440話 ラティルがドミスの転生であることを、とうとうアニャは知りました。
◇アニャの確信◇
アニャは、ラティルから、
行くところはあるか。
アニャが望むなら、
自分の方へ来てもいい。
家が大きいので空き部屋が多いと
言われたことを、
歩きながら思い出しました。
ラティルの言葉は、
アニャの心を揺さぶりました。
そこへ行けば、カルレインや、
彼の連れている傭兵たちなど、
昔の仲間が揃っていました。
狐の仮面も、
そこにいるかどうかは
分かりませんが、
とにかく会えると思いました。
しかし、アニャは
断らざるを得ませんでした。
ラティルは意外な表情をしましたが
アニャドミスにも
ドミスの記憶があるし、
とうもろこしパン一つで、
アニャに自分を信じてもらうのは
無理があるだろうと言って、
ラティルは無理矢理、納得しました。
どうやら、ラティルは
アニャが自分を信じていないと
思っている様子でしたが、
実は、そうではありませんでした。
アニャが「ドミス」だと思ってきた
その人も、ドミスの記憶を
全て持っているのは事実。
しかし、目利きの狐の仮面が、
皇帝とその「ドミス」の
両方に会っているのに、
皇帝の方へ行ったのは
皇帝の方が本物だと判断したから。
ドミスと恋人同士だったカルレインや
レッサーパンダの仮面も同じ。
さらにメラディムは
側室になっている。
対抗者の隣にいるはずのギルゴールまで
側室になっているのは
訳が分からないけれど、
とにかく、あの皇帝に何かあるから、
皆、彼女の方へ集まったと
アニャは考えていました。
それにアニャ自身も
「ドミス」が変わったとと
感じていました。
でも、それは、500年もの間、
棺の中にいたせいだと、
1人で納得していただけでした。
アニャは、500年間、
辛い思いをしながら
ドミスのそばにいたのに、
それが他の人だったと知って
全てに虚しさを感じました。
育った環境が違うせいか、
皇帝は、
アニャが彼女の元へ行くことを拒んでも
寂しがりませんでしたが
もし、これがドミスなら、
彼女は、一時、自尊心が低かったので、
自分に至らぬところがあるせいだと
自責したはずでした。
そのドミスに慣れているアニャは
皇帝が心の中で
寂しがっているかもしれないと思い、
アニャが皇帝の申し出を断ったことに
彼女は理解を示してくれたけれど、
今、皇帝が危険な状況なら、
こんなことは考えない。
皇帝の周りには味方が多く、
元気そうなので安心だと言いました。
ラティルは、
アニャの考えが変わったら
いつでも来るよう言いました。
魂が同じとはいえ、この皇帝も、
棺桶の中にいたドミス同様、
以前のドミスとは
かなり違っていました。
外見も全く違うし、
性格もほとんど違っていたので、
最初、アニャは驚きましたが、
とにかく、転生したドミスが
思ったより豊かに
暮らしているようなので、
むしろ、それで少し安心しました。
アニャは、自分がそばにいて
守り続けたドミスの身体を
一体誰が占めていたのか。
その人も、
仕方なく閉じ込められていたのか
気になりました。
◇メロシー領地へ◇
タッシールは、
今は何もできないことを知ると
旅館に部屋を取って風呂に入り、
数日ぶりにベッドに横になりました。
しかし、
疲れが山ほど溜まっているのに
なかなか眠れませんでした。
タッシールは横になったまま
空中に字を書きながら
考えを整理し始めました。
サーナット卿が隠した情報を
探すのと同じくらい、
アナッチャやトゥーラ皇子を
探すのは難しい。
アナッチャは、
指名手配されているのに、
よく逃げているし、
トゥーラ皇子は食屍鬼になったので
捕まえることも難しい。
とりあえず、その二人を探すのは
黒林と商団の方に
任せようと思いました。
そして、元々、あれこれ調べ歩くのが
好きなタッシールは、
メロシー領地に行くことにしました。
先帝が預けた情報は、
すでにサーナット卿が
隠しているだろうけれど、
それでも行ってみるべきだと
思いました。
◇美しいゲスター◇
一方、ラティルは
年末祭の最後の恒例行事を行うために
神殿に行く準備をしていました。
侍女たちは、普段は楽な制服姿の
ラティルを目が眩むくらい
華やかに着飾らせました。
彼女たちは、もう誰が見ても、
ラティルは皇帝のように見えると
褒め称えました。
しかし、ラティルは鏡を見ながら、
黒魔術師のゲスターが
神殿へ行っても大丈夫なのか、
ずっと心配していました。
彼は、吸血鬼たちとは違い、
お守りを触っても大丈夫だし、
大神官からも
治療を受けたことがあるけれど、
それでも、やはり少し心配でした。
けれども、ラティルの悩みは
馬車に乗るために階段を下りている時、
普段よりずっと華やかに着飾って
立っているゲスターを見た時に
一気に吹き飛び、
ラティルの美意識が
万歳と叫びました。
目鼻立ちはそのままなのに、
今日のゲスターは
いつも以上に眩しく見えました。
ゲスターは、ラティルを見ると、
トゥーリが飾り過ぎたようだけれど
似合っているかと、
顔を赤く染めながら尋ねました。
ラティルの美意識が
再び万歳と叫びました。
そして、神殿に集まった人々も
ラティルがゲスターを連れて
馬車から降りると、
ラティルと同じくらい、
ゲスターの姿に感嘆していました。
ラティルは笑いながら
ゲスターにそれを告げると、
彼は首筋まで真っ赤にして、
ラティルの手の先を握りました。
高位神官の後について、
ラティルと歩いていたゲスターは
他の人たちに聞こえないくらい
小さな声で
自分は恥ずかしがり屋だけれど、
ラティルのそばにいるためなら、
いつでも勇気を出すと囁きました。
ラティルは目頭が熱くなり、
ゲスターの手をぎゅっと握りました。
◇黒くなった剣◇
一緒に木を一本ずつ折り、
祭壇の前で並んで祈りを捧げ、
豊かさを象徴する食べ物を食べて
鐘を鳴らすなど、
様々な儀式を行った後、
ラティルは、
父親とここに来た時の記憶によれば、
これで、儀式は
ほとんど終わりだと思い、
ゲスターに、
それを告げようとしたところ、
高位神官が急いで近づいて来て、
もう一つ儀式が残っていると
告げました。
ラティルは、
それは何かと尋ねると、
高位神官は、
聖水に浸した剣身の上に
キスをすると答えました。
ラティルは、
その儀式をした記憶がなかったので
以前は、なかったのではないかと
眉を顰めながら尋ねました。
高位神官は、世の中が乱れ
ざわついている時にだけ
追加する行事で、
一番最後にこの行事をしたのが
皇帝が生まれた年なので、
皇帝は初めて見ることになると
告げました。
そして、高位神官は
ゲスターとラティルを
高い壇上に連れて行きました。
そこには、両端が窪んでいる
白い石のテーブルがあり、
窪んでいる部分に、銀色の剣が
1本ずつ置かれていました。
剣は半分ほど
聖水に浸かっていました。
高位神官は、
剣を持ち上げたら、
剣身に軽くキスをして
剣を下ろすように。
悪いオーラが逃げて、
良いオーラだけを
取り込むという意味だと
説明しました。
見物するために集まった人々は
出て行く途中でしたが、
行事がまだ終わっていないことを
一歩遅れて知ると、
また戻って来ました。
ラティルは、
すぐに儀式は終わりそうだけれど、
剣身にキスをすれば
聖水も口の中に入るのではないか。
飲んでも大丈夫なのか考えながら
ゲスターをちらりと横目で見ました。
今までの儀式は、
全て大丈夫でしたが、
彼は黒魔術師なので、
この儀式についても心配でした。
しかし、ゲスターは
恐れる気配はありませんでした。
高位神官に促された、
ラティルとゲスターは
剣を両手で持ち上げると、
銀色の剣身の表面にキスをしました
聖水は塩水ではないかと思うくらい、
とても塩辛い味がしました。
ラティルと同じ行動を終えた
ゲスターと目が合うと、
彼はにっこり笑ったので、
ラティルも一緒に笑いました。
最後まで、
無事に儀式を終えることができたと
ラティルは、安堵しましたが、
視線を下げると、
自分がキスした銀色の剣が
黒く染まっていたので
ぎょっとしました。
下から眺める見物人たちは、
その変化に、
すぐには気づきませんでしたが
近くで儀式を助けていた
高位神官たちは、
剣の色の変化に気づき、
驚いて視線を交わしました。
彼らの様子を見ていた人々も、
何か変だと気づき、
ざわめき始めました。
ラティルは剣を聖水の中へ置きました。
すると、今度は
聖水まで黒くなり始めました。
ゲスターは目を見開いて
ラティルの聖水を見つめました 。
聖水は、観客の目からは見えないので
騒ぎにはなりませんでしたが、
神官たちは、尻込みしながら
ラティルを見ていました。
すると、ラティルが、
突然、ゲスターの聖水を
一滴指につけて
口に持って行ったので、
神官たちは、さらに怖くて
耐えられなりました。
ところが、ラティルが
普段、聖水はどんな味がするのかと
尋ねたので、彼らは驚きました。
ラティルとゲスターを案内した
高位神官は、
普通の水の味に近いけれど、
それがどうしたのかと尋ねました。
ラティルは、
自分の聖水は、
ひどく塩辛い味がした。
誰かが自分の聖水に
何かしたようだと主張しました。
ようやく、
見物していた人たちも驚き、
ざわめき始めましたが、
その中から、
クソッたれ。
あれをすぐ飲んで確認するなんて、
中に何が入っていると
思っているのか。
頭がおかしいのか?
と、聖水を塩辛くした犯人が
心の中で叫ぶ声が
聞こえて来ました。
ラティルが目配せすると、
サーナット卿は大きな声で、
皇帝が使用する聖水に
故意に変なものを入れた者がいる。
犯人が観衆の中に
紛れ込んでいるかもしれないので、
しばらく出入りを禁止すると
叫びました。
人々のざわめく声が
さらに大きくなりました。
ラティルは、
彼らを一度じっと見てから
サーナット卿を呼び、
犯人は2時の方向に立っている
あの緑色のマントの男だと
告げました。
ラティルが堂々と
犯人を知らせたので、
高位神官たちは、さらに驚き、
サーナット卿も
不思議そうな視線を送りました。
ラティルは、
あの人が緊張して
自分が犯人だと心の中で叫んでいると
説明する代わりに、
口元を袖で拭きながら
祭壇の後ろにある扉から出て、
控え室で待っていました。
しばらくすると、
サーナット卿と高位神官たちが
そこへ入って来て、
ラティルの言う通り、
そそのかされて、
聖水に薬を入れた人がいたと
知らせました。
ラティルは、
なぜ色が変わったのかと尋ねると、
サーナット卿は、
ラティルが先に食べた食べ物と反応して
黒く変わったと答えました。
ラティルは、
そんなことをした理由を
聞いたのかと尋ねましたが、
サーナット卿は、
さらに問い詰める前に、
犯人は、自決したと答えました。
ラティルは、
分かったと答えると、
自分の首の後ろを揉みました。
高位神官たちは、
神殿で準備した物品に
侵入者があんなことをしたので、
皇帝が怒り、自分たちにまで
責任を問うのではないかと思い
彼女の顔色を窺っていましたが
ラティルは、
神官たちが目に入りませんでした。
むしろ、ラティルは、
以前、自分を先帝暗殺の元凶だと
主張していた、
あのメモのことを思い出していました。
あのメモは、
誰でも見られる所に置いてあり、
今回は、あえて人前で
ラティルの剣を黒くした。
方法は全く違うけれど、
どちらもラティルに
危害を加えるのではなく、
彼女に問題があるように
見せかけている点が
似ていると思いました。
それに、
先程、集まっていた人たちが
騒いでいた時、
誰かが、そのメモのことを
思い浮かべていました。
もしかして、
同じ犯人なのだろうか。
それは分からないけれど、
今日の仕事を指示した犯人は、
自分の正体を
漠然と疑っているようだと
思いました。
◇途中下車◇
ラティルと一緒に来た一行の半分は、
事件の後処理をするために残り、
ラティルは残った人たちを連れて
馬車に乗り込みましたが、
行く時とは異なり、
帰りの雰囲気は暗く、
人々は、皇帝の顔色を窺って、
まともに話すことができませんでした。
これは、
暗殺未遂ではないけれど、
笑って済ませられることではない。
皇帝は、他の聖騎士団長に
暗い存在と結託しているという誤解を
何度も受けたのに、
誰かが故意に、再び皇帝を、
そのように追い込もうとしている。
しかも、
この神殿の行事に参加した人たちは
自国民だけだったと考えていました。
ラティルも
やはり考え込んでいたため、
向い側で、ブルブル震えている
ゲスターの面倒を見ることができず
一人で眉をひそめていると、
ゲスターが慎重にラティルを呼び、
ここで降りてもいいかと
消入りそうな声で尋ねました。
その言葉にラティルは当惑し、
こんな所で降りるのかと
聞き返しましたが、
ゲスターは、聞きとりにくい声で
色々、言い訳を並べ立てました。
ラティルは不思議に思いましたが、
馬車を叩いて止めました。
ゲスターは挨拶をすると、
ぐずぐず馬車の外に出て、
路上を歩いて行きました。
そして、恥ずかしそうに
何歩か歩いて行き、
人混みの中に入ると、
宙から狐の仮面を取り出して
かぶりました。
アニャは、
ドミスの代わりに
棺の中に閉じ込められていた
誰かのことが気の毒で、
その人を助けてあげたいと思い
ラティルの元へ留まることを
断ったのかもしれませんが、
本物のドミスの他に、
ドミスの記憶を持っている人が
一体誰なのか、
推理力を働かせれば
分かるような気がします。
けれども、500年もの間、
辛い思いをして守っていたのが
対抗者のアニャだなんて、
微塵も考えたくないのかなと
思います。
ラティルはロードなので、
ゲスターの心配よりも、
自分の心配をしなくては
いけないのではないかと
思いましたが、
まだ、覚醒していないし、
以前も、父親と一緒に
儀式を行ったことがあるので
自分は大丈夫だという確信が
あったのではないかと思います。
剣が黒くなった時も
焦ることなく冷静に
対処したラティルは、
皇帝としての風格が
増してきたと思います。