136話 クラインはサーナット卿に帰れと言われました。
◇言ってはいけないこと◇
一足飛びで
自分の部屋へ戻ったクラインは
タンスの奥にしまっていた
大きなスーツケースを
全部取り出して床に並べ、
服や靴や、よく使っていた物まで
全て投げ込みました。
部屋へ駆けつけたバニルは
クラインの腰にしがみつき、
落ち着いて欲しいと懇願しました。
しかし、クラインは、
バニルに放すように命じ、
帰れと言われたら、
帰らない訳にはいかないと
息巻きました。
バニルは、クラインが
急に帰ってきた理由を
ヒュアツィンテに聞かれたら
何と答えるつもりかと
尋ねました。
クラインは、事実通りに話す。
兄のことを怒っていないわけがないと
答えました。
側室に来る前に、
ヒュアツィンテが
ラトラシル皇帝に指1本触れるなと
警告した理由が
今更ながら分かったクラインは
唇を噛み締めました。
悔しくて、悔しくて、
腹が立って恥ずかくて
耐えられないクラインは
誰もいない山の中に入って
叫びたいと思いました。
アクシアンもクラインに
落ち着くように頼みましたが、
クラインは荷造りをするのを
止めませんでした。
それを見ていたバニルは
あんな風に荷物をまとめるのは
非効率だと思いましたが、
普段以上に理性を失ったクラインを
止めることは不可能でした。
しかし、アクシアンは
じっと立って、
クラインの行動を見守った後、
彼が部屋の中をキョロキョロ見回し、
まだ持っていく物はないか
探している隙を狙って、
彼を捕まえると、
もう一度、
落ち着くように言いました。
クラインは、アクシアンに
放せと命じました。
しかし、アクシアンは
ゾンビが現われて
黒魔術師が隠れている今の状況の下で
タリウムとカリセンは
協力することになっていると
言いました。
その言葉に、クラインは
どういう意味なのか。
自分は協力しないと言った。
自分は仮の側室なので
離婚も自由にできると言いました。
それに対してアクシアンは
クラインが勝手に帰ったら、
両国の仲が悪くなると言いました。
彼の声は抑揚がないので、
無常に聞こえました。
クラインは、
アクシアンの手を振り切り、
2人皇帝の間で
弄ばれた自分のプライドは
どうなるのかと尋ねました。
アクシアンは、
皇子様は大切な方だけれど
国が優先だと答えました。
正しい言葉だけれど、
傷ついて興奮した人には
言ってはいけない言葉でした。
バニルは目を大きく開き、
口を覆ってアクシアンを見ました。
クラインの瞳は
ぶるぶる震えていました。
あっという間に
スーツケースの1つが壁に飛んで行き、
もう1つのスーツケースが
アクシアンの方へ飛んできました。
出て行け!
クラインが大声で叫ぶと、
バニルは、
ぼんやり立っている
アクシアンの腰をつかんで
引きずり出しました。
クラインが
帰らないようにすることが
目的だったので、
アクシアンは素直に
バニルに付いて行きました。
廊下に出ると、
扉の前に立っていた警備兵が
アクシアンの額から
血が出ているのを見て当惑しました。
彼は、平然と袖口で
額から流れる血を拭いました。
大きくて固いスーツケースを
避けることなく、
まともにぶつけられても
額が少し裂けただけで済んだのは
幸いでした。
バニルは、
いい加減にするようにと言って
アクシアンにハンカチを渡すと
舌打ちしました。
彼は、それを受取りながら、
クラインの怒りが
少しでも収まればいいと
言いましたが、バニルは、
クラインが、
人を殴りながら怒りを解消する
頭のおかしい人だと
思っているのかと非難しました。
バニルは、
アクシアンを心配しながらも、
クラインをあまりにも騒がせたことに
腹が立っていました。
バニルは1人で部屋の中へ入ると
中から鍵をかけました。
警備兵は、うろうろしながら、
アクシアンに大丈夫かと
尋ねました。
彼は、
このことは誰にも言わないで欲しいと
警備兵に頼み、
反対側へ歩いて行きました。
警備兵は舌打ちしながら、
アクシアンの後ろ姿を見た後、
部屋の扉を見ました。
◇本当の答え◇
ラティルは岩に座ったまま、
ぼんやりと正面だけを
見つめていました。
怒りを吐き出すように話し、
ぱっと背を向けた
クラインの目を思い出すと、
気分がよくありませんでした。
ラベンダーの花束を持って
立っていた騎士も、
その場に居合わせていたために、
突然、
ラティルとヒュアツィンテが
付き合っていたことを知り、
心を乱していました。
そのようにしていて、
どのくらい時間が経ったのか
ラティルは騎士に、
自分のことをひどいと思うかと
尋ねました。
騎士は、ひどいと思わない。
そういうこともあると思うと
答えました。
ラティルは、騎士の主君が
自分ではなく、クラインだったら
同じように答えるかと尋ねました。
騎士は、しばらく躊躇った後、
当然だと答えました。
その躊躇いが、
本当の答えだと思ったラティルは
ため息をついて立ち上がると、
騎士に帰るように言いました。
花はどうするのかと尋ねる騎士に、
ラティルは、彼に持って行くように
答えました。
◇ギルゴール◇
狐の仮面が
どこの地図かわからない地図を広げて
あちこちチェックをしている間、
トゥーラは玉座に座り、
剣を磨きながら
狐の仮面をチラチラ見ました。
幸いにも、以前、
無礼な言動をした後は
二度と狐の仮面は
そのような行動を見せませんでした。
相変わらず、ニヤニヤして
小生意気なところはあるけれど、
それは、初めて会った時から
一貫して同じなので、
狐の仮面が急に変わったと
言うには曖昧でした。
狐の仮面は、トゥーラが
ずっと自分を見ているのは、
それだけ自分への
関心が強いからだと言いました。
トゥーラは、狐の仮面のことを
生意気だと言うと、
彼は
恥ずかしがらなくてもいい、
自分もロードへの関心が強いと
言いました。
狐の仮面は
トゥーラを見つめながら
口の端をニヤリと上げると
トゥーラは剣を磨くふりをして
手だけ忙しく動かしていました。
その時、
廊下で早い足音が近づいてきて
やがて扉が開くと
ウサギの仮面が現れました。
トゥーラは、冷たく低い声で
何事かと尋ねました。
あのウサギの仮面も
自分を無視すると思ったからでした。
ところが、ウサギの仮面の様子が
いつもと違いました。
彼は、
ギルゴールがここを見つけたと
言いました。
普段より、はるかに焦って
緊張した声に
トゥーラは磨いていた剣を下ろして
狐の仮面を見つめました。
彼の上がっていた口の端は
下がっていました。
狐の仮面は
パッと立ち上がって廊下に出ました。
トゥーラも剣を鞘に差し込んで
すぐ後ろをついて行きました。
先頭を歩くウサギの仮面に付いて
早足で歩いている時に、
トゥーラは、
ギルゴールが、以前、
狐の仮面が話していた
対抗者を育てる者かと尋ねました。
彼は、「はい」と答えました。
狐の仮面の深刻な声に、
トゥーラは、
漠然とした希望を抱きました。
彼は、
狐の仮面とウサギの仮面が
このように真剣になるのを
見たことがありませんでした。
ラティルが送って来た者たちが
ゾンビの群れを打ち破った時でさえ
そうでした。
それなのに、
今は不安がっているので
トゥーラは、
そのギルゴールという者と
手を握るとかして、
利用できないかと考えました。
その者は、
生まれ変わり続ける
ロードを追いかけて
殺そうとしていると聞いたので
自分がロードでなければ
可能だと思いました。
トゥーラが考えている間に
3人は望楼の前に到着し、
ウサギの仮面を先頭に、
次々と階段を上りました。
ところが、
階段を一段一段上がるほど、
ドンドンドンと、
何かを激しく叩く音が
大きくなっていきました。
誰かが巨大なハンマーで
扉と城壁を
破壊しまくっているような
音でした。
すでに少し割れていた
石段の角の部分がボロボロになって
流れ落ちて行くのを
発見したトゥーラは
目を大きく開きました。
音だけでなく、わずかながら
衝撃を受けたのは明らかでした。
ついに階段を上り切ると、
トゥーラは
望楼の手すりへ向かって歩いて行き
下を見下ろしました。
城門の前で、
真っ白な服を着た白髪の男が、
狂ったように
扉を蹴っていました。
それは、
扉を壊そうとするレベルを超えて
幽霊に憑りつかれたかのように、
高速でバンバン音を立てて
蹴っているので、
見ていて恐怖を覚えました。
トゥーラは、あの足を見て
ギルゴールを
利用しようという考えが消えました。
そもそも、
話が通じる相手なのか、
正気の人は絶対に、ハンマーのように
足を使ったりしないと思いました。
相変わらずだと言って、
狐の仮面が小さく舌打ちをすると
ウサギの仮面は頷きました。
相変わらずということは、
元々、あんな奴なのか、
そう考えた瞬間、
白髪の男が顔を突然上げて、
トゥーラと目が合ったので、
彼は無意識のうちに
後へ下がりました。
しかし、そのことで
プライドが傷ついたトゥーラは
半歩前に進み、下を見ました。
白髪の男は、依然として
上を見上げていて
トゥーラと目が合うと
両腕を広げてにっこり笑うと、
私が来たよ、ドミス!
と叫びました。
蹴るのを止めた男の顔を
改めて見てみると、
先ほどまで、
幽霊に憑りつかれたように
扉を蹴っていた
吸血鬼らしくなく、
かなり、きれいな印象でした。
狐の仮面が、
顔はハンサムだと言っていたように、
本当に美しい外見をしていて、
長いコートと髪の毛が全て白いせいで
神秘的に見えました。
ドミス、本当にごめん。
私は絶対に、
あなたを傷つけようとしたのでは
なかった。
と叫ぶと、突然、白髪の男は
腕を上げたまま、
苦しそうな表情で、
涙をぽろぽろ流し始めました。
わざと、あなたを
死なせたんじゃないんだ、
ドミス。
あなたは知っているでしょう?
分からなければ教えてあげるよ。
ごめんね、ドミス。
知っているでしょう?
私は絶対にあなたを傷つけない。
うん?分からない?
まだ覚醒していないでしょう?
心配しないで。
今度は私が守ってあげるから。
信頼感溢れる声で、
ギルゴールが泣きじゃくると、
トゥーラは狐の仮面に、
何か誤解があったのではないか、
前世のロードを
殺した人ではなさそうだと
囁きましたが、
彼は不機嫌な顔で
騙されないでと言いました。
しかし、トゥーラは
狐の仮面から聞いていたよりも、
ギルゴールは悪そうに見えないし、
あんなに切なく悲しく泣くのは、
彼の言う通り、
誤解があったからではないか。
陰険な狐の仮面が、
ギルゴールと自分を会わせないために
嘘を言ったのではないかと
怪しみました。
ところが、その瞬間、
いきなり腕を下げたギルゴールが
先ほどよりも強い力で
扉を蹴りました。
突然の行動の変化に、
トゥーラは固まってしまいました。
ギルゴールはトゥーラに向かって
再びにっこり笑いながら、
扉を開けて。
再び殺してしまう前に。
と命令しました。
ラティルが酔って、
クラインに絡みついた後、
再会した時に、
自分は酔っぱらっていて
何も覚えていない。
それ以前に
クラインと会ったことがないと
はっきり話していれば、
ここまで、事が拗れることは
なかったと思います。
真実を知ってしまって
怒りと恥ずかしさで、
いっぱいのクラインに、
サーナット卿は帰れと
ひどいことを言うし、
そのせいで、
さらに荒れ狂うクラインに、
火に油を注ぐような
アクシアンの言葉。
クラインは、
とても寂しがり屋さんで
大切にされたがっていると
思うのですが、そんな彼が
自分より国を優先すると言われれば
怒り狂うのも仕方がないと思います。
バニルは、その性格を
分かっていると思いますが、
彼ではクラインの慰めに
ならないと思います。
ここまで追い詰められたクラインが
本当にかわいそうです。
ドミスの記憶の中に出て来た
ギルゴールは、
彼女を殺していたようですね。
あの出会いから、
どうして、そのようなことになったのか
今後の話の展開が楽しみです。