69話 秘密裏にカリセンへ行くことになったラティルでしたが・・・
◇出発◇
カリセンへ出発することにした夜
ラティルは、周囲の人に
体調を崩したと言って
いつもより早い時間に寝室に戻り
机の前に座りました。
ゲスターの誕生日まで
あと2週間でしたが
何もなければ、それまでに、
帰って来られると思いました。
カレンダーに、
ゲスターの誕生日を記しておいた
ラティルは
しばらく悩んだ後に
そこに「本」と書き入れました。
ゲスターは、
誕生日のプレゼントに
一緒に過ごす時間を望んでいましたが
やはりプレゼントは
必要だと思いました。
その後、ラティルは
皇帝の服を脱ぎ
楽な黒の服を着て
貴族が着るようなマントを
羽織りました。
そして、事前に決めておいた時間に
そっと部屋を抜け出しました。
ラティルは、頭が痛いので
どんな音も聞きたくないと言って
侍女たちに別の場所へ行くように
指示していたので
応接間には誰もいませんでした。
騎士たちを遠ざけるのは
もう少し難しかったけれど、
レアンが来て、彼らの気を引き、
時間稼ぎをしてくれたので
ラティルは彼らに気づかれずに
廊下を抜け出すことができました。
子供の頃から、宮殿の中を
ほっつき歩いていたおかげで、
人のいない所だけを選んで
移動するのはたやすいことでした。
その後、高い塀を軽く乗り越えると
待機中の黒い馬車が見えました。
御者席には、
黒い帽子を目深に被って顔を隠した
近衛騎士が乗っていました。
最初は、サーナット卿を
連れて行こうとしましたが、
近衛隊の顔同然のサーナット卿が
出かけると
皇帝が席を外していることを
知られることになると思い、
わざと他の騎士を
連れて行くことにしました。
ラティルが馬車に乗って指示すると
騎士は馬車を出発させました。
馬車が宮殿から離れつつある間、
ラティルは小さな灯りを
馬車の天井の角に吊り下げて
懐から古地図を取り出すと
もう一度見回しました。
もしもの事態に備えて
地図を丸暗記するつもりでした。
ふと、ラティルは
地図の角に書かれている
「3」という数字に目を留め、
これは、どういう意味だろうかと
考えました。
地図の中にある他の文字は
全てわかったのに、
なぜ3が書かれているのか
わかりませんでした。
とりあえず、物を見つけよう。
物を完全に探し出したら、
自分が地図を横取りしたのが
バレてもいいから、
学者たちに研究させよう、
兄や大賢者に任せてもいいと
ラティルは考えました。
彼女は再び懐へ地図を入れると
馬車の背もたれに頭を傾けて
目を閉じました。
◇まさかの再会◇
うとうとしていたラティルは
馬車がひどく音を立てたので、
意識を取り戻しました。
何度も身体が跳ねるほど
馬車は激しく走っていました。
騎士にどうしたのか尋ねると
道が険しいという返事。
ラティルは、このくらい険しいと
車輪が外れそうな気がして、
少し心配になりました。
そして、予想通り、
しばらくして馬車が傾き
小さな悲鳴が聞こえてきました。
ラティルが騎士に声をかけると
馬車が止まりました。
彼は馬車の扉を外から開けました。
騎士は、近道を通ったのだけれど
昔はこんなことはなかったと
言い訳をしました。
ラティルは
馬車のホイールが壊れたのかと
尋ねると
騎士は、「はい」と返事をしたので
彼女はため息をついて
馬車を降りました。
ラティルが見ても深刻なくらい
ホイールが歪んでいました。
近衛騎士が車輪を交換している間、
ラティルは岩の上に座り
空を見つめていました。
どのくらい時間が経ったのか。
思うように車輪を交換できないのか
騎士が手間取っている中、
遠くから、
馬の速い蹄の音が聞こえてきました。
ラティルは、
道の真ん中を塞いでいた騎士に、
ぶつかるかもしれないから
避けるように指示しました。
馬の速い蹄の音が近づくにつれて、
やって来るのが2人であることに
ラティルは気付きました。
敵ではないよね?
ラティルは馬に乗る人々が
通り過ぎるのを待ちながらも、
万が一に備えて
剣の握りの上に
そっと手を置きました。
近衛騎士も同じ考えなのか
ラティルの前方に立ち、
武器を半分くらい抜きました。
もしも、彼らが敵でなければ
助けを求めることを
騎士は提案しましたが、
ラティルは、こんな夜中に
急いで馬を走らせているのは
緊急な事情があるはず。
自分たちを襲うのでなければ
言葉をかけることなく
行ってしまうだろうと言って
反対しました。
しかし予想に反して
馬に乗って来た2人は
礼儀正しく
スピードを落としたかと思うと
壊れた馬車の近くに来ると
完全に止まりました。
それを見たラティルと騎士は
本当に襲撃者かと思い
警戒しましたが、
そのうちの1人が手を上げて
武器を持っていないことを示しました。
そして、親切にも、
困っている状況のようですが
私たちに助けられることは
ありませんか?
と尋ねました。
その言葉を聞いた騎士は安堵して
お礼を言いましたが、
ラティルは完全に
固まってしまいました。
声の主はヒュアツィンテでした。
ラティルはとても小さい声で
ヒュアツィンテの名を呼ぶと
彼もギョッとして、
全ての動きを止めました。
ラティルは剣に触れていた手を下し
まさかという目で
マントを深く被った男を見上げました。
男は馬の上からラティルを見下ろし
片手でマントのフードを
めくりました。
驚愕したヒュアツィンテの顔が
現れました。
予想できなかった状況に
近衛騎士は戸惑い、
ラティルとヒュアツィンテを
交互に見上げました。
ヒュアツィンテは怒った顔で
馬から飛び降り、
ラティルから一歩離れた所まで
近づくと、
どうして、ここにいるのか、
騎士1人しか連れていないのは
危ないと、怒りました。
それに対してラティルは、
ヒュアツィンテも
騎士1人だけ連れてここにいると
言ったので、
彼は何も言えなくなり
口をつぐみました。
その姿を見ているうちに
ヒュアツィンテが連れて来た騎士は
ぎこちなく馬から降りて、
ラティルに挨拶をし、
彼女が連れて来た騎士も
ヒュアツィンテに挨拶をしました。
2人は同じような表情を
していました。
困り果てたラティルは横を向いて
よりによって、こんな所で
あの人と会うなんて・・・
とブツブツ呟きました。
そんなラティルを見つめながら
ヒュアツィンテは
最大限、感情を押さえて、
近衛隊長を呼び、
馬車の修理の手伝いをするよう
指示しました。
ヒュアツィンテの近衛隊長と
ラティルの騎士が
壊れた馬車の方へ歩いて行くと、
ラティルとヒュアツィンテは
2人の会話が
彼らに聞こえない所まで離れました。
そして、ヒュアツィンテは
いつもより、かなり低い声で
どうしてここにいるの?
1人で歩き回ったら
危険なことを知らないの?
皇女の時も、
自分勝手に歩き回って、
皇帝になっても
自分勝手に歩き回るの?
と尋ねました。
それに対しラティルは、
あなたが話していることは
依然として矛盾している。
誰が誰に言っているの?
ここは少なくとも私の国で
あなたは他国へ
あなた自身の騎士を一人連れて来た。
と答えました。
ヒュアツィンテはラティルに
どこへ行くのかと尋ねました。
彼女は、
あなたの国。
と答えると、
恥ずかしくなって口をつぐみました。
ヒュアツィンテは
彼女の言う通り
自分の言うことではない。
ラティルも全く自分と
同じことをしているからと
言いました。
ラティルは、靴の先で
地面の土を蹴り上げながら、
なぜ、カリセンの使節団は
まだ宮殿にいるのに、
ヒュアツィンテは帰るのかと
尋ねました。
彼は急用ができたと答えました。
次に彼女は
使節団はどうするのかと尋ねましたが
彼は、
使節団の役割をしてくるだろうと
答えました。
今度はヒュアツィンテが
なぜラティルがこっそり
カリセンに行こうとしているのか
尋ねました。
そして、
私はここにいるので、
私に会いに来るのではないだろう?
と聞くと、ラティルは
関係ないと答えましたが、
他国の皇帝が
自分の国にこっそり入って来るのに
関係ないとは言えないと
ヒュアツィンテは反論しました。
それに対してラティルは
昔の彼女の行動は気にするなと
習わなかったのかと尋ねました。
しかし、ヒュアツィンテは
そんなことを言う人で
昔の恋人を確実に忘れた人はいない。
自分たちができないから、
誰かさんのように、言葉だけで
忘れよう、忘れようと
言っているのではないかと
反論しました。
それはあなたの話なの?
とラティルが尋ねると、
ヒュアツィンテは
豚の目には豚しか見えない。
君の話だから
皆、そう思えるのではないかな?
と言ったので、ラティルは
ヒュアツィンテが
豚なのかと聞きました。
ラティルとヒュアツィンテが
言い争いしている間、
どこに跳ねるかわからない上司を持つ
2人の騎士たちは、互いに相手を
同病相憐れむ視線で見つめました。
もうしばらく幼稚な言い争いをした
ラティルとヒュアツィンテは
馬車の修理が終わる頃、
このままでは
きりがないと結論を下しました。
ヒュアツィンテは
ラティルを返すことができないし、
ラティルもヒュアツィンテを
送り返すことができない。
2人ともカリセンへ
急いで行かなければならないので、
同じ近道を通らなければ
なりませんでした。
結局2人は、
渋々同じ馬車に乗りました。
◇最初で最後◇
しばらく馬車は
ガタガタ音を立てていましたが、
ラティルは心に痛みを感じ、
馬車が揺れているのか
自分の頭が揺れているのか
区別できませんでした。
先ほどまで、
ラティルをからかっていた
ヒュアツィンテも
馬車の中で彼女と向かい合うと
口をつぐみました。
そんな風にしばらく走り
馬車が揺れなくなると、
ヒュアツィンテは
なぜ、カリセンへ行くのか
教えてくれないのか?
と尋ねました。
するとラティルは、
なぜ彼がタリウムへ来たのか
先に答えるように言いました。
ヒュアツィンテは
ラティルに会うためと答えたので
彼女は何も言えず
目を丸くしていると、
彼は、笑いながら
ラティルも同じ目的なんだと
言いました。
彼女は、
露骨なヒュアツィンテのからかいに
カッとなり
違うと返事をしました。
けれども、ヒュアツィンテは
簡単には退きませんでした。
答えないのは同じ理由だからでは?
の質問に、
うるさい。
と答えるラティル。
まさか、皇帝になって
わたしの国を偵察しに来たの?
の質問に、
わたしの国に来て
スパイをしたのはあなただ。
と答えるラティル。
あなたの国にではなく、あなたにだ。
あなたもそうなの?
と尋ねる、ヒュアツィンテに
ラティルは違うと答え、
顔をしかめると、
彼の足先を軽く叩きました。
このような状況で
以前のラティルの癖が出たことが
嬉しくて
ヒュアツィンテは笑いました。
ラティルも
ヒュアツィンテの微笑を見ると
胸が疼きましたが
わざと素知らぬ顔をして
窓の外へ顔を向けました。
その後、国境線付近まで
2人はほとんど話をしませんでした。
そして国境を過ぎて
ある村を通る頃、
ラティルは、ここで降りると
ヒュアツィンテに告げました。
彼は、目を閉じていましたが
その言葉に驚き、目を覚ましました。
そこは小さな村で
旅行客すら頻繁に立ち寄る所では
ありませんでした。
ラティルが首都か副首都に行くと
思っていたヒュアツィンテは
ここで用事があるのかと
尋ねました。
ラティルは、きっぱりと
ここです。
と答えました。
そして、
ラティルは御者席との仕切りを叩くと
村の外れで馬車は完全に止まりました。
ラティルは馬車から降りようとした時
ヒュアツィンテに馬車を貸すことを
提案しました。
その馬車は皇居用の馬車ではなく、
騎士が、
できるだけ平凡に見える馬車を
買って来たものでした。
ラティルは
これから山に登らなければならないので
馬車に乗っていくことはできません。
けれども、山に登る間、
馬車を預けるのも、売るのも
容易ではないので
ヒュアツィンテに
馬車に乗っていくことを提案しました。
帰る時に乗る馬は、
また買えばいいと思いました。
ラティルが山に登ることが
分かったヒュアツィンテは
その提案を承諾し、
お礼を言いました。
ラティルは、
車輪を治すのを
手伝ってくれた借りを
作りたくないだけと、
言いましたが
逆にヒュアツィンテに
ここまで来るのに
目をつぶってあげた借りは?
と聞かれてしまったので、
ラティルは、
先に自分が目をつぶったと言って
馬車を降りました。
彼は後を付いて行こうとしましたが
その思いを変えて、
馬車の窓を大きく開きました。
何の目的かはわからないけれど、
自分が付いて行けば
ラティルが
不安がるのではないかと思い、
わざと降りませんでした。
ラティルもヒュアツィンテが
どうしているのかがわかったので
口をつぐんだまま、
彼を振り返りました。
私たちが一つの馬車に乗って、
一緒に旅行することがあるだろうか。
これは、私たちが向かい合って
旅行することができた、
人生で唯一の瞬間だったのでは
ないだろうか。
そんな思いに、
ラティルは苦しくなりましたが、
彼女は弱くなった気持ちを
さっさと追い出しました。
ラティルは、馬車に乗っている間
用意しておいたメモを
窓越しに、ヒュアツィンテに
渡しました。
これは何?と
尋ねるヒュアツィンテに
ラティルは、行く途中で読んでと
答えました。
手紙には、
ヘウンに対するアイニの話について
自分にも思い当たる節があるので
事態が尋常でないなら、
力を合わせようと書かれていました。
これは、ヒュアツィンテに対する
個人的な感情を抜きにして
皇帝として書いたメモでした。
ヒュアツィンテは
ラティルのメモを複雑な目で
見つめた後、頷きました。
ラティルは、「さよなら」と
挨拶をするべきかどうか
しばらく躊躇いましたが
何も言わずに行ってしまいました。
今回のお話は、とてもせつなくて
涙が出てしまいました。
ラティルは、まだ
ヒュアツィンテのことが好きなのに
意地を張って、
素直に感情を表現できないし、
彼は、素直に
自分の感情を口にしているのに
ラティルが怒るので、
彼女をからかうことしかできない。
互いに想い合っていても
現状では、
ラティルとヒュアツィンテが
結ばれる可能性はなさそうですが、
2人に幸せな未来が来ることを
願っています。
ラティルが「さよなら」と
言えなかったのは
その言葉を口にしたら、
ヒュアツィンテと
永遠に別れる気がしたのかなと
思いました。