127話 クラインはヒュアツィンテの初恋の相手を知りたがっています。
◇宮殿に戻る◇
ラティルが短い休暇を終えて
宮殿に戻って来ると
ちょうどヒュアツィンテからの急報も
届いていました。
ラティルは、部屋に立ち寄る暇もなく
執務室へ向かいながら、
侍従長から手渡された手紙を
開きました。
彼は心配そうに、
どんな内容か尋ねると
ラティルは、気に入った答えだと
返事をしました。
ヒュアツィンテは、
ラティルと口裏を合わせるので
捕まえた襲撃者は
自分の所へ送って欲しい。
襲撃者を
ダガ公爵を逆襲するのに使う
と手紙に書いて来ました。
ラティルにとって、
満足できる答えでした。
ラティルは執務室に到着すると、
手紙を引き出しの中に入れながら、
犯人をカリセンに引き渡すための
使節団を準備しないといけない。
誰か適当な人を・・・
と言ったところで、
彼女は突然言葉を止めて
眉間にシワを寄せました。
ラティルは、しばらく考えた後で、
適当な人を手配することと、
タッシールを呼ぶように指示しました。
◇小動物◇
執務室で、
いくつかの急な案件を確認すると
すぐにラティルは
ゲスターの部屋へ行きました。
彼は、花壇の花に
ジョウロで水をやっていました。
その姿は絵のように和やかで
ラティルは彼を疑ったことを
悔やみました。
ラティルは、
腰を曲げて花の香りを嗅ぎ、
太陽のように笑っている彼をみて
ゆっくりとそちらへ近づき
彼を呼びました。
ゲスターは
花壇を手入れする手を留めて
ラティルの方を向きました。
彼女を見た彼は
耳まで赤くしたかと思うと
そそくさとジョウロを
後ろに隠しました。
花壇を手入れしていることが
何か悪いことでもしているかのように
天気もいいし、
することもなく
数日間、雨も降っていないので・・
と、しどろもどろに呟きました。
弁解することではないのに、
どうして、そんなに焦っているのかと
ラティルは、
ゲスターの様子を見て笑うと、
彼は首を傾げて、
彼女につられて笑いました。
そして、ゲスターは、
ラティルが帰って来て
執務室へ行ったことは聞いたけれど
すぐに自分の所へ来るとは
思わなかったと、
再び、うろたえるのを見て、
ラティルは、
彼のような子を疑ったことに
胸が痛み、
ゲスターを抱き締めました。
ラティルは彼のことを
胸の中でまともに動くことができず、
心臓だけがドキドキしている、
ウサギの赤ちゃんや
子猫や子犬のようなもの。
悔しくても、
まともに訴えることもできない
おとなしくて、
じっと我慢している愚かな男だと
感じました。
ラティルが
ゲスターの言い分を聞きに来た時に、
アトラクシー公爵のことを
話していてくれればと思いましたが
その時に聞いていれば、
ただの言い訳にしか
思わなかっただろうと考えました。
トゥーリは、
新たに植える苗を持ってきた時に、
ラティルがゲスターを
抱き締めているのを見て、
慌てて身を隠しましたが、
彼女はトゥーリに気がついたので
ゲスターを離して、
彼のもつれた髪を整えました。
ゲスターは、
突然、こんなことをされると・・・
と消入りそうな声を出しましたが
ラティルは彼の手を取って
部屋の中へ連れて行き、
ソファーに並んで座ると、
彼の手を握りしめて、
謝ることがあると言いました。
その言葉を不思議に思っている
ゲスターに、ラティルは、
彼が彼自身に宛てた手紙を
読んだと話すと
ゲスターの顔が真っ赤になりました。
どうして、それをラティルが
読んだのかと
しどろもどろに尋ねると、
彼女は、
彼に渡す必要がないと
書かれていたことが、
変だと思ったからだと答えました。
ゲスターが、
顔さえまともに上げられないと
ラティルは彼の手を
さらに強く握りました。
ゲスターは呼吸をすると
ゆっくりと顔を上げました。
ラティルと目が合うと、
彼は幸せそうな顔をしました。
いつもより、
にっこり笑ったゲスターが
ラティルに近づくと、
彼女は彼を抱き締めました。
ゲスターの表情を見て、
ラティルは、
これからは誰が何を言おうと
ゲスターを
すぐに疑ってはいけないと
決心しました。
◇目撃者の証言◇
ラティルがゲスターを訪ねたことに、
クラインは、いつものように
キレたりしませんでした。
突然、クラインの
気が変わったわけではなく、
ゲスターが誤解されたせいで
人々に色々言われたことを
可愛そうに思い
彼のことを大目に見たわけではなく、
バニルが階段から落ちた時に、
彼が1人で落ちたと証言した人を
探していたからでした。
その目撃者は、
バニルを押した人でなくても、
滑りにくい床から
彼が1人で落ちたと言って、
バニルのせいにした変な人なので、
酷い目に会わせたいと思いました。
もちろん、
バニルを押した人については
もっと怒るつもりでした。
どのくらい時間が経ったのか、
とうとうアクシアンが
目撃者を捕まえて来て、
寝室と廊下の中間の部屋に
引きずって来ました。
跪いてうつ伏せになった目撃者を
クラインは見下ろし、
お前が俺のバニルを
バカにした奴か?
と非難しました。
仕事中に
急に連れて来られた目撃者は
訳が分からず、
ブルブル震えていました。
クラインは、もう一度、
目撃者が、
バニルが1人で勝手に落ちたと
決めつけたことを非難しました。
目撃者は、
自分が見た通りのことを
皇帝に話しただけだと
言い訳しました。
しかし、クラインは
俺の侍従が
バカな嘘つきに見えたから、
見て聞いた通りに話したのか?
と言って激しく笑うと
片手で目撃者の耳を引っ張りました。
そして、はっきり言わないと
無駄な片方の耳を剥がしてしまうと
脅しました。
クラインが不気味に笑うと
目撃者は背筋がゾッとしました。
クラインは
美しい容貌と高貴な身分。
莫大な財産を持ちながら
自国で人気がないのは
それなりに理由がありました。
タリウムに来てからは、
ラティルに良い印象を与えるために
性格を少し抑えていたけれど、
彼は、元々、慈悲深い性格では
ありませんでした。
耳をちぎられる恐怖に怯えた目撃者は
少し変に見えた。
倒れたかもしれない。
自分で転んだかもしれないけれど、
手すりまで、とても長く滑った。
滑りやすい床ではなかったのに。
と、自分が見た光景を覚えている限り、
早口で話しました。
目撃者が事実通りに話したのに、
クラインは、
彼が嘘をついていると言って
もっと暴れ、息巻いたので、
アクシアンは、
目撃者を殺してしまったら、
話を聞くこともできないと言って
クラインを落ち着かせました。
アクシアンは舌打ちしながら、
目撃者に、
ありのままを話すように。
そうすれば無事に暮らせると
言いました。
目撃者は泣きそうな顔で、
1人で転んだのも、
周りに人がいなかったのも
事実だし、
手すりまで長く滑ったけれど、
周りに人がいなかったので
ひどく転んだせいで
長く滑ったとしか思わなかった。
その下にも誰もいなかったと
話しました。
クラインは、
ロルド宰相がいたのではと
尋ねましたが、
目撃者は、少し遠い所にいたと
話しました。
目撃者が嘘をついたと言って、
クラインが彼を殴ろうとしたのを
アクシアンは何とか食い止めました。
その間、バニルは
目撃者を後ろからつかんで
外へ脱出させました。
目撃者が怖がって行ってしまうと
クラインは、
ロルド宰相の名前を口にして
何か言いかけましたが、
言い終わる前に
アクシアンは「ダメです」と
反対しました。
クラインは
半分、自分を抱き締めているような
アクシアンを払い退けて
激しく怒りました。
目撃者が見ていなくても、
ロルド宰相が見ていたかもしれない。
真犯人を見ていなくても、
手がかりを見たかもしれない
と主張するクラインに、アクシアンは
ロルド宰相を無理やり連れて来て
追求すれば
両国の間の仲が悪くなると
言いました。
バニルも、ロルド宰相には
折を見て聞くしかないと、
アクシアンに同意しました。
クラインは歯ぎしりをしていたものの
侍従と護衛の2人が止めたので、
意地を張る代わりに、ソファーに座り
真犯人がどのような者であろうと
ロルド宰相が
守りたがっている人物だというのは
確かだと荒々しく呟きました。
クラインは頭の中で、
いつもブルブル震えている
ゲスターの顔が思い浮かびましたが
その上に×を描くと、
トゥーリの顔が思い浮かびました。
クラインは、
やはりトゥーリが犯人だと思いました。
◇銘酒への誘い◇
ゲスターを慰めて、
一緒にゆったりとした気持ちになった
ラティルが執務室へ戻ると、
侍従長は、
クラインが本宮の使用人を連れて行って
ひどく叱ったと報告しました。
本宮の使用人が、
ハーレムへ行くことはないはずだと
ラティルが眉をひそめると、
侍従長は、
クラインの侍従が、自分で転んだのに
誰かに引っ張られたと嘘をつき、
それを目撃した人が、
1人で滑ったと証言したので、
クラインが、それは嘘だと、
目撃者をひどく叱ったと
報告しました。
ラティルは、
クラインも自分なりに
調べたがっていると彼を庇うと、
侍従長は、
外国人のクラインが
使用人を呼んで𠮟りつけたことが
不満のようでした。
けれども、ラティルが
外国人でも
クラインは自分の側室だと言うと
侍従長は渋々口をつぐみました。
ラティルは、
クラインが使用人を拷問したのかと
尋ねると、侍従長は、
そうではなく、怖がらせたと
答えました。
それならば、その話はおしまいと
ラティルが言うと、
侍従長は、まだ不満そうでした。
そして、
ラティルの所へやって来た
クラインの使いが
彼の言葉を伝えると
侍従長は、さらに膨れっ面をしました。
使いは、
クラインがタリウムへ来た時に
カリセンから持ってきた銘酒を
一緒に飲みたいと言っていると
ラティルに告げました。
彼女は、使いに、
その銘酒は
アイニ皇后の友達かと尋ねました。
使いは、その言葉の意味が
分かりませんでしたが、
ラティルは7時頃、
クラインに自分の部屋へ来るよう、
返事をしました。
ラティルは、承諾書を読むために
インク瓶を空けると、
侍従長は、重苦しい顔をして、
一度アトラクシー公爵を
訪ねてみなければと思いました。
私の性格が悪いせいか、
ラティルの前で、
かわい子ぶりっ子しているゲスターが
心の中で、
自分の計画がうまくいった、
うっしっしとほくそ笑んでいる姿が
見えてしまいます。
人間の内面は、結構、
顔に出てきたりすると思いますが
ラティルの前では、
その素振りさえ見せないゲスター。
タッシールの前では
本性を現しているので
ラティルと一緒にいる時の
徹底した役者ぶりは
すごいと思います。