769話 運命が変わったかどうか確かめるために、ラティルはラナムンと対戦することにしました。
◇勝ったと思ったのに◇
ラナムンが木刀を持って構えると
ラティルは、
すぐに飛びかかりました。
木刀でも、
頭や首を狙うのは危険なので、
肩を狙いました。
ラナムンは木刀を防ぐ代わりに、
前に出て木刀を避けました。
ラティルは、
すぐに向きを変えました。
しかし、
ラティルとの距離を縮めたラナムンは
木刀を前に上げて
急襲を試みました。
2人の木刀がぶつかると、
腕が振動しました。
ラティルは反射的に
ラナムンを蹴飛ばすところでした。
実戦ならそうしただろうけれど
膝が触れる位置にあるのは
ラナムンの顔でした。
ラティルは足を使う代わりに
ラナムンの頭を
丸ごと抱え込みました。
まさか頭を抱えられるとは
思わなかったので、ラナムンは
その場でうろうろしました。
ラティルはラナムンの頭を
しっかりと抱えたまま
降参して!
と命令しました。
その後も、ラティルは、
早く、早く!
と催促し続けると、
ラナムンの動きが止まりました。
こっそり下を見ると、
彼は、その姿勢のせいで
プライドが傷つけられたようでした。
それでもラティルは
ラナムンを放すことなく、
しっかり彼をつかんで耐えました。
実戦ではなかったせいか、
ラナムンは素直に諦め、
分かりました。
自分が負けました。
と言うと、
木刀をさっと遠くに投げました。
その言葉が嬉しかったラティルは、
本当に運命が変わったようだと言って
笑った瞬間、
何かがラティルの後頭部を
強打しました。
ラティルはよろめいて、そのまま
ぐったりと倒れてしまいました。
ラナムンは立ち上がると
思わずラティルを抱きしめました。
陛下?陛下!
と彼が慌てて叫ぶと、
二人を見守っていた
サーナット卿が近づいて来て、
ラティルをさっと抱き上げました。
慌てていたラナムンは
不快に思うこともできず、
皇帝はどうしたのかと尋ねました。
サーナット卿は、
ラナムンが投げた木刀が折れて
皇帝を直撃したと
非難するような声で答えました。
そのとんでもない返事に
ラナムンが反応する前に、
ギルゴールが歩いて来て、
あっという間にサーナット卿から
ラティルを奪って抱きしめると、
お弟子さんは、
運命を変えたと喜んでいたのに、
投げたばかりの木刀にも負けてしまい
可哀そうだと言いました。
サーナット卿は、
奇襲するなんてひどいと、
ラナムンの胸ぐらを
つかむような勢いで抗議しましたが
ラナムンは、さらに呆れました。
彼は敗北を認め、皇帝の方ではなく
地面に木刀を投げただけなのに、
木刀がゴムボールのように
跳ね上がるなんて、
見当もつきませんでした。
◇変わらない運命◇
ラティルは目を覚ますと、
今回もダメだったと、
手鏡を下げながら呟きました。
彼女の額には、
真っ青なあざができていました。
あからさまに失望した声にラナムンは
自分が悪いわけではないのに
罪悪感を感じ、ラティルに謝りました。
しかし、ラティルは、
自分が降伏しろと言ったら、
すぐにラナムンは降伏してくれたと
慰めました。
それからラナムンは
ラティルの手から手鏡を取ると、
彼女は膝を抱えてため息をつきました。
ラナムンは、
皇帝が気絶していた間、
アドマルの件について説明を受けた。
皇帝はアイニ皇后に勝ったことで
運命が変わったと思ったようだと
確認すると、
ラティルは、
そうだけれども、
まだ運命は変わっていない。
ギルゴールに対する不信感も
乗り越えたし、
人々の誤解も避けなかったのに、
一体、何が問題なのかと、
ラティルは頬杖をついて
再度ため息をつきました。
その時、誰かが扉を叩きました。
扉を開けて入って来たのはシピサで
彼はラティルと目が合うと、
重要な話があると、
慎重に申し出ました。
◇重要な話◇
普段のシピサは、
自分から話があるとは言わないので
ラティルはロードの仲間たちを
招集しました。
すでに真夜中でしたが、
大部分が、いわゆる
「闇に属した」者たちであるせいか、
彼らは、元気で生き生きとした姿で
集まりました。
しかし、ゲスターの席が
空いていることに気づいたラティルは
ゲスターのことを尋ねると、
ディジェットに行ったと
グリフィンが答えました。
ラティルは、
なぜ、ディジェットに行ったのかと
尋ねました。
彼女は、
ゲスターが稲妻に打たれたことを
思い出しながら、
まさか雷に打たれに
行ったのではないよねと考えていると
グリフィンは、
何か聞きたいことがあると言っていた。
詳しいことは自分も知らないと
答えました。
ゲスターは、
何を聞きに行ったのか。
自分といる時は、
アドマルとディジェットの話は
しなかったのにと、
彼の突然の不在が気になりました。
しかし、ラティルは
努めて平気なふりをして
ロードの仲間たちに
アドマルとアイニについて
説明しました。
軽い気持ちで集まった者たちは、
次第に口を大きく開きました。
ラティルは長い話を終えた後、
シピサを見て、
彼が話したいこととは何かと
尋ねました。
シピサは、
皇帝が席を外した隙に
議長がやって来たと答えました。
ラティルは目を大きく見開き、
「議長?」と聞き返すと、カルレインが
大神官も、
議長を見た気がすると言っていたと
呟きました。
ラティルは口を開けたまま
シピサを見ました。
議長が単純に遊びに来たのなら、
シピサが、あんなに真剣に
話を持ち出すはずがありませんでした。
ラティルは、
議長が何をしに来たのかと尋ねました。
シピサは、
皇帝が間違った方向に向かっているので
薬瓶を返してくれと言われたと
答えました。
ラティルは、どんな薬瓶なのかと
尋ねると、シピサは、
議長が自分に預けた薬瓶があると
答えました。
議長は、お弟子さんが
対抗者2番と戦うことを
知っていたのかと、
ギルゴールが尋ねました。
シピサは、
そこまでは分からないと答えると、
ロードの仲間たちは、
互いにチラチラ見つめ合いました。
ラティルは、両手を合わせて
苛立たし気に擦りながら、
アイニは対抗者だけれど、
セルに近いのはプレラだから
アイニと戦っても
無駄だということなのかと
考えていると、メラディムが、
その薬瓶は何なのか。
なぜ議長は、それを返してくれと
密かに訪ねて来たりしたのかと
豪快な声で尋ねました。
ラティルは、考えに耽って
腕を擦っていたので、
その言葉を聞き流しましたが
はっと我に返ると、
シピサは途方にくれてばかりで、
答えられずにいました。
タッシールは、そんなシピサを
見ていられなかったのか、
重要なことみたいだけれど
言いにくいことなのかと
堂々と尋ねました。
シピサは、
ラティルをチラッと見ました。
彼女と目が合うと、
シピサは消え入りそうな声で、
前世の記憶を目覚めさせる
効果のある薬瓶だと答えました。
その言葉に、ラティルは、
思わず席を蹴って
立ち上がりそうになりました。
ラティルは、
それは本当なのかと急いで尋ねると
シピサは泣きそうな顔で
頷きました。
ラティルは、
そんな薬瓶があるのかと尋ねました。
シピサは、
全ての人に効くわけではない。
皇女にだけ効く。
皇女は、少しも間を置かずに、
議長が強制的に転生させた
存在だからと答えました。
ラティルは、
議長の目的がはっきり見えたので
コーヒーを一気に飲み干すと
立ち上がりました。
何も知らない皇女を見ても
忌まわしいのに、
前世の記憶ができれば
もっとそうなる。
皇女も記憶が戻れば
自分を憎悪する。
そうなれば、
皇女の命を奪うことが一層容易になり
議長の望み通りになると思いました。
タッシールは、いつもより驚いた声で
薬瓶はどうしたのかと尋ねました。
シピサは、
渡していないけれど、
そもそも薬を作ったのは議長だ。
薬を作るのは、とても面倒で
ややこしいと言っていたけれど
見ていて、ダメだと思ったら
また薬を作るかもしれないと
答えました。
◇なぜ約束を守ったのか◇
ラティルがやって来ると、トゥーラは
なぜ、来たのか。
また、何か変なことを
言いに来たのかと息巻きました。
そうでなくても、
気分が悪かったラティルは、
トゥーラの目には、
自分がそんな人に見えるのかと
生意気そうに答えると、
ヘウンについて尋ねました。
彼は以前のように
彼専用の小さなベッドの上に
頭だけが乗っていました。
ヘウンはラティルを発見すると、
安堵した様子で、
もしかして自分のことを
忘れてしまったのではないかと
心配していたと言いました。
ラティルは、
そんなはずがない。
自分は忘れたりしないけれど、
たまに忘れて
後で思い出すこともあると
返事をした後、
ヘウンの体に頭を乗せて
ギュッと押しました。
今回は体があったので楽でした。
トゥーラが、
背が少し低くなった気がしないかと
ひそひそ話さなければ、
ヘウンは満足できました。
ラティルは、
この役に立たない異母兄の
脇腹をつねって、
追い出してしまいました。
アナッチャがココアを入れたカップを
置いて出ていく時に、
自分の息子を
いじめるなと言ったはずだと
警告しましたが、
ラティルは聞き流しました。
それから、ラティルは
ヘウンと二人きりになると、
ようやく、
わざと険しくしていた表情を和らげ
頭を外すなんて、
簡単なことではなかったはずなのに
手伝ってくれてありがとうと
照れくさそうにお礼を言いました。
それを聞いたヘウンは
低い笑い声を漏らすと
なぜトゥーラが、
皇帝をよく見ると可愛いと言うのか
分かると言いました。
ラティルは、
彼がそんなことを言うのかと、
鳥肌が立っていそうな表情をすると
ヘウンは、「ごくたまに」と
付け加えました。
トゥーラはどうかしていると
ラティルが体を震わせると、
ヘウンは笑いながら、
食餌鬼になると、首を外すのは、
そんなに痛くはないので、
大して大変な要求ではなかったと
言いました。
それでも、ラティルは、
痛くなくても、
とても不便だったのではないかと
尋ねると、
ヘウンは同意しました。
その後、ラティルは
特にヘウンと話すことがなかったので
額を掻き、ぎこちなく手を振ると、
これで自分は帰ると言って
ヘウンに背を向けました。
すると、ヘウンは、
なぜ自分との約束を守ったのか。
そのせいで皇帝が
もっと苦しくなることが
あるかもしれないし、
アイニが、
戻ってこないかも知れないのにと
尋ねました。
ヘウンの顔は、
生気がないことを除けば、
とても端正できちんとしていました。
そして、彼が恥ずかしがると、
少しだけ血色と言えるものが
現れました。
ラティルは、
自分が約束を破って、
アイニの命を奪うこともできたのに
どうしてヘウンは、
そんな約束をしたのかと
逆に尋ねました。
ヘウンは少しも躊躇わずに
皇帝を信じていたからだと答えました。
ラティルはにっこり笑って、
自分の胸を一度叩くと、
自分も自分を信じていたと答えました。
ラティルはアナッチャの住居を離れ、
本宮へゆっくりと歩いて行きました。
真冬の夜明けには、
歩き回る人もいなくて
一人で考え事をするには
良い時間でした。
実はラティルが
アイニを生かしておいたのは
ヘウンとの約束もあったけれど
ラティル本人の考えでもありました。
対抗者が3人いるので、
そのうちの一人だけの
命を奪ったところで、運命は
変わりそうにありませんでした。
アリタルが経験した
すべての選択をかき集めて
再現してくれたアドマルが、
果たして、
セルに最も近いプレラがいるのに
アイニで満足するだろうか。
死で変化を起こすに値する
人物がいるとしたら、
それは、議長の主張のように
アイニではなくプレラだと
思いました。
逆に命を奪わずに、大きな変化を
作ることができる人物は
対抗者3人の中で
唯一ドミスの呪いに捕らわれていた
アイニだけでした。
しかし、運命は変わりませんでした。
ラティルは立ち止まって
冷たい冬の空気を
吸い込みました。
これから何をすべきだろうか。
前世はともかくとして、
ラティルはプレラの命を奪うことは
できませんでした。
◇柱でいっぱいの地下◇
黒魔術師は
パイを焼いて持って来ると
アイニを見つけました。
彼女は、
どこかへ行ったと思っていたら
気が抜けた様子で
湖だけを見ていました。
黒魔術師はアイニに、
どこへ行って来たのかと
尋ねました。
アイニは、
とても古い地下と砂漠だと答えると
手を伸ばしました。
黒魔術師はパイを一切れ渡しました。
よりによってパイは、
砂の色をしていました。
アイニはその色を
遠い目で見つめながら
お酒が飲みたいと言いました。
黒魔術師が
「え?」と聞き返すと、
アイニは度数の強いお酒を一本だけ
頼みました。
アイニは、
黒魔術師が持って来てくれた
安物の酒を瓶ごと飲みながら、
自分が見た
柱でいっぱいの地下を思い出しました。
◇古代語の専門家◇
ヒュアツィンテは
部下が連れてきた
古代語の専門家に会うために、
しばらく時間を作って
執務室の外へ出ました。
応接室に行くと、
足が長い金髪の男性が
ソファーに座って
新聞を読んでいました。
扉が開く音がすると、
男は新聞をたたみ、
悠然と立ち上がりました。
ヒュアツィンテは彼に
古代語の専門家かと尋ねると、
男が笑いながら手を差し出し、
ランスターだと自己紹介しました。
ラティルは、
自分がプレラの命を奪うことを
議長が望んでいると思っているけれど
神の呪いを解くためには、
プレラが前世の記憶を知った上で
ラティルとプレラが和解する必要が
あるのではないかと思います。
ドミスが受け付けた黒い靄を
アイニから取り除くことも、
ギルゴールへの不信感を
解消することも、
神の呪いを解くために必要だけれど
この呪いの発端は
セルが誤ってシピサを殺め
それを知ったアリタルが
半狂乱になって
セルの首を絞めたから。
ラティルが、いつまでも
プレラを疎ましく思っていれば、
アリタルとセルから始まった
ロードと対抗者の不仲を
解消することができないと思います。
だから、議長はプレラに
前世の記憶を蘇らせた上で、
二人を
和解させようとしているのではないかと
思います。
トゥーラは子供の頃、
レアンとラティルが
仲良くしているのを見て
自分も、そんな妹が欲しいと
思ったことがあるので、
トゥーラがラティルのことを
可愛いと思うのは
嘘ではないと思います。
ラティルは、アナッチャのせいで
母親が苦しんでいるのを
ずっと見て来たので、
アナッチャに仕返しする代わりに
トゥーラを
いじめていたかもしれませんが
トゥーラが、自分は兄だと威張って
ラティルに服従させようとしたのは
内心、ラティルと
仲良くなりたかったのかもしれません。
レアンは可愛がっていた妹が
ロードだという理由で
攻撃するようになり、
トゥーラは一度、ラティルに
命を奪われたこともあるのに
ラティルを憎んでいない様子。
母親は違っていても、
トゥーラの方が妹に対する
情があるように思います。