888話 宰相は、ラティルとゲスターと一緒に、黒魔術師の村へ行くと言い出しました。
◇賢くて執拗な人◇
予想できなかった宰相の発言に、
ラティルは、口をポカンと開けて
彼を見つめているうちに、
少し沈鬱な気分になりました。
そして、
宰相の言う通りだ。
見ておくといいだろうと
穏やかな声で言うと、宰相は
ラティルが許してくれると思い
期待の目で彼女を見ました。
しかしラティルは、今回はだめだと、
非常に不機嫌そうな表情で
拒否しました。
ロルド宰相は、
ラティルの断固たる拒絶に
一瞬、慌てましたが、
彼は勇気を失うことなく、
皇帝の基準では、
自分が弱いかもしれなけれど
自分はタリウムの宰相なので
黒魔術師が白魔術師のように
組織的に集まるようになれば、
助ける人が必要になると、
再度説得を試みました。
ラティルが、
「うん、そうだね」と
返事をすると、ロルド宰相は、
それなら、アトラクシー公爵や
自分のような大貴族が
出るべきだけれど、
対抗者野郎の父親よりは
大黒魔術師の父親の方が
いいのではないかと主張しました。
突然、対抗者野郎にされたラナムンは
眉を顰めて宰相を見つめましたが、
ロルド宰相は知らないふりをして
そちらには目もくれませんでした。
ラティルは、もう少し悩みましたが、
それでも、宰相は連れて行けないと
すぐに、断固として拒否しました。
それは、ロルド宰相のための
拒絶でした。
黒魔術師の村へ行くことを、
あらかじめ、黒魔術師たちに
話していないので、ラティル本人も、
そこで何が起きるか
分かりませんでした。
村が作られた時に、
ゲスターが深く介入したとはいえ、
彼らが友好的に出てくる保障は
ありませんでした。
ロルド宰相は、
ラティルが断固として拒否すると
今度はゲスターを見て、
一緒に連れて行ってくれないかと
頼みました。
ゲスターは、
皇帝が拒否したら、
自分もどうにもできないと
断りました。
ロルド宰相は落ち込みましたが、
ここには、彼を慰めるために
ラティルと対立する人は
いませんでした。
彼は仕方なく
皇帝と息子が消えるのを見て
出て行きました。
しかし、宰相は
賢くて執拗な人でした。
彼は、皇帝が息子と共に
黒魔術師たちを抱き込みに
黒魔術師の村へ行くという話を
聞いた時から、
必ず付いて行かなければならないと
決心していました。
少しでも、黒魔術師村の雰囲気を
見ておくことで
後で、息子のために
肩を持つふりをすることが
できるのではないだろうかと
考えたからでした。
ロルド宰相は、
皇帝と息子が出かけた後も諦めず、
すぐに黒魔術師の村について
聞き始めました。
皇帝と息子が帰ってきた後でも、
黒魔術師の村が、どんな所か
見て来たいと思いました。
ところが、それから間もなく、
意外にも、親しい貴族が、
最近、皇配と親しくしている
緑色の髪の白魔術師が、
黒魔術師の村を攻撃しようとして
失敗したという話を聞いたことがあると
教えてくれました。
ロルド宰相は、
本当なのかと聞き返すと、
貴族は、白魔術師の友人の一人が
その話をしてくれたので確かだと
答えました。
ロルド宰相は人を送って
白魔術師を
宰相官邸に呼び入れました。
白魔術師が来るや否や、ロルド宰相は
彼が黒魔術師の村の位置を
知っていると聞いたので、
それが、どこなのか教えて欲しいと
頼みました。
白魔術師は、黒魔術師の村の位置を
言いふらしていませんでした。
彼らを保護するためではなく、
自分が一番先に、
その村を取り囲んでいる
シールドを壊して、黒魔術師たちを
狩りたいからでした。
白魔術師は、皇帝とゲスターが
黒魔術師の村に出発する時、
タッシールのポケットの中にいて、
そこで宰相と皇帝の会話を、
すでに全て聞いていました。
村の場所を教えれば、
皇帝は嫌がるだろうし、
それは恐ろしいことでした。
しかし、位置を教えてやれば、
ゲスターも
嫌がるに違いありませんでした。
白魔術師は、
ニヤニヤしそうになる口元を
隠しながら、
当然、教えるべきなので、
地図を書いてやると答えました。
宰相は、
そこまでしてくれるのかと
尋ねると、白魔術師は、
宰相はタリウムで
最も尊敬される大臣の一人だからと
答えました。
◇なぜ、宰相が?◇
宮殿でロルド宰相が何をしているのか
白魔術師が何をしているのか
ラティルは知らないまま
黒魔術師の村の近くに到着しました。
しかし、村の中ではなく
近くだったので、ラティルは
不思議そうに辺りを見回しながら
なぜ、ここに来たのかと尋ねました。
ゲスターは、
久しぶりに皇帝と二人で外出したので
一緒に散歩でもしたいと答えると
照れながら、ラティルの手を
そっと握りました。
ラティルは、
こんなに忙しい時に
何でデートをするのかと
言おうとしましたが
ゲスターが
恥ずかしそうに笑っていると、
どうしても、冷たい言葉が出なくて
口をつぐみました。
嫌ですか・・・?返事がないですね。
とゲスターが言いました。
ラティルは、
少しくらいなら大丈夫だと思い、
嫌なはずがない。
嬉しくて言葉が出なかったと
返事をすると、何も言わずに
ゲスターの手を握り、彼が望む通り
デートを兼ねて、
山道を歩いて行きました。
ゲスターは弁当を持って、
満足そうにラティルと歩きました。
そうしているうちに彼女は、
ロルド宰相を置いてきたことを
思い出し、ゲスターに
父親を連れて来なくて寂しくないかと
心配しました。
しかし、ゲスターはすぐに
「いいえ」と答えました。
ラティルは、ほっとしながらも
なぜ、こんなに返事が早いのかと
笑い出しました。
ゲスターは、
父親が一緒にいると危ないから、
置いてこようと言ったのは
皇帝ではないかと言いました。
ラティルは、
もし戦いでも起こったら、
自分たち二人だけなら、
さっさと逃げられるからだと言うと
ゲスターは、
逃げるなんて・・・
そんなことはない・・・
と反論しました。
ラティルはゲスターが
それとなく頼もしいと褒めると、
彼は握った手に
そっと力を入れました。
それから、手をもぞもぞ動かし、
ラティルの手首の内側を擦ると
ラティルは訳もなく咳払いをして
嬉しそうに笑いました。
そうするうちに、ラティルは
目の前で一緒に微笑んでいる
ロルド宰相を見つけて
そのまま氷つきました。
宰相?!
ゲスターも知らなかったのか、
慌ててラティルの手を離して
背を向けました。
ラティルは当惑して
口をパクパクさせながら、
なぜ、宰相がここにいるのかと
尋ねました。
◇笑うカルレイン◇
カルレインは、コーヒーカップに
血を3滴落とした後、
スプーンでよくかき混ぜて
飲みました。
とても優雅な姿でした。
そして、グリフィンが
コーヒーカップの前で
自分の肩を叩きながら
ああ、肩、ああ、肩。
と自分が苦労したことを
ぼやいていると、
カルレインは飴の包みを剥いて
嘴の中へ入れてやりました。
グリフィンは飴を食べながら
自分が人間を乗せるなんて
グリフィンの面目が丸潰れだと
文句を言いました。
カルレインは、
よくやったと労いました。
グリフィンは、
よくやったかどうかは
後で分かるだろう。
ところで、一体、なぜあの人間を
わざわざ連れて行けと言ったのか。
宰相が「今」の変態の親父とはいえ
そこまで、する必要があるのかと
尋ねました。
カルレインの口元に
意味深長な笑みが浮かびました。
◇グニャグニャして柔らかい
宰相は、自分の息子と皇帝が
手をつないでいるのを見て
浮かれてしまい、
自分がここへ来た話を、
喜んで全部打ち明けました。
白魔術師に聞いて
黒魔術師の村の位置を
突き止めたけれど、
本来は別行動するつもりだった。
しかし、自分が
出発の準備をしているのを
通りすがりに見たカルレインが
このように黒魔術師の村へ行って
襲撃でもされたら危険だと言った。
すると、皇帝がたまに乗っている鳥が
ゲスターとも親しくしているので、
助けてくれると言った。
来る時、少し怖かったけれど、
おかげで早く
到着することができた。
ラティルは宰相の話を聞きながら
ズキズキする頭を抱えました。
皇子の面倒を
見なければならなかったので、
カルレインは
ラティルが出発する時に
見送りに来ることが
できませんでした。
それでも、わずか2日しか
離れていない上に、
他の側室たちがたくさん
見送りに来てくれたので、
それほど残念な気持ちは
ありませんでした。
それが、ここで、こんな誤解を
招くことになるなんて。
どうやらカルレインは、
ラティルが、わざと宰相を
置いていったことを知らなかったので
ここまで助けてくれたのではないかと
思いました。
ラティルは、
ちらっとゲスターを見ました。
彼は想定外の父親の登場にも
比較的平然とした表情を
維持していました。
来たからには仕方がない。
一緒に行かなければ。
ラティルはため息をつき、
渋々、この状況を受け入れました。
結局、3人は
黒魔術師の村があるという
境界線付近まで
一緒に行くことになりました。
そして、
ここから入るんですよ・・・
と息子が、
ある大きな岩の前で呟くと、
ロルド宰相は、
あまりにも浮かれた姿を
見せないように努めました。
ゲスターは
宰相の方は見向きもせずに
絵を描くように、岩の上で
あちこち手を動かしました。
宰相は、その姿を
ぼんやりと見ていましたが、
あっと思って、
自分が持ってきたカバンを
引っ張り出しました。
その行動に、
好奇心を抱いたラティルが
何をしているのかと尋ねると、
宰相は、
ペンと手帳を取り出している。
よく記録しておいて・・・
と明るく説明していましたが、
最後の
後で役に立つように?
という言葉の語尾が
急に上がりました。
どうしたの?
と尋ねたラティルは
ゲスターを見て首を傾げました。
宰相は、ぼんやりとして
目をパチパチさせながら
空中を見ていましたが、
突然、カバンの中を
手探りし始めました。
持って来なかったのですか?
貸してあげましょうか?
とラティルが尋ねると、宰相は、
素早く首を横に振りながら
そうではなく、先程、
グニャグニャして柔らかい物が
手をかすめたような気がしたと
答えました。
グニャグニャして柔らかいと聞いて
ラティルは、もしかして
レッサーパンダではないかと
言いましたが、宰相は
そんなはずはない。
皇帝が飼っているタヌキたちは、
皆、ぽっちゃりしているけれど
今通り過ぎたのは
柔らかくて細長かったと答えました。
その瞬間。 ゴロゴロと音がして
ゲスターの前にあった岩が
突然、横に移動しました。
その大きな音に驚いた宰相は、
話すのを止めて、
カバンに入れた手を
さっと取り出すと、
一旦、カバンを閉めました。
ラティルも、このように
正式に黒魔術師の村を訪問するのは
初めてだったので、宰相から、
そちらへ関心を移しました。
その上、岩が移動しただけなのに
岩が移動した線に沿って
向こう側の景色が
完全に変わっていて、
以前は、ただの平凡な山だった所が
今では平凡な村に変わっていました。
ロルド首相は興奮しながら
あの中ですか?
と尋ねました。
ラティルが
たぶん?
と答えると、ロルド宰相は
こうして見ると普通のようだ。
もっと陰気、いや異様だと
思っていたと呟いている間、
ゲスターはスルスルと
前を歩いて行きました。
自分が先に入ると言って
ゲスターが歩いて行くと、
宰相は自動的に口を閉じました。
怖いのか、しきりにラティルの横に
くっつく宰相に、ラティルは
「あっちに行って」と
突き放すと、
ゲスターに付いて行きました。
ふと、ゲスターが
顔を出して入る姿を見て、
少し心配になりましたが、
ゲスターは、このようなことで
ミスをする人ではなかったので、
その心配は、すぐに消えました。
しかし、数歩も経たないうちに、
すぐに雰囲気が鋭くなりました。
大して歩いてもいないのに、
すぐに外部の者が入って来たことに
気づいた何人かの人々が
武器を持って、険悪な雰囲気で
飛び出して来ました。
宰相は、剣の柄に手をかけて
走って来た人々を見回しました。
むやみに武器を取り出すなと
ラティルが忠告すると、
宰相は分かったと言って
手を下ろしましたが、
やはり緊張した様子でした。
そうするうちにラティルは
こちらを見ながら口を開けている
顔見知りの黒魔術師と
目が合いました。
宰相は、なぜ、あの者は
あんなに鋭い目で
皇帝をみているのか。
側室にすると言っておいて
嫌になったのかと尋ねました。
宰相は、
自分が少しでもハンサムだと思うと
皆、側室候補にするとでも
思っているのかと、
ラティルは心の中で嘆きましたが
以前、彼を殴ったから、ああなんだと
答えました。
その言葉に宰相は頷きましたが、
目を大きく見開いて
さっとラティルの方を
振り返りました。
彼女は空中を小突くふりをしましたが
ゲスターがラティルを
微妙な表情で見ると
再び手を下げました。
しかし、すでにその会話を聞いたのか
その黒魔術師は、尋常でない表情をして
こちらに近づいて来ました。
後ろには
初対面の人がたくさんいました。
また、ふざけたことをしたら、
殴らなければならない。
ラティルは一度勝った相手なので、
自信満々に黒魔術師を見ました。
しかし、少し変でした。
ゲスターが半強制的に村を作って
彼らを閉じ込めておいたけれど
ラティルが最後に会った時、
黒魔術師を何度か殴りはしましたが
大して関係は悪くなかったと
記憶していました。
しかし、
近づいてくる彼らの表情が
あまりにも険悪でした。
どうしたのか。
あの新聞が、ここでも
発行されたはずはないのにと
訝しがっていると、
近づいて来た黒魔術師が、
ラティルでもゲスターでもなく
宰相を見ながら、険悪な声で
カバンに何を入れて来たのかと
尋ねました。
子育てに忙しいカルレインは
なかなかラティルと一緒に
出かけられないのが悔しくて
ラティルとゲスターが
2人だけでいるのを邪魔するために
宰相を送り込んだのではないかと
思いますが、結果的にラティルを
困らせることになってしまって
マズかったと思います。
細長くて柔らかい物と言ったら
白魔術師が化けている
白いイタチでしょうか?
白魔術師は、ロルド宰相を
助けるふりをして、
まんまと彼のカバンの中に
忍び込むことに成功したのですね。