました。
その後、楽士たちは演奏を開始し、
皇帝の登場で、
しばらく中断していたパーティーが
再び始まりました。
人々は話をしながらも、
もしかしたら皇帝が
自分たちの方へ
来るのではないかと思って、
しきりにラティルの方を
チラチラと見ました。
ラナムンも社交生活から
遠ざかっていましたが
皇帝もやはり侮れませんでした。
ラティルは
人々の視線を無視しながら
今日は赤ちゃんの名前を
つけなければならないと告げました。
彫刻のように立っていたラナムンは、
赤ちゃんの名前ですか？
と聞き返し、眉をつり上げました。
ラティルは、
いつまでも赤ちゃんだとか、
皇女だとか呼ぶわけにはいかないと
答えると、にっこり笑って
ラナムンの腕をつかみ、
他の側室たちが集まっている所へ
歩いて行きました。
アイボリーの布地に
金箔を貼ったカーテンで囲まれた
ソファーには、
側室たちと乳母、先皇后までが
集まっていました。
ラティルは、
赤ちゃんの名前をつけることを
今思いついたかのように
話しましたが、
実は、すでに昨日、
パーティーで赤ちゃんの名前を
発表すると、
家族と乳母に話していました。
ラティルが近づいて来ると
先皇后は、
名前を考えて来たかと
優しく微笑みながら尋ねました。
ラティルは、
みんなで相談しながら
いくつか候補を挙げたと
答えました。
それからラティルは先皇后の隣に
座ろうとしましたが、気が変わり、
ラナムンと二人用ソファーに
座りました。
側室たちの顔が同時に蠢きましたが
ラティルは気づかないふりをして
サーナット卿を見ました。
彼は、
ここにあります。
と言って、ポケットから
手帳を取り出しました。
ラティルが今日着ているドレスは、
フワフワしているので、
重さのある物を入れておくと、
あっという間に
着崩れするからでした。
ラティルが先皇后に手帳を渡すと、
彼女は乳母と頭を突き合わせて
名前を確認しました。
ラティルは、どう思うかと尋ねました。
いつの間にか他の貴族たちも皆、
その周りに集まって来ました。
全部いいと思うと
先皇后が感嘆すると、
貴族たちの頭が、
どっとそちらに傾きました。
ラティルは、
意味も良くなるよう、
皆で一生懸命名前を考えたと
話しました。
先皇后はラティルに手帳を渡しながら
どの名前にするつもりなのかと
尋ねました。
ラティルは、
自分とラナムンの名前の両方に
「ラ」が入っているので、
赤ちゃんにも「ラ」を入れてあげたいと
答えました。
ラティルは念入りに考えた
いくつかの名前を見ました。
いずれも名前に「ラ」の字が入っており
「ア」と「ニ」と「ヤ」の字がなく、
強い、強靭だと解釈される余地が
全くない名前でした。
しかし、意味は悪くはなかったので、
乳母は笑いながら、
いいじゃないですか！
と叫び、
全部きれいな名前で、
皇女様に似合っていると言いました。
ラティルは満足げに笑いながら
そうでしょう？
と返事をすると、
一番気に入った名前を
選ぼうとしました。
ところが、
ラティルが何か言おうとした時、
全ての名前の意味が
少し良くないのではないか。
とても柔弱に聞こえる。
長女で後継者になるのだから
もう少し強靭な響きがある方が
良くないか。
一つだけならまだしも
名前に一つも強靭な響きがないので
変だと言う声が聞こえて来ました。
ラティルは話すのを止めて
声が聞こえてくる方を見ました。
貴族たちは
皇帝がある場所を見つめると、
一緒にそちらを見ました。
貴族たちは
皇帝と皇帝の視線の先を
交互に見つめました。
ラティルは、
知らんぷりする代わりに、
赤ちゃんの名前が気に入らない人が
いるようだと言って、
ひそひそ話している人がいる方に
声を上げました。
笑っていた貴族たちの表情が
同時に凍りつきました。
ラティルは、
強靭で美しい名前は
彼らの子供に付けるようにと
皮肉を言いました。
その言葉に誰も口を開かず、
息さえ抑えました。
ラティルは冷たい目で
声がした方を一瞥すると、
ラナムンに、
赤ちゃんの名前は
プレラにしようと思うけれど
どう思うかと尋ねました。
ラナムンは、
皇帝の望み通りにしてと答えました。
ラティルは、
そうすると答えると、
周囲に集まった貴族たちを振り返り
自分の最初の赤ちゃんの名前は
プレラだと、満足げに叫びました。
貴族たちは、
名前がきれいだ、実に響きがいい、
ラナムンに似た皇女だと
聞いたけれど、
本当によく似合っているなどと、
いいことばかりを、
我先にと言い出し始めました。
ところが、ラティルは、
再び先程の声を聞きました。
皇帝が赤ちゃんを
憎んでいるという噂は
事実のようだ。
後継者なのに名前がプレラだなんて。
皇帝が赤ちゃんを憎んで、
ラナムンが赤ちゃんを
連れて出て行こうしたという話は
本当だろうか。
アトラクシー公爵が
すすり泣きながら
走り回ったそうだ。
ラティルは眉をひそめて
立ち上がると、
一体、誰が、しきりに名前のことで
騒いでいるのかと尋ねました。
貴族たちは同時に静かになりました。
側室たちは目を丸くして
ラティルを見上げました。
先皇后は慎重にラティルを呼ぶと、
先程から何を言っているのかと
尋ねました。
アイニがカルレインの
ストーカーをしていたことを
知らなかったとはいえ、
大神官の発言は、赤ちゃんに対して
少し前向きになろうとした
ラティルの気持ちを
後退させてしまったかもしれません。
そんなラティルを、
赤ちゃんのおむつの話で
慰めるクラインは
赤ちゃんのウンチの話題が
一番似つかわしくなさそうなのに
そのおかげで、ラティルが
少し慰められて、
きっとクラインは喜んだと
思います。
サーナット卿が
他の側室たちに気兼ねすることなく
堂々とラティルのそばにいるためには
やはり側室になるしかないと
思います。
生まれてから100日以上も
名前を付けてもらえなかった
可哀そうな赤ちゃん。
ようやく名前が決まって良かったです。
670話以降の話を先に紹介した時、
赤ちゃんの名前を
フローラとしましたが、
プレラに訂正いたします。
