431話 午前中、仕事をしているラティルの元へ侍従がやって来ました。
◇性格はゴミ◇
侍従は、廊下でゲスターが、
ずっと立ったり座ったりを
繰り返していることを、
ラティルにそっと教えると、
彼女は、彼を中へ入れるよう
指示しました。
侍従が出て行くと、
しばらくして、
廊下で運動していたと言う
ゲスターが、もじもじしながら
中へ入って来ました。
ラティルはゲスターに座るよう
手で合図し、
どうしたのかと尋ねました。
ゲスターは椅子に座りましたが、
手を揉み合わせているばかりで
すぐに答えることが
できませんでした。
廊下で立ったり座ったりを
繰り返しているという話を
聞いた時から、
ラティルはゲスターが、
簡単に口を開かないだろうと
思っていたので、
ゲスターの心の準備ができるまで、
書類をもう一つ見ました。
それから顔を上げると、ゲスターは、
全速力で走るカタツムリのように
今年の年末の祭に
自分と一緒に神殿に行くのは嫌かと
尋ねました。
ラティルは
数日前、 ゲスターが
年末の祭りのことで、
何か言おうとしていたけれど、
ガーゴイルの登場で
話が途切れたことを思い出しました。
その後も、色々な仕事が忙しくて
すっかり、そのことを忘れていました。
ラティルは迷わず、
ゲスターに言われなくても
彼と行きたかったと答えました。
ゲスターの顔が明るく輝くのを見て、
ラティルは、
昨日タッシールに会えなくて
良かったと思いました。
昨日、タッシールと話をしているうちに
彼と一緒に神殿に行くと約束していたら
ゲスターは、
とても悲しんだと思いました。
ガーゴイルの件では、
ゲスターが、本当にたくさん
助けてくれたので、
ラティルは、こんなに事がうまく運び
良かったと思っていました。
ゲスターを候補者から外したのは
彼が人前に出るのが
嫌なのではないかと思っただけなので、
本人が良ければ
問題ありませんでした。
ゲスターは、
ラティルに嫌がられたら、
どうしようかと心配していたと言って
両手を合わせてもぞもぞしました。
まるで、大きな犬が
ウロウロしているようで
ラティルは心を打たれました。
ラティルはゲスターに近づき、
彼の手を握って2回叩くと、
こんなに愛らしいのに、
なぜ自分がゲスターを嫌がるのかと
笑顔で言いました。
ゲスターは、
自分が愛らしいのかと尋ねました。
ラティルは、
自分会ったすべての人の中で
一番愛らしいと答えました。
ゲスターは、
人間の中だけかと尋ねました。
ハーレムの中に、
人間でない人が何人かいることに
気づいたラティルは
吸血鬼とガーゴイル、人魚を含めて
ゲスターが一番愛らしいと答えた後、
意外にもゲスターは、
こういうことに対して、
徹底的に範囲を確認すると
指摘しました。
ラティルの言葉にゲスターは
耳まで赤くし、
他の種族がとても多いからと言って
ニッコリ笑いました。
ラティルはその姿を見て
ゲスターと一緒に笑うと、
この前の秋祭りはラナムンが担当し
準備してくれたので、
今年の年末の祭はゲスターに
準備をして欲しい。
神殿にも一緒に行くので、
彼が担当するのが妥当だと思うと
話しました。
ラティルは、
仕事だけ他の人に任せて、
ゲスターを神殿に連れて行けば
その人が可哀想だと思い、
ゲスターに頼んだものの、彼が、
そんなことはできないと断ったら
どうしようかと思いました、
しかし、幸いにもゲスターは
すぐに承知しました。
ラティルは、
以前、タッシールとゲスターが
即位祝賀パーティーの準備を
したことを思い出し、
ゲスターに、準備を頼むと告げ、
彼の肩を叩くと、
再び机に向かって歩き出しました。
ゲスターは、
その後ろ姿を見ながら、
ラティムに叩かれた肩を
恥ずかしそうに見ました。
その後、気分良く外へ出て
廊下を歩いていると、
向こうからタッシールが
歩いて来るのが見えました。
その後ろを、
いつもより少し険しい顔をしている
ヘイレンが付いて来ていました。
トゥーリは舌打ちしながら
あの主従は、二人とも
目の下が窪んでいると呟くと
ゲスターは、
そんなことは言わないようにと
注意しました。
トゥーリはゲスターに
謝りましたが、
2人共、そうなのが不思議だと
言い訳をしました。
ゲスターは首を振って、
言葉に気をつけろと合図した後、
タッシールに頭を下げて挨拶し、
二人の前を通り過ぎようとしました。
しかし、完全にすれ違う前に、
タッシールは歩きながら、
性格はゴミだけれど、
愛は真面目だよねと尋ねました。
ゲスターは立ち止まり、
ゆっくりと横を見ました。
タッシールも立ち止まり、
ゲスターに向かって笑っていました。
◇とうもろこしパン◇
光が一筋だけ注ぐ薄暗い洞窟の中で
アニャはタリウムの首都へ行った時に
手に入れた新聞を読んでいると、
ドミスが、ずっと空中を見て
笑っているので、
アニャは不思議に思いました。
せっかく手に入れた
黒魔術師のアナッチャに
逃げられたので、
怒ると思っていたのですが、
最初の数日間、怒っただけで、
意外とドミスは、
よく笑っていました。
アニャはドミスに、
なぜ、笑っているのか。
何かいいことでもあったのかと
尋ねました。
ドミスはアニャを振り返り
ニヤリと笑うと、
最近ずっと気絶していないと
秘密を打ち明けるかのように
答えました。
アニャは、
元々、長くても数週間は
気絶していなかったので、
まだ確信するのは早いのではないかと
心配しました。
しかし、ドミスは
満足げに笑って棺桶の上に横たわり、
太陽に向かって腕を高く伸ばすと、
今回はいい感じがする。
最近、血を飲んだからかもしれない。
目をつぶって飲んだけれど、
飲んでよかった。
また、飲むことを考えると
ぞっとするけれどと返事をしました。
アニャは呆然として
「そうですか」と答えると、
再び新聞に視線を落としました。
しかし、ドミスがよく飲んでいた血を
なぜ、今になって、
あんなに嫌がるのか。
500年間棺桶に閉じこめられて、
食性が変わったとしても、
あれは本能と逆行している
レベルではないかと
不思議に思いました。
アニャ自身は、
500年間、棺桶のそばで
ドミスと一緒に
時間を過ごして来たけれど
食性はそのままでした。
血を飲み、
人間の食べ物の中では
とうもろこしパンが好きでした。
それなのに、ドミスは
なぜ急に食の好みが変わったのか。
それについて考えているうちに
アニャは、カルレインに会うために
タリウムの宮殿へ行った時に、
ロードの可能性のあるタリウム皇帝が
アニャに、とうもろこしパンを
持って来て欲しいと言ったのを
思い出し、目を見開きました。
なぜ、あの皇帝は
自分がとうもろこしパンを
好きだということが分かったのか。
皇帝は、アニャが
とうもろこしパンが好きだから
持って来るように
言ったわけではなく、何も聞かずに、
アニャに、とうもろこしパンを
持って来るよう言っただけで、
偶然かもしれないと思い、アニャは
気にも留めませんでしたが、
あの皇帝が、
新しいロードかもしれないと考えると
そのことが改めて怪しく思えました。
あの皇帝はロードだけれど、
ドミスの転生でないなら、
一体どうやって、自分が
とうもろこしパンを好きなことを知り
それを、すぐに口にしたのか。
もし、あの皇帝が
新しいロードではなく
ドミスの転生だとしたら・・・
アニャは、
意味もなく新聞を一枚めくり、
ゆっくりと目を上げて
ドミスを見ました。
彼女もアニャを
無表情に眺めていました
目が合ったにもかかわらず
ドミスの表情は依然として
変化がありませんでした。
アニャは、
再び新聞をめくりながら
唾を飲み込みました。
それでは、あれは誰なのかと
考えました。
◇ゲスターへの疑い◇
タッシールは、
ニコニコ笑いながら
全くわけが分からないという目で
自分を見つめるゲスターを
一緒に見つめました。
ヘイレンは、
なぜ、タッシールは
通りすがりに喧嘩をするのかと
心の中で嘆きましたが、
彼は、無条件にタッシールの味方に
ならなければならない立場なので、
ひとまず、じっとしていました。
タッシールは、
純真極まりないゲスターの目を
注意深く観察しました。
実は、タッシールは、
黒魔術師のゲスターが
先帝を暗殺した真犯人を知りながら
隠しているかもしれないと疑い
あのような質問をしたのでした。
先帝の墓の毀損事件の後、
先帝の暗殺犯だと言って現れた
偽犯人は呪われていて、
トゥーラがロードと叫びながら
死んだ。
しかし、トゥーラは
本物のロードではなく、これは
彼をロードに仕立てあげようとした
者たちの仕業で、
本物のロードの側にいる者たちが
やった可能性が高い。
現在、タッシールが知っている
ロードの支持者たちの中で
呪いをかけられるような黒魔術師は
ゲスターだけなので、
彼を疑わざるを得ませんでした。
もちろん、それだけで
彼が暗殺と関連があるとは
思えないけれど、
「呪われた偽暗殺者」に限定すると
最も怪しい人はゲスターでした。
しかし、それでも
相変らず分からないのは、
皇帝が犯人だと書かれたメモを
誰が置いて行ったかでした。
その時、 黙ってタッシールを
じっと見つめていたゲスターが
照れくさそうに笑うと、
そんな心配をしないで死になさい。
とタッシールの耳元で囁きました。
その言葉に戸惑ったタッシールは、
なぜ自分が死ぬのかと
問い返しましたが、
ゲスターは口元を覆って笑い、
普通、そんなことを言ったら
死ぬんですよ。
と答えると、
タッシールに背を向け、
廊下を歩いて行きました。
トゥーリも、すぐにその後を
付いて行きました。
遠ざかるゲスターの後ろ姿を見て、
タッシールは、
本当に性格が魅力的だ。
あの二面性な点が
とても気に入っていると、
驚いているヘイレンをからかい、
先を進みました。
◇曖昧な返事◇
タッシールがやって来ると、
彼が自分を訪ねて来た理由を
知っていたラティルは、
彼を中へ入れましたが、
彼女が口を開く前に、タッシールは、
前日、彼女が
自分を訪ねて来た理由を聞きました。
ラティルは、
年末の祭りの相談をするために
訪ねたけれど、
ゲスターに任せることにしたので
大丈夫。
彼は、ガーゴイルの件で
手伝ってくれて大変だったので
恩返しのつもりで
彼を神殿に連れて行く。
年末の祭りもゲスターに
任せるけれど、
もしかして、寂しくはないかと
尋ねました。
一見、全然寂しそうに
見えないタッシールは、
自分は大丈夫。
ちょうど、その日は仕事があって
他の所に行かなければならないと
返事をしました。
タッシールに寂しくないと言われて
ラティルは安心しましたが、
年末の祭りの日に
仕事があると言うのを
疑問に思いました。
しかし、タッシールは
商人にとって、年末は
あれこれしなければならないことが
多いので、一番忙しい。
以前は、商団で
事前に仕事を済ませていたけれど
今回はそうではない。
ここでもずっと、
仕事をしていたけれど、
以前ほど、できていないと
説明しました。
ラティルはタッシールに
仕事へ行くのかと尋ねました。
タッシールは、
あれこれやることが多いと
答えましたが、何をするのか
きちんと話さないので、
仕事に行くのかどうかも
曖昧に聞こえました。
ラティルは、その姿に緊張し、
タッシールは、
もしかして、拗ねているのかと
尋ねました。
彼は、
もちろん、拗ねている。
どうして分かったのかと
答えましたが、行動とは違って
全く拗ねていない声に
ラティルが笑うと、彼は腕を組み、
拗ねていないので
心配しないで欲しい。
本当にやるべきことが多いと
ラティルに真剣に話しました。
ラティルは、
残念だと返事をした後、
前日の夜、どこへ行ったのか
尋ねました。
タッシールは、
以前、ラティルに調査を命じられた
先帝陛下の墓の毀損と暗殺の件で
少し問題が生じたと答えました。
気弱な人が、仮面を付けたことで
別人になれたような気がし、
いつもの自分とは違う
思い切った行動が
できるようになるというのは、
あり得ないことではないけれど
狐の仮面をかぶった時のゲスターと
普段のゲスターの差が
あまりにも違い過ぎることを
ラティルが、
それ程、変に思っていないのが
不思議です。
もっとも、ラティルの周りには
吸血鬼や人魚、
ギルゴールのように、
突然、精神がおかしくなる
吸血鬼がいるので
それに比べれば、
人格が変わることなんて、
大したことがないと
思っているのかもしれません。
けれども、ラティルの前では、
彼女のいないところで、
タッシールに恐ろしい言葉を吐く現場を
彼女に見せたくなります。
ラティルとゲスターの
イラッとした会話の後に、
安心感のある
彼女とタッシールの会話が出て来て
良かったと思いました。
そして、
タッシールの推測のおかげで、
ようやくここへ来て
偽の暗殺犯を仕立てたのが誰なのか
分かった気がしました。