854話 タッシールが皇配になるのを、取り消されるのではないかと、ヘイレンが心配しているところへ、ラティルの秘書がやって来ました。
◇忙し過ぎるせいで◇
すぐに秘書は、
皇帝の伝言を持って来たと話すと
ヘイレンは緊張して
唾を飲み込みました。
このタイミングで、
皇帝が秘書を送って来るなんて、
本当に皇配の問題を
先送りにするつもりなのではないかと
ヘイレンは不安になりました。
しかし、秘書が、
年末祭の時に任命式を行うという
皇帝の言葉を伝えると、
ヘイレンは、
キャンセルするのではないと分かり
安心して、息をつきました。
秘書が、これと関連した
いくつかの注意事項と
手続きについて知らせて去ると、
ヘイレンは扉に寄りかかって
再びため息をつきました。
タッシールはクスクス笑うと、
こんなに早く皇帝が、
とやかく言う訳がないのに、
何を想像していたのかと
尋ねました。
ヘイレンは恥ずかしそうに
一緒に笑いました。
しかし、しばらくすると、
ヘイレンの表情は、再び固まりました。
タッシールは、
今度は、どうしたのかと尋ねると、
ヘイレンは、
若頭が皇配になったのはいいけれど、
本当に、とても後になり、
若頭が仕事で忙しすぎて
子供ができなかったらどうしよう。
そうなると、他の側室の子が
後継者になるけれど、
自分はそれも嫌だと言いました。
◇安心して見られる◇
赤ちゃんを抱いて
顔を覗き込んだラティルは、
サーナット卿に、
この唇を見て。
本当に小さいと言うと、
どうして、こうなのかと感嘆しました。
赤ちゃんは、
時々、ぐずりはするものの
よく寝てくれました。
ラティルは、赤ちゃんの顔から
サーナット卿が
そのまま見えるのが
とても不思議でした。
この子がどれほど愛らしく育つかは
サーナット卿を見れば
よく分かりました。
世の中に、こんなに可愛い子供が
他にいるはずがないと言うと、
ラティルは、
赤ちゃんの、ふわふわした頬を
そっと押さえた後、
ビクッとして、手を離しました。
赤ちゃんは目も開けなかったのに、
心臓がドキドキしました。
ラティルは、
ぼんやりと再び赤ちゃんの顔を見て
頭を上げました。
サーナット卿はベッドの枕元に立ち、
赤ちゃんではなく
ラティルを見ていました。
目が合うと、彼は身を屈めて
ラティルの額に軽くキスをすると
ここにいるではないかと
返事をしました。
ラティルは、
空事を言っていると反論しましたが
サーナット卿は、
本当だと返事をしました。
ラティルは、恥ずかしくなり、
再び赤ちゃんの方に頭を下げながら
自分は子供ではないと、
呟きました。
サーナット卿は、
本気だと再度言おうとしましたが、
ラティルが目に見えて
ぎこちなさそうにしているので
言わないことにしました。
ラティルは、恥ずかしくなって
子供を見ましたが、
二人目の皇女の小さな顔に
すっかりはまってしまいました。
一番目の時には、
赤ちゃんの顔を見ることも
困難でした。
しかし、この子には、
不吉で恐ろしい兆候は
どこにもありませんでした。
この子は二番目でしたが、
ラティルが初めて、
安心して見られる最初の子でした。
ラティルは、
この小さな子を自分で作ったという
奇跡のような強烈な感情に
我を忘れないではいられませんでした。
ラティルは、サーナット卿を呼ぶと、
彼は、
ここにいる。これからも
ずっとここにいるつもりだと
返事をしました。
ラティルは、
赤ちゃんを抱いてみてと言って
サーナット卿に赤ちゃんを
差し出しました。
サーナット卿は、素早く両手で
慎重に赤ちゃんを抱きしめました。
ラティルは、
少し後ろに下がってみてと言うと
サーナット卿は その通りにしました。
ラティルは判で押したような
父娘を交互に見て、
クスクス笑いました。
サーナット卿は、
そんなに面白いのかと尋ねると
ラティルは、
あまりにも似ているからと答えました。
サーナット卿は、
こんなにハンサムなので、
いいではないかと言うと、
ラティルは返事をする代わりに、
サーナット卿と皇女が
一緒にいる姿を
しばらくじっと見つめました。
それから、ラティルは、
いいものは見ているだけでいい。
本当にいいと、腕を組みながら、
王女がサーナット卿と
同じくらいに育った姿を
思い浮かべてみました。
ラティルはサーナット卿に、
皇女が大きくなったら
剣を教えなければならない。
自分たちの子だから
剣術の才能に溢れていそうだと
話しました。
サーナット卿は、幼いラティルが
近衛騎士たちを
ちょろちょろ追いかけながら
剣を身につけるとせがんでいた姿を
思い出して笑いました。
またその姿を
見られるのだろうかと思いました。
◇乳母の問題◇
赤ちゃんが生まれて10日ぐらい経つと
ラティルは、そろそろ、
同じ場所で寝てばかりいるのが
退屈になり始めました。
しかし宮医は、ラティルが
散歩の準備をしていることを知ると
彼女に駆け寄って来て
引き止めました。
しかし、ラティルの体の回復速度は
普通の人々とは全く違いました。
ラティルは、
お腹に、これくらいの穴が開いても
助かった。
宮医も知っていると思うけれど、
今はすっかり回復したと言いました。
宮医は、毎日、
ラティルを診察しているので、
それを知らないはずが
ありませんでした。
しかし、それでも宮医は
ラティルに、もう少し休んで欲しいと
思いました。
宮医は、
皇帝が特別な体であることは
自分も知っているけれど、
それでも休んで欲しい。
皇帝の体は、
自分が学んだ体についての知識と
全く違うので、 万が一、
自分が知らない病気になれば、
耐え難いと言いました。
ラティルは、仕方なく
もう少し休むことにしました。
そのおかげで、二番目の皇女は
もう少し皇帝の懐で
過ごせるようになりました。
そして、サーナット卿と宮医、
侍女たちまで
ずっとそばにいてくれたので、
ラティルは半月が過ぎてから
次女の乳母を
探さなければならないということを
思い出しました。
サーナット卿がラティルのために
甘いおやつを持ってくると、
ラティルは彼を隣に座らせて、
皇女の乳母は、
そのままアイギネス伯爵夫人に
お願いすればいいか。
自分の乳母であり、
プレラの乳母でもあるからと
提案しました。
ラティルは、
アイギネス伯爵夫人以外の乳母を
想像することができませんでした。
彼女は頼りがいがあり、
善良で、賢くて、優しい人でした。
しかし、サーナット卿は、
ラティルの提案に
顔を顰めてはいないけれど、
好ましい表情をしていませんでした。
ラティルは意外に思い
嫌なのかと尋ねました。
アイギネス伯爵夫人は
前皇后とレアンの事件の時も
ラティルのそばにいてくれた
義理堅い女性でした。
サーナット卿もアイギネス伯爵夫人も
自分の味方なので、
ラティルは、サーナット卿の
気乗りがしない様子を
理解できませんでした。
サーナット卿は、
ラティルの顔色を窺いながら、
アイギネス伯爵夫人は良い人だけれど
自分たちの赤ちゃんの乳母は
他の人に頼んだ方いいと思うと、
ようやく口を開きました。
ラティルは目を丸くしました。
もしかして、自分の知らないところで
二人は喧嘩したのだろうかと
疑いました。
サーナット卿は、
アイギネス伯爵夫人が
彼に騎士として残るように
頼んだことを思い出しました。
その後は、意見を変えて
ラティルへの告白を勧めましたが、
とにかく彼女は、
基本的にサーナット卿が、
ラティルの「恋人」の位置にいることを
好みませんでした。
しかし、ラティルは
このことを知らないし、
だからといって
告げ口したくもなかったので、
返答に窮しました。
ラティルは何かに気づいて、
目を細めました。
サーナット卿は、
アイギネス伯爵夫人が、
プレラ皇女の面倒も見ていることと
プレラ皇女と、自分たちの皇女が
同じ部屋を使うわけでも、
一緒に育つわけでもないのに、
乳母が一人なら
アイギネス伯爵夫人が大変だと
適当に、別の言い訳をしました。
「そうですね」と
ラティルは頷きました。
情操的に、乳母は同じ人がいいと
思ったけれど、
サーナット卿の話を聞いてみると、
アイギネス伯爵夫人の負担が
大きいような気がしました。
ラティルは、
それでは、他の人を
探さなければならないけれど
誰か思い当たる人がいるかと
尋ねました。
サーナット卿は、
皇帝には、思い当たる人がいるかと
尋ねました。
しばらく、ラティルは
自分が知っている貴婦人たちを
思い浮かべましたが、
「いいえ」と答えました。
そして、
サーナット卿が決めた方がいいと
提案すると、彼は、
メロシーの領地から
連れて来てもいいかと尋ねました。
プレラの乳母は
関係がないことを
思い出したラティルは、
返事をするのを躊躇いました。
二番目の子の乳母だけ、
メロシー領地から
連れて来てもいいのだろうか。
メロシー領地から来る貴婦人なら
サーナット家と縁があるのではないかと
悩みましたが、結局、ラティルは
許してしまいました。
子供が生まれた後に、
サーナット卿は側室になるので、
色々と肩身が
狭くなる気がしたからでした。
サーナット卿の親族が
乳母として来てくれれば、
彼も安心するだろうと思いました。
そうは言ったものの、
ラティルはしばらく頭を抱えて
眉を顰めました。
とりあえず、許可はしたけれど、
自分が贔屓し過ぎているように
見えないだろうかと悩みました。
◇乳母の心配◇
アイギネス伯爵夫人は
プレラ皇女と遊んであげた後に
二番目の子供の世話をしに来た時、
彼女の乳母が自分ではないことを
ラティルから聞かされて
びっくりしました。
責任は二倍になるけれど、
アイギネス伯爵夫人は、
当然ラティルの二番目の子も
自分が養育すると考えていました。
彼女はラティルを
自分の娘のように思っていたので、
ラティルの子供たちも、
孫娘のように思っていました。
大切な子供たちを、
見ず知らずの人間に任せることを
考えると、アイギネス伯爵夫人は、
ひどく嫌な思いをしました。
彼女は、自分が二人の赤ちゃんを
一緒に世話した方が
いいのではないかと提案しました。
ラティルは、
大変だと思う。
プレラの面倒を見るだけでも
忙しいはずなのに、
二人は一歳しか違わないと
返事をしました。
アイギネス伯爵夫人は、
乳母とはいえ、自分が一人で
面倒を見るわけではない。
それに、後になれば、
皇女二人にお揃いの服を着せて
髪型も同じにして、
三人でピクニックにも行けるのにと
言いました。
ラティルはサーナット卿が
アイギネス伯爵夫人の名前を
聞いた時に、渋い表情をしたのを
思い出しました。
サーナット卿は、彼女を
二人目の子供の乳母にすることを
望んでいないようでした。
しかし、乳母が、あれほどまでに
あからさまにがっかりすると、
ラティル気が重くなりました。
しかし、ラティルは、
そのようなことは、
他の乳母が来てもできる。
四人で一緒に行けばいい。
新しく来た人は何も知らないから
乳母が、たくさん
教えなければならないと言いました。
アイギネス伯爵夫人は
ラティルを困らせたくなかったので
渋々、納得しました。
しかし、この話を聞いた後、
彼女の心は、
自分がずっと養育してきた
プレラ皇女に、
確実に傾くようになりました。
そして、プレラ皇女に
愛情を注いでみると、
アイギネス伯爵夫人は、ラティルが
二番目の赤ちゃんと
ずっと一緒に過ごしているのが
不安になり始めました。
彼女は、ラティルの行動を
数日間よく観察しました。
その結果、彼女は、
ラティルが一日に一時間以上、
二番目の赤ちゃんと
離れていないことに気づきました。
ラティルは、宮医に哀願されて
無理矢理、
部屋の中にいることになったため、
全神経を二番目の赤ちゃんに
注ぐようになっていました。
乳母は秘書に、
皇帝はいつまで休むのかと尋ねました。
秘書は、皇帝が30日分の仕事を
処理しておいたので、
30日だろうと答えました。
この話を聞くや否や、
乳母は直ちにラナムンを訪ねました。
彼は皇女が
ヨチヨチ歩きをする姿を見ながら、
節度を保って手を叩いていました。
乳母はラナムンに、
今は、そんなことをしている
場合ではない。
このままでは皇帝の愛情を
二番目の子供に全て奪われる。
ラナムンもプレラを連れて
皇帝を訪ねるべきだ。
サーナット卿は、
赤ちゃんを口実にして
皇帝の隣の部屋から
出退勤しているそうだと話しました。
ラナムンは苦々しく笑うと、
自分も知っている。
けれども、どうすればいいのか。
まだ二番目の子の方が幼いと
返事をしました。
これではダメだと思った乳母は
プレラを連れて
ラティルの寝室に行きました。
彼女は、
また、二番目の皇女を胸に抱いて、
顔だけじっと見つめていました。
ラティルは、
アイギネス伯爵夫人が来たと
伝えられると、彼女の入室を許可し
嬉しそうに顔を上げましたが、
彼女がプレラを抱いているのを見て
反射的にギクッとしました。
しかし、ラティルは
あの、うんざりする運命からは
もう抜け出した。
そのせいでずっと苦労して来たと
思い直すと、すぐに表情を整え、
二人目をサーナット卿に渡すと
腕を広げ、
「私のプレラ!」と叫びました。
乳母は、すぐに近づいて、
まごついているプレラを
ラティルに渡しました。
プレラは、ぼんやりと
ラティルを見上げました。
ラティルは、
プレラはいい子だ。
もうあまり泣かなくなったと
言って、プレラの頬を撫でて
額にキスをし、
小さな手を握りました。
乳母は、プレラが母親を
振り払うのではないかと
はらはらして見ていました。
しかし、幸いにもプレラは、
離れて過ごしていた母親に
気づいたのか、
にっこり笑いながら喜びました。
後になって、小さな悲鳴のような
歓声まで上げて喜ぶと、
乳母は、皇女は頑張っていると
安堵しました。
ラティルも自分を見るや否や
喜んでいる
ラナムンとそっくりな子を見るのが
嬉しくて、赤ちゃんを膝の上に座らせ
話し続けました。
その時。ラティルが話しかける度に、
ひたすら笑っていたプレラが、
サーナット卿が抱いた赤ちゃんに
関心を示しました。
プレラはラティルの懐から出て
ベッドのヘッドボードをつかんで
立ち上がり、
サーナット卿が抱いた赤ちゃんを
見上げました。
サーナット卿が体を傾けてやると
プレラは不思議そうに首を傾げ、
妹に向かって手を伸ばしました。
その瞬間、ラティルは
運命を抜け出したけれど、
プレラが、まだ力を
コントロールできないことを
思い出しました。
アイギネス伯爵夫人の心配は
的を得ているけれど
彼女がプレラだけを可愛がるようになり
二番目の皇女のことを
疎ましく思うようになれば、
彼女の乳母とも対立するようになり
プレラと二番目の皇女の仲も悪くなり
同じ運命が繰り返されるような
気がします。
すぐに母親が分からないくらい
プレラはラティルに馴染みが
ないのだから、
30日の休暇の間に、
プレラと、もっと触れ合って欲しい。
そして、サーナット卿の意見は
無視して、
アイギネス伯爵夫人に、
二人とも面倒をみてもらえばいいと
思います。
自分の子供が生まれた途端、
サーナット卿が以前に比べて
図々しくなった気がします。