780話 ラティルはクラインに犯人は誰だったのかと尋ねました。
◇理由が分からない◇
自分が犯人だとゲスターが言ったと
クラインは答えました。
ラティルは一瞬耳を疑い
何を言っているのかと聞き返しました。
ゲスターはこのことに
何の関係もないはずだからでした。
クラインは、
自分には分からない。
本人が、そう言っただけだからと
答えました。
ラティルは、
本当なのかと尋ねました。
クラインは、
自分も分からない。
本人がそうだと言うなら、
そういうことなのだろうと答えると
話せば話すほど腹が立ってくるのか、
ついには唇を固く閉じてしまいました。
ラティルは額を押さえて
首を横に振ると、
ゲスターがやったのか、それとも
ランスター伯爵がやったのかと
考えました。
クラインは
ラティルをギュッと抱きしめると
皇帝も本当に馬鹿みたいだ。
どうして自分に
全て話してくれなかったのか。
自分が皇帝に会いに来た時に、
訳もなく陛下に対して
悔しがっていたのにと
恨み言を言いました。
ラティルは、
ゲスターがぬいぐるみを
持ち出したという話さえ
聞いていなければ、
今、クラインと和解できたのが嬉しくて
彼をギュッと抱きしめ、
喜んでいたと思いました。
ラティルは、
後で話そうと言うと、苦笑いし、
クラインの肩を叩いて
執務室へ歩いて行きました。
いくつかの差し迫っている業務を
終えた後、
ラティルは時計を確認しました。
国務会議の時間まで、
まだ少し余裕があったので、
ラティルは侍従に
ゲスターを呼ぶよう指示して
ペンを握りました。
そして、
乱れそうな気持ちを抑えながら、
一枚の報告書を見た頃、
ゲスターが入って来ました。
ゲスターはラティルに
自分を呼んだそうだけれどと
尋ねました。
ラティルは頭を下げたまま、
クラインの話によれば、
ゲスターがクラインのぬいぐるみを
皇女の部屋に入れたとのことだけれど
それは本当なのかと尋ねました。
ゲスターは、
しばらく目を丸くしていましたが、
頷きながら、自分がそう言ったと
力のない声で答えました。
ラティルは、ペンをドンと置きました。
力を入れたわけではないけれど
折れたペンから
インクがだらだらと流れ出て
机を濡らしました。
ラティルは頭を上げました。
ゲスターは首筋まで
赤く染まっていました。
ラティルはゲスターに、
なぜ人の物を皇女に渡したのか。
ランスター伯爵がしたことなのかと
尋ねました。
ゲスターは、
それが・・・よく分からない・・・
と答えました。
ラティルは、
ゲスターがしたことなのに
理由が分からないのかと尋ねました。
ゲスターは「すみません・・・」
と謝ると、さらに頭を下げました。
今にも泣き出しそうな表情でした。
その姿がとても可哀想に見えて、
ラティルは、これ以上
怒ることができませんでした。
しかし、慰めたくなかったので、
ラティルは扉を指差し、
分かったから、 もう帰れと
指示しました。
ゲスターは、
ラティルが怒っているのかと
尋ねましたが、ラティルは
帰れと指示しました。
◇すぐに広まった噂◇
会議の間、
ずっと雰囲気が沈んだままでした。
先帝の支持者はもちろん、
レアンの支持者でさえ
皇帝の雰囲気が尋常でないため、
自重しました。
彼らは、レアンの結婚の件が
うまくいかなかったので、
皇帝は、あのようにしていると
誤解しました。
しかし、休憩時間に、
しばらくトイレに行ったり、
水を飲みに外に出た大臣たちは、
クライン皇子が皇帝に預けた
大事なぬいぐるみを、
ゲスターが許可なく皇女に与えたところ
皇女は、それを壊してしまった。
ようやく皇帝は、その真相を知ったので
今、殺気だっている、という噂を
聞いて来ました。
ラティルも風に当たりに出たところ、
その話を聞きました。
ゲスターが本宮からハーレムまで、
わんわん泣きながら
走って行ったらしく、
それで噂があっという間に広まったと
サーナット卿は伝えました。
しかし、彼は、
ゲスターにとって悪い状況だけれど、
何か疑わしいものがあると思い
眉を顰めました。
他の人がこの情報を突き止めて
クラインやラティルに伝えたなら、
疑わしくなかっただろうけれど
ゲスター自ら
クラインに自白したという点で
本当に怪しいと思いました。
しかし、ゲスターが、
また何か企んでいるのではないかと
話せば、
彼と仲違いをさせようとしていると
思われるような気がして、
サーナット卿は口をつぐみました。
ラティルは不機嫌そうに、凍った土を
つま先で蹴りました。
◇乳母の告白◇
会議を終えて外へ出ると
ふわふわした雪が舞っていました。
「やれやれ、骨身に堪える」と
年取った大臣たちは
訳もなく弱音を吐きながらも、
初雪を見て子供のように喜びました。
ラティルは一人で外へ出て
雪を眺めていましたが、
着替えようと思い、
寝室に上がりました。
寒くはなかったけれど、
お腹の中に赤ちゃんがいるので、
念のため暖かい服を
着ようと思ったからでした。
ところが、着替えを終えて
出かけようとするラティルを、
乳母が訪ねて来て、
弱々しい声で呼びました。
ラティルは、
どうしたのか。
自分たちの間で、何をそんなに
恥ずかしがっているのかと
からかうと、
乳母は両手で顔を覆いながら、
自分も噂を聞いたけれど、
どうしたらいいのかと
困っていました。
ラティルは、何の噂?と
聞き返すと、乳母は、
ゲスターとぬいぐるみの噂だと
答えました。
ラティルは、
もう終わったことだから大丈夫だと
乳母を安心させると、
再び、廊下を歩いて行きました。
しかし、乳母はラティルを追いかけ、
彼女の腕を掴みました。
ラティルが振り向くと、
乳母は泣きべそをかきながら、
ぬいぐるみを皇女に渡したのは
自分だと打ち明けました。
ラティルは口をぽかんと開けて
ぼんやりと
乳母を見つめていましたが
当惑しながら 「え?」と
聞き返しました。
乳母の顔が真っ赤になりました。
乳母は、
ぬいぐるみが、
そんなに貴重なものだとは
思わなかった。
ただ、皇帝が皇女のために
時間を割いてくれないことと、
ぬいぐるみが
「陛下」という首輪を掛けていて
皇帝に似ていて、
皇帝の部屋に置かれているので
皇帝の匂いも
染み込んでいるだろうから
皇帝の代わりに
皇女がぬいぐるみを抱けばいいと思い
ゆりかごに入れたと打ち明けました。
ラティルは、
あらゆる推測をしてみましたが、
乳母が犯人だとは
思いもつかなかったので、
何も言えませんでした。
それでは、なぜゲスターは
そんなことを言ったのかと
尋ねると、乳母は、
分からない。
自分も噂を聞くまで、
このことをすっかり忘れていた。
皇帝のベッドに、
また、ぬいぐるみが
戻って来ていたからと答えました。
ラティルはサーナット卿を
振り返りました。
彼はラティルと目が合うや否や、
彼女の内心を察し、
ゲスターを迎えに行きました。
◇泣かないで◇
食堂にいるラティルの所へ、
サーナット卿は
ゲスターを連れて来ました。
未だにゲスターの目元と鼻は赤く、
瞼が腫れていました。
ラティルは立ち上がって
ゲスターの所へ駆け寄り、
彼をギュッと抱きしめると、
自分が怒ってしまったことを
謝りました。
ゲスターはすすり泣くばかりで、
答えませんでした。
ラティルは、彼の心臓の音が
とても速いと思いました。
表面的には落ち着いているけれど
かなり驚いているようでした。
ラティルは
しばらくゲスターを抱きしめたまま
彼の背中を軽く叩き、
顔を上げてみると、
ゲスターは、また泣いていました。
ラティルはゲスターに
泣かないでと言いながら、
涙を拭いてやると、
むしろ、ゲスターの涙は
さらに溢れ出ました。
ゲスターはラティルを呼び
何か言おうとしたところ、
ラティルは
ぬいぐるみを持ち出したのは
ゲスターではないと言いました。
ゲスターは、
どうして分かったのかと尋ねました。
ラティルは、
乳母が持ち出したことを、
打ち明けてくれたと答えました。
ラティルは彼の胸に額を当て
軽く肩を叩きながら、
ゲスターがしたことでもないのに、
どうして、自分がしたと
嘘をついたのかと尋ねました。
ゲスターは、
皇帝がクライン皇子のことで
心を痛めていたようだったので、
自分が前に出れば、
クライン皇子が皇帝を
憎まないだろうと思った。
自分が嫌われても
皇帝の心が楽になることを
願っていたと、
消え入りそうな声で打ち明け、
そのことを思い出すと辛いのか、
さらに苦しそうに泣きました。
その、とんでもない話を聞き、
怒ったラティルは、
どうしてゲスターは
こんなに間抜けなのか。
自分がしてもいないことをしたと言って
どうするのかと
少し声を高めて非難しましたが、
ゲスターの涙が、さらにこぼれると
びっくりして、
彼を再び抱きしめました。
ラティルはゲスターに
何度も、泣かないでと言いました。
◇初雪デート◇
午後遅くに起きたクラインは、
自分が眠っている間に起きた騒動を
知らず、後になって、バニルから
ぬいぐるみを持ち出したのは
ゲスターではなく乳母だったという話を
聞きました。
しかし、クラインは、
それでどうしろと言うのか。
ぬいぐるみを持ち出しのが
ゲスターにしろ乳母にしろ、
自分のぬいぐるみは消えて、
中に入れておいた宝石も消えたと
膨れっ面で文句を言いましたが
窓の外に雪が落ちるのを見ると
「雪だ!」と叫びながら
走って行きました。
彼は白い雪が降り注ぐ空を
驚嘆しながら眺めると、
素早く着替えて、
ハーレムの外へ飛び出しました。
どこに行くのかと尋ねるバニルに
クラインは浮かれながら、
「陛下の所へ。初雪デート」と答えると
雪の中を飛び跳ねる大型犬のように
走って行きました。
その後ろ姿を見たアクシアンは、
クラインが雪を踏みしめながら、
あんなに走れるなんて
バランス感覚がいいと感心していると
バニルにわき腹を突かれたので、
一歩遅れて
クラインを追いかけました。
ところが、飛び跳ねながら
移動していたクラインが
途中、木につかまって立ったまま、
ぼんやりと口を開けていました。
アクシアンは彼に近づき、
どうしたのかと尋ねると、
クラインは静かにしろという
合図を送りました。
アクシアンは、
クラインが見つめていた方向を
見ました。
皇帝がゲスターと二人で、
雪だるまを作っていました。
今は帰った方がいいと、
アクシアンが言おうとした瞬間、
クラインはすでに前に出ていました。
◇元通りに探せ◇
ラティルは
ゲスター髪の毛のあちこちに
白い雪が降り積もっているのを見て
プッと笑いました。
ゲスターは顔を赤らめながら
袖で目元をこすりましたが、
むしろ睫毛と髪の毛が
湿るだけでした。
それを見たラティルは、
ゲスターはおじいさんになっても
愛らしいと呟くと、
ゲスターは目を伏せながら、
皇帝は、自分がおじいさんになっても
好きでいてくれるかと尋ねました。
ラティルは、
ゲスターの頬にまとわりついた髪の毛を
後ろに流しました。
目が合うと、ゲスターは
半分目を閉じました。
キスしてくれと、
せがむような表情でした。
寒さのせいか、
いつもより赤くなった唇を見ると、
ラティルはお腹が痒くなりました。
彼女は、ゆっくりと彼の唇に
自分の口を近づけました。
しかし、唇が触れる前に
あまり積もってもいない
ネズミの糞のような雪で
どうやって雪だるまを作るのかと
大きな声が二人の邪魔をしました。
ラティルは慌てて
そちらへ首を向けると、
クラインが息を切らしながら、
茂みをかき分けて
近づいて来ていました。
ラティルは
決まりが悪そうに笑うと、
クラインは両腕を下げて立ち、
ゲスターとラティルを
交互に見つめました。
彼の顔は、ゲスターとは違う意味で
赤くなりました。
しばらくそうしていたクラインは、
鼻をビクビクさせ、
ラティルに背を向けながら、
皇帝と皇帝の忌まわしい側室が
なくした自分の宝石を
元通り探せと叫びました。
◇ゲスターと一緒に◇
クラインは泣きながら戻って来た途端
荷造りを始めたので、
バニルは慌てて、
手足をバタバタさせました。
クラインの後を
ゆっくり付いて来たアクシアンは
カリセンに帰るのかと尋ねると
クラインは泣きながら
ディジェットへ行くと叫びました。
バニルはアクシアンに、
一体、皇子はどうしたのかと
目配せしながら、
なぜ、ディジェットへ行くのかと
クラインに尋ねました。
彼は、冒険家に依頼したことがあるから
会いに行くべきではないかと
泣きながら答えましたが、
手は忙しく動かし続けました。
バニルは、
怪物があちこちから飛び出す旅に
再び出ることを考えると、
顔から血の気が引きましたが、
今回は、バニルとアクシアンが
付いて行く必要はありませんでした。
約15分後、
クラインのことが心配になった
ラティルが、
ゲスターと一緒に訪ねて来て、
クラインがディジェットへ
行くという話を聞くと、
彼をディジェットへ
連れて行ってくれと、
ゲスターに頼んだおかげでした。
ラティルは、
ゲスターがアドマルの中に
入るのでなければ
大丈夫ではないかと尋ねました。
クラインは、
嫌だと叫ぼうとしましたが、
自分一人が留守をすると、
あの二人が、また唇を合わせながら
過ごすだろうと考え、
ぐっと我慢しました。
ゲスターは、
すぐに、そうすると答えました。
クラインは、
ゲスターと二人きりになったら
確実に機先を制し、
あの尻尾の付いた切り干し大根を
ギュッと押さえつけてやろうと
思いました。
ゲスターは、
どうせクラインは、まともな情報を
得ることができなかったはずだから
慰めるふりをして、思う存分、
怒らせてくることにしました。
◇すごい情報◇
一方、遠く離れた
ディジェットの市場の中で、
クラインの雇った冒険家は、
読めないけれど、見ただけで
すごい情報だと思わないか。
報酬を上乗せして要求すべきかもと
叫んでいました。
これもゲスターの策略とはいえ、
大の大人が人前で
わあわあと泣いたりして
恥ずかしくないのでしょうか?
弱虫、泣き虫、臆病というレッテルを
自分に貼ることで、
凶悪な黒魔術師である本性を
隠す意味もあるのでしょうけれど、
ラティルも、ゲスターの本性を
知りながら、彼の涙に
情がほだされてしまう。
ゲスターは気持ち悪いし、
ラティルは、
バカななのではないかと
思ってしまいました。
母親からもらった宝石を
なくされてしまい、
ラティルとゲスターが
仲よくしているのを
見せつけられたにもかかわらず
ラティルのために
ディジェットへ行こうとするクラインが
健気だと思いました。
今回のお話で、
以前、要約という形で
先にご紹介した部分の
やり直しが終わりました。
結構、間違っている部分があり
冷や汗ものでしたが、
残すところ220話を、
滞りなく終わらせたいと思います。