167話 自分が吸血鬼であることを、サーナット卿は打ち明けました。
◇サーナット卿の心の声◇
ラティルは
頭の中が真っ白になりました。
一体何を話せばいいのか。
吸血鬼に一度噛まれたのに
大丈夫なの?
一度噛まれたのと、そうでないのと
何の違いがあるの?
噛まれたのなら、いつ噛まれたの?
幼い頃も、サーナット卿は
ラティルとレアンのそばにいたので
ずっと、その状態でいたのだろうか。
それなら、
ずっと正体を隠していた彼を
信じていいのだろうか。
でも、誰かが吸血鬼に噛まれたとして
それを友達や、その妹に
告白するだろうか。
そんなことはしないだろう。
ところで、今はロードが現われ
ゾンビが現われ、
怪物がハーレムの中を
走り回っているけれど・・・
ラティルは
サーナット卿の手首を握りしめて
どうすることもできず、
彼の目だけを見つめていました。
その瞬間、
(私を信じなければなりません)
サーナット卿の心の中から
哀願する声が聞こえてきました。
(私がそばにいる時は
陛下を守ることができます。)
彼の心の声は悲しみに満ちていて
とても切なく、
危うげに聞こえました。
(私は陛下を守るために生まれました。
本当です。)
涙は見えなくても
彼が泣いているのが分かりました。
ラティルの手から
少しずつ力が抜けて行き、
彼女はサーナット卿の手首を
離しました。
サーナット卿はラティルを呼びました。
彼の声は枯れていました。
ラティルは、サーナット卿に
椅子に座るように命じました。
彼は躊躇っていましたが
4mほど離れた所にある椅子に
座りました。
いつもは、ラティルの横に
椅子を持って来て座りましたが
今回は、自分が
おとなしいライオンであることを
示すかのように、距離を置きました。
捨てられるのを恐れているような
彼の瞳を見て、ようやくラティルは
サーナット卿も血を飲むのかと
尋ねました。
彼は、飲まないと答えました。
ラティルは、それは幸いだと
呟きました。
次にラティルは、
吸血鬼は日光に当たれないので
昼間は歩き回れないと
聞いていたけれど、
サーナット卿は、
なぜ大丈夫なのか尋ねました。
以前、彼が
大神官の治療を拒否した時に
怪しいと思いましたが、
吸血鬼は絶対に
昼間歩き回れないと知っていたので
騙されました。
しかし、サーナット卿は、
吸血鬼に噛まれたと認めたのに
昼間も良く歩き回っていました。
彼は、一度しか
噛まれていないからだと答えましたが
それは嘘でした。
サーナット卿が昼間歩き回れるのは
普通の吸血鬼ではないからでした。
通説のように、全ての吸血鬼が
太陽に弱いわけではなく、
その数は稀だけれど、
特別な吸血鬼は
日光の下でも活動できました。
ラティルは、
理性を失うことがあるかと尋ねました。
サーナット卿は、
人間も怒ると理性を失うと答えました。
彼女は、それを認めました。
ラティルは、
いつからその状態だったか尋ねました。
サーナット卿は、昔からだと
答えました。
彼女は、平和だった時からかと
尋ねると、彼は頷きました。
昔から吸血鬼であれば、
ゾンビや吸血鬼やロードの復活とは
無関係だと思い、
ラティルは幸いだと思いました。
確かに、
ゾンビが500年ぶりに現れたとはいえ
ドミスの記憶によれば、
山里や、その近隣の村には、
すでにゾンビが歩き回っていました。
サーナット卿は
ラティルの顔色を窺いながら
もう一度、彼女を呼びました。
彼が思っていたように、
ラティルは、
すぐに怒らなかったけれど
サーナット卿は不安そうでした。
ラティルは
アナッチャを幽閉させる前にも、
彼女にそんな気配を見せなかったことを
思い出しているのかも
しれませんでした。
(陛下が、ただただ苦しまないことを
願っています。)
そんな中でも、
ラティルを心配する
サーナット卿の心の声を聞き、
ラティルは目を閉じました。
彼女は、サーナット卿に
領地へ戻ること、
このことについて口外しないこと。
自分は考えを整理する時間が必要。
他の人には、病気休暇として処理すると
告げました。
◇ギルゴールとデート?◇
心穏やかでないラティルは
暇ができると、
仮面を付けて出かけました。
誰も自分を知らない状態で
好き勝手に歩き回ることは、
今や、彼女の新しい趣味として
定着していました。
彼女は、アイドミスの所へ
行こうかと思いましたが
止めました。
彼女が本物か偽者か確認する情熱が
湧きませんでした。
カルレインも、サーナット卿と
同じような存在かもしれない状況で
ドミスのことは重要でないように
思えました。
サーナット卿に、
カルレインのことを
聞かなければならないけれど、
それを考えると、
ラティルの心は乱れました。
サーナット卿もカルレインも
他の人たちが
偽皇帝と本物を区別できなかった時に
力になってくれた人たちでした。
特にカルレインは、全てを捨てて
危険を伴うにもかかわらず、
カリセンまで付いて来てくれました。
怪物になっても、
理性を失うわけではないかもしれない。
トゥーラも怪物になったけれど、
母親を気遣っている。
サーナット卿の傷が治ったことが
衝撃的で忘れていたけれど、
彼が人間でなければ、
大神官のお守りを
掘り出せないはず。
それをやったのは、
違う人なのではないだろうか。
ラティルは考え事をしながら
ぼんやり歩いていると、
大通り付近に、
紙の束を抱えたギルゴールが
歩いているのが見えました。
彼を見たら、ラティルは、
いっそうモヤモヤしました。
カルレインが、
サーナット卿と同じケースなら
ゾンビみたいなものを
退治しているうちに、噛まれて
吸血鬼になったのだろうか?
ギルゴールはいつも
カルレインと一緒だった。
もしかして、
ギルゴールも吸血鬼?
以前は、太陽の下にいたら
絶対に吸血鬼ではないと
思っていたけれど、
サーナット卿のケースを見て、
そのような信念さえも
消えてしまいました。
ラティルは不機嫌になり、
ギルゴールの横顔を見ました。
カルレインが吸血鬼になったから、
ギルゴールと彼は、
疎遠になったのだろうか?
ギルゴールは怪物を狩る人?
あまりにも彼を
ジロジロ見ていたせいか
ラティルの頭の中は
ごちゃごちゃなのに、
急いで歩いていたギルゴールは
足を止めて、ラティルを見ました。
彼は、彼女と目が合うと、
ラティルの目の前に近づいて来て、
先日、挨拶をする暇もなく
別れたせいで、
自分を睨んでいるのかと、
親しげに話しかけてきました。
明るい声。
日光を浴びて金色に輝く白い髪。
生き生きとした頬と唇。
吸血鬼のように見えないと
ラティルは考えていると、
ギルゴールは彼女の名を呼びました。
ラティルは、
睨んでいない。
通りすがりに見ていただけだと
答えました。
そして、彼が抱えている紙束を見て
それは何かと尋ねました。
ギルゴールはニヤニヤ笑いながら、
探し物があって調べていたけれど、
それが見つかったと
誇らしげに答えました。
彼が持っていたのは、
セクリーオークションの会場で起こった
馬車爆発事件の捜査日誌でした。
それによれば、
馬車を爆発させた犯人は、
かなり遠くから攻撃したため
皆、爆発魔術師が関与したと考え、
その方向で捜査をしたようでした。
しかし、事件が起きた時に、
一番近くにいた
爆発魔術師ザイオールは、距離的に
絶対に攻撃できる位置に
いませんでした。
そのため、ザイオールを
容疑者から外したと書かれていました。
しかし、ギルゴールが望んでいるのは
事件の犯人を捜すことではなく、
爆発魔術師を探すことなので
この程度の情報で十分でした。
その魔術師はレアン皇子の腹心で、
彼は、この辺りにいるというので、
レアン皇子を訪ねれば、
爆発魔術師のいる場所も
分かるのではないかと考えました。
ギルゴールは、
そんなことを考えながら、
急に口を開けて笑うと、
ラティルは、ドミスが
ギルゴールではなく、
カルレインを好きな理由が
分かりました。
ギルゴールは、
本当に天使のように美しいけれど
行動は今一つでした。
とにかく、ギルゴールは
紙束や調査のことを
話すつもりがなさそうなので、
彼女は手を振り、
調査を続けるようにと言って、
ギルゴールに別れの挨拶をし、
向きを変えました。
別に行くところはないけれど、
あちこち歩き回りたいと思いました。
すると、ギルゴールは
いつの間にか
ラティルの足に合わせて歩きながら
彼女の肩に腕を回すと、
自分の告白について考えてみたかと
親しげに尋ねました。
彼女は、自分が誰なのか
思い出してからだと言って、
彼の腕を払い退けました。
ギルゴールは、
素直に腕を下ろしましたが、
彼女と歩調を揃えて歩きました。
ラティルは、ギルゴールに
調査することがあるんだって?
と尋ねました。
彼は、それを認めましたが
知りたいことがもう一つあると
答えました。
ラティルは何も考えずに、
それを調べるようにと呟き、
背を向けました。
しかし、ギルゴールは
紙束を抱えながら、
ラティルの後を付いて来ました。
彼女は、ギルゴールが
別の方向へ歩いていたのではと
そちらを指し示しながら指摘すると
彼は、
ラティルの方向感覚は抜群だと
褒めました。
自分の行く方へ行けと言ったのに。
親切ですね。
またサディさんに惚れてしまいそう。
あなたの心臓は軽いので、
吹けば飛んでしまう。
飛んで行って、
あなたの心臓の上に
止まればいいのに。
ギルゴールは、
ああ言えばこう言う。
何を言っても、自分に有利なように
解釈をしました。
ラティルは、言い返すのを止めて、
勝手に付いて来るようにと
言いました。
すると、
ギルゴールは1日中、
ラティルに付きまといました。
アイスクリームを買って食べる時も
吟遊詩人の歌を聞いている時も、
小さな劇場に入る時も。
ギルゴールは
本当に暇そうにしていたので、
彼はすごく退屈していると
ラティルは思いました。
そして夕日が沈む頃、
ラティルは
ギルゴールと二度目に会った低い丘で
サンドイッチを
食べることになりました。
ラティルは呆れましたが、
おかげで
憂鬱な気持ちが落ち着きました。
彼女は、
ドミスとカルレインのことについて
ギルゴールに聞きたかったけれど、
彼らのことは
後回しにしたいと思いました。
ところがサンドイッチを食べ終わり
ハンカチで手を拭いていた時に、
ギルゴールが「しまった!」と言って
腰に付けていた剣を
鞘ごとラティルに渡しました。
彼女は、「何なの?」と尋ねながら
剣を受取ると、
ギルゴールは妙な笑みを浮かべながら、
その剣を抜いてみてと勧めました。
ラティルは、
その理由を尋ねると、ギルゴールは
その剣は彼の家の家宝だと答えました。
ラティルは、なぜ自分に
家宝の剣を引き抜かせるのかと
尋ねると、彼は、
自分では引き抜けないので、
この剣を抜く人に
プロポーズしないといけないと
言いました。
何て、とんでもない条件なのか。
しかし、ギルゴールは真顔でした。
ラティルは、「嘘でしょう?」と
尋ねると、逆にギルゴールは、
「どう思う?」と尋ねました。
ラティルは、
嘘だと思うので、そういうことは
本当に好きな人に頼むようにと
返事をして、
彼に剣を返そうとした時、
剣の模様を確認したラティルは、
手をビクビクさせながら、
再び剣を引き寄せました。
ラティルは、
ちらっと見ただけだけれど
その剣が、
カルレインの記憶の中で見た、
最後の決戦を前にして
ドミスを取り囲んでいた人々の中で
1人、違う制服を着ていた女が
持っていた剣だと確信しました。
当惑した表情のラティルに
ギルゴールは、
再度、剣を抜くように催促しました。
爆発魔術師が
レアンの部下だとすると、
セクリーオークションで、
ラティルが持っている仮面の在りかが
描かれている地図を落札したのは
レアンの部下で、
証拠隠滅のために、
その地図を横取りしようとした
ラティル共々、
自分の最側近の命を
奪おうとしたのではないかと
思いました。
偽皇帝事件の時に、
レアンは国民やラティルを
守るためだと言い訳をして
自分のしたことを
正当化していましたが、
彼は、大賢者になれる程の
資質があっても、
人間としての資質はどうなのかと
疑問に思います。
お話の最初の頃の
彼の優しそうなイメージが
完全に覆されました。