375話 ラティルはラナムンの対戦の相手をすることになりました。
◇破れた理由◇
3人が出て行こうとすると、
妊娠中なのに、
対戦をしても大丈夫なのか、
あまり無理をすると
赤ちゃんに良くないと
人々に、引き止められましたが、
ラティルは、
無理をしなければ大丈夫だと
返事をして、演舞場に行きました。
ラティルは、久しぶりに剣を抜き
手の中で何回もグルグル回しながら
感覚を取り戻しました。
整然と剣を取り出したラナムンは
その姿を見てぎくりとしました。
カルドンは、ラナムンに
危ないと思ったら
後ろに退がるようにと
小声でアドバイスしました。
ラナムンが
サーナット卿とラティルの対戦を
見ていた時、
彼も、その場にいたので
ラティルの実力を知っていて、
ラナムンを心配していました。
ラナムンは、ラティルが
自分を危険にさらすことはないと
淡々と話した後、
ラティルから3歩離れた所に
立ちました。
ラティルも剣を回すのを止め
構えました。
サーナット卿は不機嫌そうに
その様子を見守りました。
ラティルはラナムンと
視線を交わしました。
どこかで「スタート」と言う
声がすると、
同時に2人は前に動きました。
声を出したのは
いつ来たのか分からない
ギルゴールでした。
彼は柵に寄りかかり、
顎を突き出して、笑顔で
ラティルとラナムンの対戦を
見ていましたが、
そうしているうちに、
サーナット卿の視線を感じました。
ギルゴールはニヤリと笑いながら
サーナット卿のことを
「頭が花園」と呼んで挨拶をし、
頭に花は咲いたかと尋ねました。
サーナット卿は
かっとなりましたが
狂ったギルゴールを相手にせずに
ラティルを見ました。
一時、彼が植物を愛する
平和主義者だと思っていた自分を
恨めしく思いました。
その間もラティルとラナムンは
素早く剣を交わしていました。
剣と剣がぶつかる鋭い音がする度に
カルドンは、どちらかが
怪我をするのではないかと心配して
目を半分閉じていました。
一方、ラティルは、
ラナムンの剣術の実力が
思っていたより、
かなり優れているので驚きました。
レアンは、子供の頃から
全ての力と努力を
学問だけに注いでいたので
剣術ができませんでした。
ラナムンの剣術について
全く噂にならなかったので、
ラティルは、ラナムンも
レアンと同じようなものだと
思っていましたが、
ただ噂にならなかっただけで、
彼は、よく訓練をしていたようでした。
ラティルは、ラナムンがかっこいいと
思い、満足そうに笑いました。
ロードとしての力が目覚めず、
自分の力が強くなかったら、
彼と同等だったかもしれないと
思いました。
ラティルはラナムンの
意外な姿が気に入りました。
ハンサムだけど剣術も上手い。
どおりで、彼の身体は
鍛えられていたはずだと思った瞬間、
ラティルはラナムンが
自分の体に酒を注いだことを思い出し
油断してしまいました。
ラティルは瞬間的に
剣を意図したより強く振り回し、
その勢いに驚いて目を大きく
見開きました。
カルドンは何も分からず
じっとしていましたが、
見守っていたサーナット卿は
問題に気づいて、
身体を起こしました。
強い力で叩きつけたのは
ラティルでしたが、
折れたのは彼女の剣でした。
ラティルの剣の刃は、
彼女の頬を掠めて飛んで行きました。
これを見たサーナット卿は、
目の前にいたラナムンより先に
ラティルに駆けつけ、
彼女が無事であるか確認しました。
ラティルは手を振って、
大丈夫だと返事をすると、
サーナット卿は歯ぎしりしながら
「何をしているのか!」と
ラナムンを睨んで怒鳴りつけました。
彼は戸惑い、
ラティルの方へ屈みこむと、
彼女の様子を尋ねました。
剣を交えていたラナムンなら、
状況がおかしかったことと、
ラティルが、
力を入れ過ぎたことに
気付いていただろうと
ラティルは思いました。
彼女は、笑いながら
大丈夫だと答えましたが、
内心は冷や冷やしていました。
ラティルは血が出ている頬を
擦りながらギルゴールを見ました。
彼はゆっくりと近づき、
ラティルの頬を舌で舐めると、
だから対抗者は危険だ。
ロードがあれだけ強かったのに
結局、対抗者に敗れた理由もこれだと
耳元で囁きました。
◇負担◇
皇帝になると、皇女の時とは違い、
少しケガをしただけで、
皆、大騒ぎする。
ラティルはベッドにもたれかかり、
妊婦に無害な薬を飲みながら
心の中で不平を漏らしました。
しかし、皇帝は妊娠初期なので、
少し行動に気をつけた方がいいと
宮医に言われて、
だから、皆、こんなに
大騒ぎしているのかと、
照れくさそうに微笑みました。
治療を終えると、
宮医はしばらく考えてから、
傷跡が
全く残らないようにするには、
大神官を呼んだ方がいいかもしれないと
助言しました。
ラティルは、
この程度の傷跡が残っても
平気だと言おうとしましたが
ラナムンが泣きそうな顔をしているので
分かったと返事をしました。
宮医は頷くと、
治療道具を持って外に出ました。
宮医が出て行くと
ラティルはため息をつき、
ベッドを囲んで立っている
サーナット卿、ギルゴール、
ラナムンを交互に見ました。
それぞれ違う表情で、
ラティルを眺めていましたが、
彼女には、それがとても負担でした。
ラティルは、彼ら全員、
自分が妊娠していないことを
知っているのだから、
そんな目で見るなと抗議しました。
それでも、ラナムンは、
椅子を持ってきて、
ラティルの枕元に座り、
自分のせいで怪我をしたので
看病をすると言いました。
サーナット卿は歯をむき出しにし、
皇帝は、
一眠りしなければならないので
もう帰れと、
ラナムンの頭頂部に向かって
言いました。
しかし、ラナムンは
サーナット卿の方を見向きもせず、
ラティルが休んでいる間、
側にいると言いました。
ギルゴールは、あれこれ言う代わりに
ラナムンの頭頂部をつかんで、
サーナット卿の方へ
投げてしまいました。
二人の男は、
ゴロゴロと床を転がりました。
驚いたラティルは
叫び声を上げながら身体を起こし、
皆を投げるなと
ギルゴールに抗議しました。
ギルゴールは、
大丈夫だと言いましたが、
ラティルは、
当然、彼は大丈夫だろうと
思いました。
ラティルは、
剣に切られた時は何ともなかった頭が
ズキズキしてきました。
くっ付いたまま、床を転がった
サーナット卿とラナムンは、
互いに相手を叩きながら
遠く離れていました。
その姿も、
それなりに可愛いと思いましたが
ラティルは溜息をつき、3人に
出て行くようにと指示しました。
◇疑い◇
離れの中に入ったアニャは、
扉を開けると、
さらに強く漂ってくる薬品の匂いに
眉をひそめました。
その瞬間、トゥーラが
彼女に向かって速いスピードで
飛びかかってきました。
アニャは身体を横に避けながら
トゥーラの服をつかんで投げました。
しかし、彼は別の方向に避けたので
服が破れるだけでした。
アニャは、椅子をそちらへ投げ、
トゥーラが避ける隙に、
剣を振り回しました。
剣の先で何かが切り裂かれました。
アニャは手を伸ばして
避けようとする
トゥーラの髪の毛をつかみ、
再び前に突き飛ばしました。
トゥーラはすぐに立ち上がりましたが
首が落ちていました。
トゥーラが首を気遣うのを見て、
アニャは彼に
食餌鬼なのかと尋ねました。
アニャは、
対抗者のいる宮殿の中に
食餌鬼がいることに驚きました。
トゥーラは、自分の首を
再び体に乗せながら
アニャを睨みました。
その時、脅威的ではないけれど、
別の気配が感じられました。
アニャは剣の先を
トゥーラに向けながら、
新たにやって来た者を見ました。
それはアナッチャでした。
目が合うと、アナッチャは
アニャに近づき、彼女に
手配書に載っていた吸血鬼であることを
確認しました。
宮殿内にも、
手配書が貼られていたので、
アナッチャは2人の吸血鬼の顔を
すでに知っていました。
赤毛の女性が、
その伝説の「ロード」だと
言われているのも聞きました。
しかし、アナッチャは、
ラティルがロードであると
推測していたので、
その情報を怪しんでいました。
そのような状況で、
ロードではない方の吸血鬼が現れたので
当然、アナッチャは
アニャの顔をジロジロ見ました。
彼女は頷きました。
アナッチャは相手を刺激しないように
優しく笑いながら、
息子は食餌鬼、自分は黒魔術師なので
ロードの敵ではない。
自分たちを攻撃する必要はないと
言いました。
アニャは、
ここは対抗者の巣窟なのに、
なぜ、食餌鬼と黒魔術師が
ここにいるのかと尋ねました。
アナッチャは、
皇后は対抗者だけれど、
彼女の父親であるダガ公爵は
黒魔術に関心が高い人だと
答えました。
やはり、500年の間に
世の中がおかしくなったと思い
アニャは眉をひそめました。
アナッチャは、
ロードはタリウム皇帝だと思っていたと
呟きました。
それを聞いたアニャは、
カルレインを側室にした
女性を思い出しました。
彼女は、
なぜ、アナッチャがそう思ったのか
分からないけれど、それは違うと
きっぱり否定しました。
自分のハーレムを
聖騎士たちで埋め尽くした人物が
対抗者ではあっても、
ロードであるはずがないと
考えたからでした。
アニャの確信に満ちた言葉に、
アナッチャは、意外だというように
眉をひそめました。
しかし、アニャは、
アナッチャの言葉はほとんど気にせず
棚に置かれた美しい男の頭を
顎で指し示し、
あれは何なのかと尋ねました。
その男は、恨めしそうに
アニャを眺めていました。
アナッチャは、
黒魔術の研究に使えと言って、
ダガ公爵がくれたと答え、
トゥーラにヘウンを片付けるよう
目で合図をしました。
トゥーラがヘウンの首を持って行くと、
アナッチャは親切にも
アニャを匿うことを提案しました。
彼女は時計を確認すると、
夜まで匿って欲しいと頼みました。
◇食餌鬼たち?◇
夜になると、
アニャはアナッチャにお礼を言って
外に出ました。
その足で、彼女は
アイニを訪ねましたが、
昼間の出来事のせいで、
皇后の護衛が強化されていることを
心配しました。
しかし、幸いにも、
思ったほど護衛の数が多くなかったので
アニャは安心して
皇后の部屋に入りました。
彼女は部屋の真ん中の椅子に座り、
対抗者の剣を膝の上に置いていました。
彼女がわざと護衛の数を増やさずに
アニャを待っていたことに
気づきました。
アニャと目が合うと、アイニは
自分に話したいことが
あるようだったので、
また来ると思ったと、
落ち着いて話しました。
アニャは、今回の対抗者は前回より、
かなり心が安定しているようなので
アニャは安堵しました。
義妹アニャの転生だと聞いて
心配していましたが、
幸いなことに、転生して
性格はがらりと変わったようだと
思いました。
アニャは、今回は、
アイニと戦うために来たのではなく
教えてあげたいことがあって来たと
返事をし、
カルレインに説明した時より
感情的にならずに、
盟約について説明しました。
アイニは、
自分が前世でも対抗者であり、
カルレインを譲り受ける代価として
そのような盟約を結んだというのかと
アニャに確かめると、
彼女は「そうだ」と返事をしました。
アイニの顔が歪みました。
アイニは、
封印されたはずのドミスが目覚め、
自分の記憶は完全ではなく、
カルレインは自分に興味がないので
盟約は破れたようだと指摘しました。
アニャは、
盟約が破れたどころのレベルではなく、
守られたものがないレベルではないか。
こちらで受け取ることにしたものも
与えることにしたものも、
全て完全ではないように思うと
意見を述べ、肩をすくめました。
そして、どこで問題が起きたのかは
分からないけれど、
重要なのは、アイニの前世とドミスが
平和のために盟約を結んだことなので
アイニがその盟約に従って
ドミスを攻撃せずに
異種族の面倒を見るなら、
ドミスもアイニを攻撃したり
世界を脅かしたりしないだろうと
言いました。
しかし、アイニは
予想もしていなかった提案に、
動揺しました。
カルレインへの気持ちは、
ヘウンが首だけになった時に
ほとんどなくなりましたが、
平和は、かなり魅力的でした。
しかし、アイニは、
ゾンビたちが目覚めるのは
どういうことなのか。
まさかゾンビたちの面倒も
自分が見なければならないのかと
尋ねました。
アイニは、
ゾンビたちは呪いの産物であって
種族ではないし、
自分たちの陣営に含まれていない。
異種族の面倒を見るのは
対抗者がすべきこと。
そういう取引だった。
皇后なら、もっとうまくできると
言いました。
アニャはドミスの力が
不完全なことを隠すために
わざと冷たく、不愛想に言うと、
窓から出て行きましたが、
すぐに再び中へ入ると、
ここの離れに、
黒魔術師と食餌鬼たちがいたけれど
盟約がある程度適用されたから、
アイニが彼らを
許容できるのではないかと
指摘しました。
アイニは当惑して首を横に振り、
そんな覚えは全くないと言って
彼らをそばに置いている理由を
話そうとしましたが、アニャは、
アイニが彼らを許容しているのは、
盟約が効いているからではないか。
前世の対抗者は、
闇に染まった人たちを
極度に嫌悪していたと言い残して
今度は、本当に立ち去りました。
アイニは突然聞かされた
あまりにも多くの情報に戸惑い、
敵対者の剣を鞘ごと抱きしめて
椅子に座りました。
アニャの言う通りなのか。
盟約の影響で、
アナッチャと取引をして、
食餌鬼になったヘウンの首も
抱きしめることができたのか。
もちろんアナッチャが好きで
そばに置いているわけでは
ないけれどと、考えているうちに、
アイニはアニャが食餌鬼たちと
言ったことを思い出しました。
しかし、公爵は今、
離れにいませんでした。
アイニは驚いて立ち上がりました。
離れにいる、もう1人の食餌鬼は
誰なのかと疑問に思いました。
自分の命を犠牲にし、
最愛のカルレインと別れても、
異種族が平和に暮らせる世界を
望んでいたドミス。
きっとアニャは、
ドミスが悩み、苦しんでいる姿を
側でずっと見ていたので、
彼女の結んだ盟約が
少しでも有効であることを願い
何かと、こじつけているような
気がします。
対抗者のアニャが
ギルゴールに命を奪われることなく
異種族が平和に暮らせる世界を
実現させていたら、
500年後も、その世界が
続いていたかもしれませんが、
いくら魂は同じでも、人格は
生まれ育った時代や環境により
後天的に身に着くものなので、
吸血鬼のアニャがアイニに
盟約の履行を要求しても、
無理なような気がします。
油断していたとはいえ、
ラティルはラナムンに負けたことが
かなりショックなのではないかと
思います。
ギルゴールが
ラティルとラナムンを戦わせたのは
対抗者の恐ろしさを
ラティルに教えたかったのかも
しれません。