598話 クラインは毛の束を、髭にすると言いました。
◇髭を付けた理由◇
毛の束について、
クラインに質問したバニルは、
想像以上の答えに、
気絶しそうになりました。
髭を付けると聞いただけでも
驚いたのに、髭を付ける理由が
ただ、雰囲気を変えるためではなく
二十歳年上に見せるためだなんて
バニルは気が動転しました。
バニルは、
真っ白で、フワフワした
毛の束を手に取りながら、
髭を付ける理由を尋ねましたが、
クラインに手の甲を
ピシャッと叩かれたので、
毛の束を下ろしました。
何事かと思い、やって来て、
話を聞いたアクシアンも、
やはり眉をひそめると、
皇帝の好みが、
髭をもじゃもじゃに生やした男に
変わったのでなければ、
無駄なことだと思うと率直に忠告すると
バニルは「ああ~」と嘆き、
皇帝の好みが変わったのかと
尋ねました。
クラインは「違う」と答えました。
バニルは、
それなのに、
髭を伸ばすのではなく
髭を付けるのかと尋ねると、
クラインは「そうだ」と答えたので
バニルとアクシアンは、
驚きましたが、クラインは、
毛を器用に切り揃えた後、
糊を付けるのを止めませんでした。
そして、ついに鏡の前に座った
クラインは、顎のラインに沿って、
毛の髭を、
しっかりと付け始めました。
アクシアンは、その偽の髭を
剥がしたい衝動を抑えるために、
バニルの服をつかみました。
しっかり寝て起きたクラインが
なぜ、こんなことをするのか、
二人は少しも理解できませんでした。
クラインは、朝起きるまで
いつもと同じでした。
昨日の夕方、タッシールの部屋で
食事をして来た後、
何かをじっくり考えていましたが、
もしかして、そこで何かあったのかと
考えました。
結局、我慢ができなくなったバニルは
昨夜、何かあったのかと
尋ねようとした瞬間、
偶然にも扉が開いて、
クライン、業務・・・
と言いながら
誰かが入って来ました。
気配を感じ、皆が振り返ると、
皇帝が立っていました。
バニルは、
クラインの現在の状態を思い出し、
心の中で悲鳴を上げました。
しかし、皇帝は、
部屋の中に入ってくるや否や、
クラインを見て笑い出しました。
バニルは明るく笑いながら、
ラティルを振り返りましたが、
彼女がクラインを見ながら、
やたらと笑っているので、
呆然とした表情をしました。
しかし、豊かな髭が、
口元を覆っていたので、
クラインの驚いている表情の
半分しか見えませんでした。
ラティルは、
入り口で立ち止まったまま、
それ以上、中に入ることもできず、
クライン、
あなたは本当に面白い人です。
と言って、腰を落として、
やたらと笑っていました。
バニルは、
一体どうしてそうなったのか
訳が分かりませんでしたが、
クラインがラティルの反応に
衝撃を受けたことに気づきました。
1分もしないうちにクラインは、
自分は最善を尽くして努力しているのに
そんなに笑うなんてひどいと
ラティルに抗議しました。
ラティルはクラインに謝りましたが
笑いが止まりませんでした。
バニルは、クラインが何のために
最善を尽くしているかは
分かりませんでしたが、
あのように抗議するのを見ると、
やはり昨日の夕方、
皇帝と食事をした時に、
何かあったと確信しました。
すぐにバニルは、少し腹を立てました。
クラインが、
あの泡のような髭を付けているのが
皇帝のせいなら、
あの格好が見苦しいとしても、
皇帝は、あんな風に
笑ってはいけませんでした。
いくら皇帝でも、ひどい反応でした。
しかし、ラティルがクラインに
髭を付けた理由を尋ねると、
バニルの反発心は一気に収まりました。
陛下がやらせたのでは
なかったのですか?
バニルは当惑して、
クラインを見つめました。
クラインは、何か言おうとして
口を開けましたが、
バニルの視線を強く意識し、
バニルとアクシアンに
出て行くよう、扉を指差しました。
バニルは、裏話が気になりましたが、
アクシアンに引っ張り出され、
やむを得ず外に出ました。
バニルとアクシアンが外へ出て
扉を閉めると、
ラティルは腰を伸ばし、唇を噛んで
クラインに近づきました。
その一方で、ラティルは、
髭で顔が埋もれたクラインを見て
再び笑わないように努めましたが、
クラインは唇を尖らせたまま、
ラティルと目が合うと、
見るや否や、あざ笑うなんて
本当にひどい。
皇帝の前世の子供が来るので、
自分はそれなりに努力した。
彼の外見は、
自分たちと似ているように
見えるけれど、実際は
自分たちより年上だ。
けれども、自分が突然、
皇帝の子供より年上になることは
できないので、外見だけでも、
重厚な印象を与えるために
髭を生やしたと抗議しました。
ラティルは、その言葉に
少し真面目に感嘆しました。
ラティルは、クラインが、
それなりに頭を使ったんだと
指摘すると、クラインは、
それなりにですか?
と抗議しました。
続けてラティルは、
なぜクラインが、顔に、
プードルの毛を付けているのか、
本当に気になっていたと言うと、
クラインは、
プードルの毛ではないと抗議しました。
ラティルが謝ると、クラインは、
これは羊毛だと主張しました。
ラティルは、
再び謝ろうとしましたが、
また我慢ができなくなって、
プッと吹き出してしまうと、
怒ったクラインは、髭をつかんで
剥そうとしました。
しかし、糊が固まってしまっため、
髭は剥がれず、
肌だけが引っ張られました。
クラインは、
その痛みで悲鳴を上げると、
ラティルは、
急いで顎に力を入れました。
幸い、今度は笑いを堪えたラティルは
クラインを支え、
慎重に彼の顎を撫でてやりました。
ラティルが、
大丈夫かと尋ねると、クラインは
大丈夫ではない。
肌がちぎれるかと思ったと答えました。
ラティルは、
何で髭を付けたのかと尋ねると、
クラインは、衣類用の糊だと
答えました。
ラティルが、
クラインの肌は布なのかと言うと、
クラインは膨れっ面をして、
ラティルの腕に額を当てて
沈黙しましたが、
ラティルが、撫で続けると、
痛みがすぐに治まるのか、
クラインは再び元気を取り戻し、
目を輝かせながら
自分のアイデアを、
どう思うかと尋ねました。
ラティルが見るや否や、
笑っているのを見たにもかかわらず
自分のアイデアを、
まだ諦めていない様子でした。
ラティルは正直に、
面白いと言おうとしましたが、
クラインがラティルの良い返答を
純粋に熱望していることが
彼の瞳から読み取れたので、
真実を語るのが難しくなりました。
ラティルは悩んだ末、
あの子は意外と髭が好きかもしれないと
自分なりに努力して考えた
返事をしました。
髭が好き?
ラティルの言葉に、
クラインは眉をつり上げ、
ぼんやりとした表情で呟きました。
ラティルは、
語感が変だったかな?と
思いましたが、
彼女は唇をもう一度噛みしめながら。
髭に埋もれたクラインを
見ないように努めました。
クラインはそのようなラティルを見て
だんだん肩を落として行きました。
ラティルは、
クラインの視線を避けたまま、
タッシールの部屋から持ってきた
書類を渡すと、
髭はゆっくりと水でふやかして
取るように。
そして、髭を剥がしている間に
これを見るようにと指示しました。
クラインは、
これは何かと尋ねました。
ラティルは、
今、ハーレムの臨時責任者は
クラインの番ではなかったかと
聞くと、彼は、そのことを
すっかり忘れていたようで、
「ああ~」と嘆きながら
書類を受け取りました。
クラインは、忘れていたことを
正直に話すと、ラティルは、
拉致されたり、他にも色々あったから
仕方がない。
けれども、今はクラインの番なので、
クラインが、きちんと
務めを果たさなければならない。
クラインは、
ここをうまく管理する姿を
見せなければならない。
自分が皇配を選ぶ時、
そのような点も反映すると告げました。
実はラティルは、まだタッシールが、
ハーレムの管理を受け持っていることを
発見し、彼が、また過労で
倒れるのではないかと心配して、
彼から奪うように
書類を持って来たのでした。
しかし、本来の目的は、
側室に一度ずつハーレム管理を
任せることだったので、
ラティルは、わざとそのように
言い繕いました。
クラインは書類を抱きしめ、
目を輝かせながら頷き、
頑張ってみます。
と言いました。
◇心の準備◇
クラインの部屋を出たラティルは、
着替えてから執務室に行くために
自分の寝室へ歩いて行きました。
昨日の夕食後に退勤して
夜明けに戻って来たサーナット卿は
ラティルの後を追って歩いている途中
彼女が、口元に
笑みを浮かべているのを発見し、
皇帝の前世の子が来るのが
楽しみなのかと尋ねました。
ラティルは、サーナット卿が
その質問をした理由を尋ねると、
サーナット卿は、
ラティルが、ずっと笑っているからと
答えました。
ラティルは自分の口元に触れ、
口角が上がっているのを確認して笑うと
確かにそうだけれど、
シピサのせいで
笑っていたわけではない。
先程、クラインに会いに行ったら
顔に髭をつけていた。
シピサに重厚な姿を見せたいそうだと
説明しました。
そして、そのことを考えると
クラインが少し可愛くて笑いました。
一方、サーナット卿は
その皇子の一体何が問題なのかと
思いましたが、ラティルは嬉しそうに
笑い続けました。
ラティルは、
最初は、ただ笑ってしまったけれど
よくよく考えてみたら
学ぶ点があった。
クラインは一生懸命努力していたと
話しました。
サーナット卿は、
方向性がおかしいと非難しましたが
ラティルは、
それでも、クラインは努力している。
それを見て、自分もその子が来る前に、
もう少しきちんと心の準備を
しなければならないと思ったと
話しました。
サーナット卿は「心の準備?」と
聞き返すと、ラティルは、
あの青年は前世の子供ではあるけれど、
彼の記憶が多いわけでもなく、
実は、自分も少し曖昧だからと
答えました。
ラティルは自分をじっと見つめていた
青年の表情を思い出しました。
回想の中で、ギルゴールに抱かれて
幸せそうだった子供の姿も。
ラティルは訳もなく
髪の毛を触りました。
◇たとえ嘲笑われても◇
その時刻、クラインは、
鏡に映し出された自分の姿を
見続けているうちに、
その姿に慣れてしまいました。
見れば見るほど、重厚な趣が
感じられるようでした。
クラインは、今の姿が、
皇帝が笑い続けるほど、
おかしいのかと思い
外へ出てみました。
実は、この姿はとても素敵で、
皇帝は、ただ見慣れていなくて
笑っただけなのかもしれませんでした。
クラインは、
最も客観的に評価できる大神官を訪ね
髭について意見を聞くことにしました。
ところが大神官に会う前に、
道端で出会ったゲスターが
クラインを見て
目を丸くしたかと思うと、
軽く笑って、通り過ぎました。
今、あいつは何をして行ったんだ?
ゲスターに挨拶をするかどうか
考えていたクラインは、
慌ててバニルを見ながら、
あいつは自分を嘲笑って行ったのかと
尋ねました。
顔に羊毛を付けたクラインが
恥ずかしくて、
できるだけ知らないふりをして
立っていたバニルは、
ゲスターを見ていなかったので、
反対側を見ていたので見えなかったと
素直に答えました。
しかし、クラインは
ゲスターが自分を嘲笑っていたという
自分の記憶を信じ、彼に抗議するため、
ゲスターが行った方へ
歩いて行きました。
ところが、途中で出会ったカルレインが
クラインを見ると、
自分が何かを見間違えたかのように
目を擦って、再びクラインを見たため、
クラインは、これ以上、
歩けなくなりました。
カルレインは目を擦るだけでなく
クラインに近づくと、
彼の髭を引っ張りました。
クラインは、
何をしているんだ! 無礼だ!
と抗議すると、カルレインは、
ああ、そうか。
と上の空で答え、
好奇心が解決したかのように
彼の横を通り過ぎました。
クラインは後ろを振り返り、
髭が変かと、バニルに尋ねました。
彼は急いで頷くと、クラインは
大神官の所へ行くのを止め、
落ち込んだ様子で部屋に戻りました。
クラインはバニルに
髭を取って欲しいと頼むと、
バニルはお湯を持って来ました。
クラインがベッドに横になると、
バニルはタオルをお湯で濡らし、
クラインの顎に乗せて、
髭がふやけるのを待ちました。
しかし、その前に、
クラインの涙がこぼれました。
それなりに一晩中悩んだ末に
試みてみたのに、
皇帝は見た途端、笑い、
バニルとアクシアンは言葉を失い、
カルレインは見て見ぬをふりをし、
切り干し大根のゲスターにまで
嘲笑われるなど、
相次いでバカ扱いされると、
あまりにも胸が痛み、
恥ずかしい思いをしました。
クラインが涙をぽたぽた流し始めると、
バニルは悲しそうな表情を浮かべ、
泣かないでと言って
クラインを慰めました。
アクシアンはハンカチを取り出し、
クラインの目元を拭きました。
クラインは、
2人の側近に慰められながらも
涙を流していましたが、
自分は、誰が何と言おうと
必ず皇配になる。
そのためにこのように努力している。
他人が自分の努力を見て
笑っても構わない。
嘲笑されるのではないかと思って、
何もできない人たちよりは、
自分の方が倍、優れていると
やっとの思いで声を上げました。
最初のうち、バニルは上の空で
クラインを慰めていましたが、
クラインが真剣に話しているのを聞くと
一緒に泣きそうになり、
なぜ、髭を生やしたのかは
まだ分からなけれど、
とにかく皇子は、いつも何でもする。
じっと座って皇帝の寵愛だけを待つ
側室より、皇子の方が
はるかに優れていると叫びました。
なぜかアクシアンも、
最後の勝者が皇子になればいいと
肯定的な言葉を言いました。
クラインは「そうですね」と
呟くと、目を見開いて
涙を横に流した後、
しばらくしぼんでいた勇気を
取り戻しました。
こうしている時間はない。
髭は失敗したけれど、
失敗していない他のことが、
まだ、たくさんあるので、
すぐに髭を落とし、
次の策を講じようと決意しました。
その時、静かにクラインを
見守っていたバニルは、
なぜ急に髭を生やしたのかは
分からないけれど、
とにかく皇配になろうとするために、
そのような努力をしたのかと
尋ねました。
クラインは、
その通り。そうでなければ、
こんなことはしないと答えると、
バニルは、
今、それを見て、
とても良い考えを思いついたと
言いました。
クラインが、
「良い考え?」と聞き返すと、
バニルは、あの髭を、
他の側室たち全員に
付けてしまえばどうかと提案しました。
クラインがフワフワの羊の毛を
顔いっぱいに付けているのを想像し
思わず笑ってしまいました。
確かにクラインはバカげたことを
やっているけれど、
バニルが言うように、
他の側室たちに比べて行動力はあるし、
クライン自ら
ラティルの部屋へ行ったことで
一緒に寝ることもできたので、
彼に皇配になる資質があれば、
皇配になるのも夢ではないかも
しれません。
残念ながら、それがないので
皇配にはなれないでしょうけれど
ラティルに対する純粋な愛は
他の誰にも負けていないと思います。