外伝74話 具合の悪いナビエを、ソビエシュは応接室で心配しています。
朝の４時、まだ空が暗い頃、
ソビエシュは微動だにせず、
閉まった扉を見つめていました。
侍女たちはもちろん、
騎士たちまでも
そのような皇帝に驚愕し、
彼をチラチラ見ていました。
しかし、現実の世界で
ソビエシュが後悔していた間、
その場で、びくともせずに
何日も耐えたことがありました。
この先に、誰かいると思えば、
じっとしているのは
難しくありませんでした。
どのくらいそうしていたのか、
誰かが応接間の扉を叩きました。
扉を開けて入ってきたのは
ラント男爵でした。
彼はソビエシュを発見すると、
急いでそばに来て、
今、ラスタの具合がとても悪く、
皇帝を呼んでいると告げました。
その言葉に侍女たちは
同時に殺意に満ちた目で
ラント男爵を見つめたので、
彼は首をすくめ、
さっと後ろに下がりました。
しかし、ラント男爵が呼ぶと
いつも付いて来てくれたソビエシュは
今日は迷うことなく、首を横に振り、
皇后も体調が悪いので、
今日は皇后の面倒を
見なければならない。
ラスタのそばには、ラント男爵と
べルディ子爵夫人がいるようにと
指示しました。
ラント男爵は
何か言おうとしましたが、
侍女たちの鋭い視線を受けたため、
渋々、「はい、そうします」と
返事をしました。
ラント男爵が出て行くと、
侍女たちは数時間前より
一層、優しい目で
ソビエシュを眺めました。
ナビエとラスタが
同時に具合が悪くなった状況で、
ソビエシュがナビエを選択したので
彼に対する評価が
少し上がったようでした。
ソビエシュは、
四方から注がれる視線に
初めて負担を感じ、
姿勢を崩しましたが、
その時、ドアの内側から
小さく鐘を振る音がしました。
ソビエシュは、
急いで立ち上がりましたが、
イライザ伯爵夫人が首を横に振ると
腰を下ろしました。
イライザ伯爵夫人は扉を開けて
ナビエの寝室に入りました。
しばらくして、
寝室から出て来たイライザ伯爵夫人は
ナビエがソビエシュを呼んでいると
告げました。
ソビエシュは、すぐに寝室に入り
ベッドに近づきました。
ナビエは、汗で髪を濡らしたまま
横になっていましたが、
彼が幽霊のように近づくと
軽く笑いました。
ソビエシュは素早く枕元に近づき
大丈夫かと尋ねました。
彼は反射的に
ナビエの手を握ろうとしましたが、
彼女の手が布団の中にあったので
つかめませんでした。
ソビエシュは、
ぎこちなく手を下ろしながら
ナビエを見ました。
ナビエは、そんなソビエシュを
一緒に見つめました。
ナビエは、
ソビエシュが、一晩中、
応接間にいたことを聞いたと話すと
ソビエシュは、
皇后が心配だったと返事をしました。
ナビエは、
大したことはない。
ただの風邪だと言いました。
しかし、ソビエシュは
風邪でも辛くないかと
尋ねました。
ナビエは、
しばらく無言でソビエシュを眺め
妙な笑みを浮かべました。
ソビエシュは、
それがどういう意味なのか分からず
ボーッとしていると、
ナビエは、ソビエシュが
このまま、数日こうしているだけで
すぐにやめると思っていたと
小声で呟きました。
ソビエシュは否定しましたが
ナビエは、
今でも、そう思っているけれど、
少しは、本気なのかもしれないと
思っていると呟きました。
ソビエシュは、
切実にナビエを見つめました。
彼女に、自分が経験したことと
自分の心を、
全て見せることができたら、
彼女は、自分の言葉を
信じてくれるだろうかと考えました。
しかし、ナビエが
彼の記憶をすべて知れば、
西大帝国での皇后時代の方が
もっと気に入ったといって
彼から離れたがるかも
しれませんでした。
ソビエシュは、
こんなことを計算する自分が
情けない気がして
表情が暗くなりました。
ナビエは、そんなソビエシュを
じっと見つめながら、
いつもは元気な自分たちが、
同時に病気になったのは、
二人共、休息が
必要ということなのかもしれないと
言いました。
ソビエシュは、ナビエに
少し休むように。
皇后の仕事は自分がすると
言いましたが、ナビエは、
近くの別宮で、一週間ほど
療養して来ないかと提案しました。
ソビエシュは、
自分が何か聞き間違えたのか、
それとも、ナビエが
自分を皮肉ろうと
しているのではないかと思い、
恐怖を感じましたが、
ナビエに、
そんな気配はありませんでした。
それに気づいたソビエシュは
素早く頷きました。
ナビエも頷くと、布団の中に、
もう少し身体を入れながら、
一緒に日程を合わせることを
提案しました。
荷造りをするソビエシュの手は
せっかちすぎて、
見る人が心配になるほどでした。
カルル侯爵は、後ろから一歩離れて
直接荷造りをしているとソビエシュを
苛立たしそうに見守りました。
干渉したいことが
たくさんあったからでした。
しかし、皇后と別宮に行ってくると
浮かれている皇帝に、
別宮には何でもあるので、
身一つで行けと言うのは
難しいと思いました。
それでもカルル侯爵は、
口元を上げまま
浮かれているソビエシュを見ると
彼の皇太子時代のことを思い出し、
気分が良くなりました、
２日間に渡る準備が整うと、
ソビエシュはナビエと一緒に
別宮に移動しました。
もしかしたら、一緒に馬車に
乗って行くのではないかと
ソビエシュは少し期待していましたが、
ナビエは、
到着してから会おうと挨拶をすると
先に馬車に乗り込み、
すーっと去ってしまいました。
ソビエシュは出発した馬車の後ろを
寂しそうに眺めていましたが、
こんなことをしている場合ではないと思い
自分も急いで馬車に乗り込みました。
別宮に行っている間、
あの浮気者王子が
ナビエに近づくとは思わないけれど
早く彼女に付いて行き、
一時も離れてはいけないと
思いました。
カルル侯爵は、
嬉しそうに笑いながら手を振って
挨拶をしました。
ソビエシュは、
急ぎの知らせがあれば伝えてくれと
指示しました。
宮殿から別宮までは、
12時間の距離でした。
馬車が動き始めると、
ソビエシュは窓を大きく開けて
通りを眺めました。
冷たい風の間から、
活気に満ちた街の匂いがしました。
ソビエシュは胸がどきどきし、
思わず口元に笑みを浮かべました。
懐中時計は、ずっと止まっていて
ナビエは、少しだけれど、
彼に機会を
与えようとしていました。
こんなに幸せな時間は
何十年ぶりのことでした。
別宮に着くや否や、
ソビエシュは馬車から降りて
ナビエを探しました。
ソビエシュは、別宮の管理責任者に
ナビエの居場所を尋ねると、彼は、
皇后は10分ほど前に到着した。
部屋で休んでいると思うと答えました。
ソビエシュは、
荷物を片付けるよう指示すると、
すぐに、ナビエが泊まる部屋へ
行きました。
扉を叩くと、しばらくの沈黙の後、
ナビエが直接、扉を開けました。
ソビエシュは、
ナビエと顔を合わせるや否や、
彼女の名を呼ぶと、
ナビエは、しばらく彼を
静かに見つめた後、
彼を部屋の中に入れました。
ナビエは、
下女たちが部屋の片づけをしているので
ほこりが少し飛んでいると思うと
言いましたが、皇帝夫妻が、
一週間滞在するということで、
すでに部屋は、
きれいに片付いていました。
だから、荷物を片付けるのに
ほこりが飛ぶはずが
ありませんでしたが、
ソビエシュは、
それを問い詰める代わりに、
素直にナビエの後に続いて
部屋の中へ入りました。
別宮で働く下女たちは、
好奇心に満ちた目で
その様子を見ていました。
離婚直前まで行ったという
皇帝夫妻の雰囲気が、
思ったより悪くなかったので
不思議に思いました。
ナビエはソビエシュに
椅子を勧めました。
ソビエシュはここに来ると、
良い思い出と悪い思い出が
同時に浮かんで来ました。
グズグズしながら
椅子に座ったソビエシュは、
ナビエと一緒に来た
ジュベール伯爵夫人が
お茶を運んで来ると、
受け取りました。
ソビエシュは、
ナビエは飲まないのかと尋ねると
彼女は、先に一杯飲んだと
答えました。
ソビエシュは頷くと、
フーフー吹きながら、
茶を飲んでいましたが、
自然に浮かび上がってくる
笑みを隠すために、
そして、彼はナビエを
乗馬に誘いましたが、ナビエは
ずっと馬車に乗って来たのに
乗馬をするのかと反対しました。
ソビエシュは、
明後日辺りにどうかと
再び誘いましたが、
ナビエは、
必ずゆっくり休んでくるよう
宮医に言われたので、
無理をしないで休んで行こうと
断りました。
ソビエシュは、
皇后の言うことが正しいと言いました。
ジュベール伯爵夫人は
呆れて大笑いしそうになり、
これ以上耐えられなくなると、
急いで外に出て、
音が聞こえない所まで行き、
ようやくお腹を抱えて笑いました。
今、侍女たちの間では
皇帝の頭がおかしくなったという
イライザ伯爵夫人の仮説が
最も大きな支持を得ていました。
その夜、ナビエは、
ハインリ王へ送った謝罪の手紙を
彼が無事に受け取ったかどうか
気になっていました。
離婚直後、
彼女が再婚承認を要求すれば
姿を現すことになっていた
ハインリ王は、
突然離婚が中止になったので、
姿を現すことが難しくなりました。
元々、彼は
公式的に来たわけではないので、
なおさらでした。
事態が沈静化する頃、
ナビエは彼に謝罪の手紙を書いて
送りましたが、
まだ返事が来ないため、
彼がまだ、ここにいるのか
それとも帰ったのか
分かりませんでした。
その時、ナビエは
鳥が悲しそうに鳴く声をを聞いて
立ち上がりました。
それは、クイーンの声みたいでした。
もしかしたら、以前のように
クイーンが来たのかと思い、
ナビエは窓際に行ってみると、
かなりクイーンと似ている鳥が
飛び跳ねながら走っていました。
なぜ鳥が走っているのか、
ナビエは不思議に思っていると
その後を、青い鳥が
急いで追いかけていました。
まるで童話のような光景に
ナビエは戸惑っていましたが、
冷たい風が入って来て、咳が出ると
窓を閉めてカーテンを引きました。
ナビエは、寝るために
ベッドの中へ入ろうとしましたが、
ふと、ソビエシュが
一晩中、応接室のソファーで
自分が大丈夫かどうか
待っていたという話を
思い浮かべました。
一体、彼はどうしたのか。
そんなことを考えているうちに
眠れなくなったナビエは、
風に当たろうと思い、
マントを羽織って
寝室の外に出ました。
ところが、思いがけず
ナビエの寝室に続く
応接間のソファーで、
ソビエシュが寝ていました。
呆れたナビエは
ソビエシュを起こすために近づき、
彼を揺すろうとして
腰をかがめましたが、
ソビエシュの目元から頬に流れた
涙の跡を見て手を止めました。
一体どうして、彼は泣いていたのか。
ナビエには、
ソビエシュがなぜ泣くのか
全く理解できませんでした。
自分のせいで泣くとは
思えなかったので、
ラスタのせいか、
それとも、彼女のお腹の中の
子供のせいかと、訝しみながら
彼を眺めていましたが、
ここで寝てはいけないと思い、
彼を起こそうと手を伸ばしました。
しかし、手が届く前に
ソビエシュの目から
再び涙が流れ落ち、
ナビエ、ナビエ。
戻って来てください。
ごめんなさい。
ナビエ、行かないでください。
と、切迫した小さな声が
漏れました。
時々、寝言のような
理解しがたい声も聞こえてきましたが
ほとんどは、彼女の名前と
戻ってきてほしいという哀願と
謝罪でした。
その声を聞いたナビエは、
さらにソビエシュを
理解できなくなりました。
彼は本当に
申し訳ないと思っているのか。
彼が自分に
申し訳ないと思うことが
ないというわけではないけれど
反省の気配など微塵もなかった彼が
突然このように
切実に哀願することが
信じられませんでした。
一体、何が彼を
このようにしたのか。
複雑な目で彼を眺めていたナビエは
ため息をつくと、部屋に戻り
布団を持ってきて彼にかぶせました。
ソビエシュは
微かにうめき声を上げながら
寝返りを打ったので、
頬と目元の涙に
髪の毛が張り付きました。
ナビエは注意深く手を伸ばして
その髪を退かしました 。
二人で一緒に木を植えた
あの日のように、
自分たちは本当に
元に戻ることができるのだろうか。
ナビエはソビエシュに囁きました。
瞼の上に日が差したので、
ソビエシュは眉をひそめて
起き上がりましたが、
自分に掛けてある布団を発見して
目を見開きました。
この布団は、
昨夜ナビエの寝室に入った時に見た
あの布団でした。
ナビエが掛けてくれたのか。
ソビエシュは胸が高鳴り、
布団を抱いて立ち上がりました。
ほぼ同時に、
ナビエが寝室の外へ出て来ました。
彼女は彼を見ると、
これからは部屋の中で寝るようにと
冷たく言いました。
ソビエシュは、「一緒に？」と
尋ねましたが、ナビエは
「陛下の部屋で」と答えました。
ソビエシュはがっかりすると、
ナビエは、
体調が悪いから療養に来たのに、
そんなことをすれば、
もっと身体の調子が悪くなると
言いました。
ソビエシュは、
分かったと言いながらも、
今日は、
当直する侍女たちがいないので、
ナビエが病気になったら
駆けつける人がいない。
だから、ここで少し
待機しようと思ったと
言い訳をしました。
ナビエは、
具合が悪かったら下女たちを呼ぶ。
そのために鐘がついていると
言いました。
ソビエシュは、
「そうですね。」と
ナビエの言葉に同意しましたが、
彼女が呆れるように微笑むのを見ると
思わず口角を上げてしまいました。
自分がバカだと
思われたくなかったけれど、
彼女の態度に、
少し希望が湧いたからでした。
ところが、その時、
廊下からドカドカと大きな足音がして、
扉がバタンと開くと、
カルル侯爵が入って来ました。
ソビエシュは、
どうしたのかと尋ねると、
カルル侯爵は青ざめた顔で、
ラスタの具合がとても悪く、
流産する恐れがあると報告しました。
最初、ラント男爵が
ナビエの部屋の扉を叩き、
扉を開けて入って来たことに
違和感を覚え、
そして、最後のシーンで
カルル侯爵が
扉をバタンと開けて
ナビエの部屋に入って来たことにも
違和感を覚えました。
通常、来訪者がある時は、
侍女たちがナビエに、
入れてもいいかどうか
確認するものですが、
ラント男爵とカルル侯爵は
そうすることなく入っています。
もしかしたら、作者様は、
その部分を省略しただけなのかも
しれませんが、
何かの伏線であるような気もします。
