592話 ヒュアツィンテがラティルに結婚を申し込んだことを聞いて、クラインは怒りまくっています。
◇激しい怒り◇
バニルはクラインを
落ち着かせようと思い、
慌てて、後ろから彼を掴みましたが、
バニルは
最低限の運動しかしない人であり、
一見、遊んでいるように見える
クラインは、 実は腕の立つ剣士なので
バニルがクラインをつかんでも
しがみついているだけで、
少しも彼を制止できませんでした。
クラインは、
バニルにしがみつかれたまま
ヒュアツィンテからもらった
ガラスの置物を投げました。
ガシャンと音がして
ガラスの破片が四方に
飛び散りましたが、
クラインは瞬きもしませんでした。
どうして兄上は、
こんなことができるのか!
どうして?
アクシアンは、
ヒュアツィンテに仕えていましたが
この状況で、
彼を庇うのは大変でした。
バニルも、クラインが
問題を起こすことが心配で
彼を止めてはいましたが、
クライン同様、腹を立てていたので
結局、我慢できなくなり、
皇帝は本当にひどい。
皇子が、側室として
こちらへ来ているのに、
突然、ラトラシル皇帝との結婚を
進めようとするなんて、ひど過ぎると
一緒に怒っていました。
険悪な雰囲気の中で、アクシアンは、
これ以上、クラインを煽るなと
バニルに言うかどうか悩みました。
しかし、止めれば止めるほど
怒りが激しくなることもありました。
アクシアンの見たところ、
クラインの怒りは、まさにそれでした。
ひどい! とてもひどい!
自分の弟の妻に関心を示す人が
どこにいるのか!
今やクラインは、
ヒュアツィンテと関連した物さえ
見たくなくなったようで、
周りをキョロキョロしたかと思ったら
カリセンから持ってきた物を
全て壊し始めました。
バニルも、これ以上、
クラインを止めることができず、
ガラスの破片が飛び散るのを恐れ、
クラインから遠く離れて
足をバタバタさせるだけでした。
アクシアンは、
目の前で消えていく
お金を見つめながら、
これではダメだと思い、
急いで外に出ました。
◇皇帝に会えない◇
そのまま、皇帝の執務室の前に行った
アクシアンは、警備兵に、
中に皇帝がいるかどうか尋ね、
彼女に会いたいと告げました。
警備兵の冷たい視線を浴びた
アクシアンは、
自分は皇帝の側室であるクライン皇子の
護衛騎士アクシアンだと
付け加えましたが、
警備兵は依然として冷たい目で
アクシアンを見つめると、
皇帝は考えることがあるので、
誰も入れないで欲しいと言っていると
断固とした態度で言いました。
アクシアンは、
急な用事がある。
皇子に用事ができたと、
皇帝に伝えて欲しいと、
もう一度頼みましたが、
こんな事情、あんな事情を
大目に見ていたらきりがない。
誰かの頼みだけ聞いて、
他の人の頼みを聞かなければ不公平だ。
皇帝は、誰も入れないで欲しいと
言っている。
そう言われれば、誰も入れないと
警備兵は断固として断りました。
厳しい拒絶に、
アクシアンは困ってしまい、
皇子様のことです。
と、もう一度言ってみましたが
むしろ警備兵は、さらに厳しい表情で
皇帝の命令よりも皇子の命令の方が
重要だと言いたいのかと
反論しました。
アクシアンは、
融通の利かない警備兵に呆れて、
そういう意味ではないと、
言いましたが、警備兵は
断固として、
融通を利かせる気はなさそうでした。
仕方なく、アクシアンは
後で皇帝に伝えて欲しいと頼むと、
警備兵に背を向けました。
◇破談になればいい◇
バニルは、
姿を消したアクシアンが戻って来ると
どこへ行っていたのかと
急いで尋ねました。
アクシアンは険しい顔で、
皇帝に会いに行った。
皇帝が皇子を慰めてくれれば、
皇子も不安にならないだろうし
皇子が皇帝の気持ちを、
直接、聞けると思ったと説明しました。
バニルは、なぜ一人なのか。
陛下はどうしたのかと尋ねました。
アクシアンは、
皇帝に会えなかった。彼女は
一人でいたいと言っているらしく
近衛兵が入れてくれなかったと
答えました。
バニルは、
それならば、大声で叫ぶべきだった。
その口は、皇子をいじめる時だけ
使うのかと非難しました。
バニルの抗議に
アクシアンは肩をすくめました。
彼も、やはりその方法を
考えてみましたが、
逆効果になれば、皇帝を呼ぶどころか
やたらと叱られて
皇帝に憎まれるだけでした。
ここはカリセンではなく、
クラインは
寵愛を受けることもできない上、
子供もいないので、
行動に気をつけなければ
なりませんでした。
バニルはアクシアンに
ひどいことを言いましたが、
彼の考えが、
わからないではないので、
カリセンのことを考えると、
2人の皇帝が
結婚した方がいいけれど、
それでも自分は、皇子の味方なので
結婚が破談になればいいと、
ため息をついて、呟きました。
◇悪くない味◇
一方、サーナット卿まで
追い出したラティルは、
わざと簡単な書類を選び、
機械的に確認し、
サインを繰り返すことで
そわそわする気持ちを
抑えようとしました。
ヒュアツィンテと結婚する気は
当然ありませんでした
しかし、
その気がないからといって
気持ちが落ち着くわけでもなく、
ヒュアツィンテが、今、
色々と大変な状況であることと、
彼との不幸な別れに、
レアンの策略が絡んでいたことで、
ラティルは彼に
同情し続けていました。
いっそのこと、
離婚するのをやめればいいのに。
そうすれば、こんなことで
心を痛める必要もないのにと
ラティルは、イライラしながら
書類をめくりました。
そうしているうちにラティルは
紙で手を切ってしまい、
眉をひそめました。
ラティルは血の出る指を口にくわえ、
もう片方の手で
ハンカチを取り出しました。
すると、ラティルは、
ふと血の味が、
それほど悪くないと思い、
驚いて手を口から出しました。
ラティルは戸惑いながら
自分の手を見つめましたが、
切り傷は消えていました。
今のは何だったの?
血は、特有のほろ苦い味が
しなかったっけ?
ラティルは、
血の味が悪くないと感じた
自分に慄き、
椅子から立ち上がりました。
先程までは、部屋の中にだけ
閉じこもっていたかったけれど、
今は、部屋の中にいるのが
嫌になったラティルは、
すぐに執務室の外へ出ました。
そして、このことについて、
カルレインやギルゴールに
聞いてみようと思いました。
ところが、廊下を速足で歩いて行く
ラティルの後を、
扉の前にいた警備兵が
追いかけて来て声をかけました。
ラティルが振り向くと、警備兵は、
45分ほど前にクライン皇子の
護衛騎士がやって来たことを
伝えました。
ラティルは、
何の用事だったのかと尋ねました。
警備兵は、
皇帝に会いたいと言っていたけれど
急用ではなさそうだったので、
誰も入れないようにという
皇命を優先したと答えました。
クラインが呼んだのなら
本当に急用ではないのだろうと
ラティルは偏見に満ちた
考えをしました。
そして、クラインは、
ヒュアツィンテの話を聞いて
自分を呼んだようだけれど、
見るまでもなく、彼は
癇癪を起しているだろうし、
また、家に帰るといって
荷物でもまとめているかもしれない。
それならば、
後で行ってもいいのではないかと
ラティルは思いました。
しかし、ラティルは
頭が痛かったので、額に手を当て
ため息をつくと、クラインは、
ラティルとヒュアツィンテが
以前、恋人同士だったことを
知っているので、
この知らせに当然怒るだろうと
思いました。
しばらく悩んでいたラティルは
結局、方向を変えました。
◇秘密の共有◇
ラティルは、そのまままっすぐ
クラインの部屋を訪ねましたが、
不思議なことに、部屋の前に
警備兵が見えませんでした。
不思議に思いながら扉を開け、
中へ入ったラティルは、
外側の部屋にも、
誰もいないことに気づき、
怪しみました。
まさか、もう荷物をまとめて
出て行ったのか。
前にも家出騒動を
起こしたことがあるから、
まさか、また、
そんなことはしないだろうと
思いましたが、クラインは
ギルゴールと違う意味で
どこへ飛び出すか分からず、
全く、安心できませんでした。
ラティルは眉をひそめて
内側の部屋の扉を開けました。
扉を開けるや否や見えたのは
飛んでくるクッションでした。
ラティルは、
クッションを片手で受け取り、
部屋の中を眺めました。
部屋の中は、
割れたガラスや陶器の欠片などで
すっかり、
めちゃくちゃになっていました。
四方の床に
尖った物が散らばっていて、
中に入るのも難しそうでした。
ラティルは、扉の前に
警備兵がいなかった理由が
分かりました。
外に音が漏れるのを恐れて、
クラインの侍従と護衛が
警備兵を遠ざけたに
違いありませんでした。
ラティルは、手に持ったクッションを
ソファーにそっと投げると、
クラインを呼びました。
クラインが興奮のあまり、
自分の声が聞こえなかったら
どうしようかと思いましたが、
もう一切れのガラス片を
割ろうとしたクラインは、
ラティルの声を聞くと
すぐに反応しました。
ラティルは、部屋の惨状に
心が折れそうになっていましたが
いざ目元が真っ赤になったクラインが
涙声でラティルを呼ぶと、
心臓が止りそうになりました。
ラティルは彼に駆け寄ると、
大丈夫?
と声をかけながら、
クラインの両頬をつかむと
親指で目元をなでました。
そして、目が真っ赤に腫れている
クラインに、
痛くないかと尋ねました。
彼が暴れていることは
予測していたものの、
思ったより目が腫れていました。
ラティルは、クラインの涙を
手で拭い続けながら、
クラインを心配そうに見上げました。
その間、クラインは
唇をビクッとさせながら
ラティルを見下ろしました。
言いたいことが、
たくさんあるようでしたが、
口は一つしかないので、
言葉に詰まっているように
見えました。
しかし、ラティルが
ハンカチを取り出している間に
クラインは両腕を伸ばして、
ラティルを自分の腕の中に入れ、
絶対に手放さないというように
ギュッと抱きしめました。
ラティルは、痛くはないけれど
姿勢が悪くなりました。
それでも、クラインを振り切らずに、
そっと彼を呼んでみると、
クラインは宝石のような目から
涙をポタポタ流しながら、
兄と結婚するのかと尋ねました。
ラティルは、それを否定し、
誰が、そんなことを言ったのかと
尋ねました。
クラインは、カリセンから
求婚の使節が来たと答えました。
ラティルは、
カリセンから使節を送って来たけれど
自分が送ったのではないと言いました。
ラティルは、
悲しそうに泣いているクラインには
本当に申し訳ないと思いながらも
彼の目は、雨の日の星のように
美しいと思いました。
クラインは、
ラティルにぴったりくっ付きながら
それなら、結婚を断るのかと
尋ねました。
ラティルは、
もちろんだと、きっぱり答えると
もう一度、クラインの目元を
拭いてあげました。
クラインが悲しんでいる姿を見ると
ここへ来る前に、
来るかどうか迷っていたのが、
申し訳なくなるほどでした。
クラインは何度も
ラティルを呼びました。
彼女は、
本当に結婚しないので泣かないでと
頼みました。
すると、クラインは、
誕生日プレゼントを決めたので
願いをかなえて欲しい。
自分を捨てて兄の所へ
絶対に行かないで欲しいと頼みました。
バニルとアクシアンは
互いに顔色を窺いながら
そっと後ずさりすると、
扉を閉めて消えました。
ラティルは、
クラインの大きな背中を軽く叩くと
そんなことをするはずがないと
返事をしました。
しかし、クラインは
しばらく口を閉ざした後に、
兄と付き合ったことがあるではないかと
ラティルの耳元で囁きました。
ラティルは、
彼とは別れた。
今そばにいるのはクラインだと
答えました。
ラティルは、
クラインを少し自分から離し、
彼の顔を注意深く見て、
ため息をつきながら、
自分の可愛いクラインは、
ヒュアツィンテも知らない
自分の秘密を共有している。
クラインは自分のために魂をささげ、
自分の秘密を知っても、
すぐに受け入れてくれた。
クラインが言ったように、
自分たちは他の人々よりも
長い間一緒にいることになると
言いました。
続けて、ラティルは、
何が起きても、クラインは
自分を信じてくれたのに、
なぜヒュアツィンテの話が出ると
自分を信じられないのかと
尋ねました。
しかし、ラティルは
返事を聞かなくても
理由が分かりそうなので、
その質問をしたことを後悔しました。
やはり、クラインは
それが分からないのかという目で
ラティルを見つめていたので、
彼女は、
クラインの肩に寄りかかりながら
床に散らばった
ガラス片を見下ろし、
何かが起きる度に、
高価なガラスを壊していたら、
クラインの部屋には、
一つもガラスの装飾品が
なくなってしまうと、
わざと、いたずらぽっく
言いました。
しかし、クラインは、
ラティルから貰った物は、
一つも手を触れていない。
これは全て兄がくれたものだと
言い訳しました。
ラティルは、
物に罪があるのかと尋ねました。
その言葉を聞いたクラインは
ラティルに嫌われたくないのか、
カーペットに刺さっている
ガラスの破片の中で、
一番大きな物を手に取りながら
片付ければいいと答えましたが、
クラインは「あっ!」と言って
再び、ガラス片を落としました。
急いで拾ったために、
ガラスで手を切ったようでした。
驚いたラティルは、
すぐにクラインの手をつかみ、
彼を心配しました。
彼の滑らかな肌の上に、
長くひびが入り、そこから血が
だらだら流れていました。
ラティルは、
ガラスを手で拾ったらダメだと
クラインを非難しながら、
彼の血を舌でなめましたが、
後になって、
自分のしたことにびくつき、
体が固まってしまいました。
自分が再び血を口にしたことが
信じられませんでした。
ラティルは、
石のように固まったまま、
クラインを見つめました。
彼も口をポカンと開けて
ラティルを見ていましたが、
彼女と目が合うと、
クラインは当惑した声で尋ねました。
クラインは、
ヒュアツィンテのことが大好きなので
彼がラティルに求婚したことが
自分への裏切りのような気がして
激しい怒りを感じたのではないかと
思いました。
直接、ヒュアツィンテに
怒りをぶつけることができず、
物に当たったり、
ラティルが現れた途端、
ぽろぽろ泣くなんて、
子供のようなクラインですが、
そのようなところが、
彼が純粋な魂に選ばれた
所以なのかもしれないと思いました。
「秘密の共有」というキーワードで
クラインをなだめたラティル。
さすがです。