20話 ハーバー家のパーティーでエルナとビョルンは踊っています。
そっとそっと、
水の上を歩くように
エルナは動きました。
このワルツを成功させることが
生涯の使命でもあるかのように
集中しているエルナを
見下ろしていたビョルンは、
少し虚しい気持ちに捕らわれました。
この全てが計算された演技なら、
この女性は全大陸で、
最も優れた役者であるはずでした。
ビョルンは、
他の相手と踊りながらも
自分を見つめているグレディスと
目が合うと、僅かに自嘲しました。
あの姫は、少なくとも表面上は
もっと純真無垢なお嬢さんだったと
考えると、ビョルンの気持ちは
一層軽くなりました。
最も多くの観客が集まった舞台で、
最も、もっともらしい絵を
描いてくれたので、自分の夏は
平穏になるだろうと思いました。
安物雑誌に掲載される刺激的な記事と、
それを鵜呑みにして
喜んで自分を中傷する
好事家たちの口は、
取るに足らない無意味なことに
過ぎませんでした。
ビョルンは再びエルナを見ました。
相変わらず、
ミスをせずに踊ることだけに
全神経を注いでいる様子でした。
緊張している状態でも
このように軽く動けるのは、
女性の体が、とても小さくて
軽いためであるようでした。
バラ色に染まった頬と
細い首筋を通り過ぎた
ビョルンの視線は、彼女の鎖骨の上で
しばらく止まりました。
肌がひときわ白く澄んでいて、
まるで陶磁器のようでした。
その下に映る青い血管を
しばらく見つめていたビョルンは
キュッと閉じた唇、鼻先、
そして彼を映し出している
大きくて澄んだ目を見ました。
ダンスが終わりに近づく頃になって、
エルナは初めて彼を見ていました。
私どうですか? 大丈夫ですか?
そのような切実な問いが
聞こえてきそうな目つきだった。
ビョルンは
爽やかな笑顔を取り戻した顔で
頷きました。
悲惨な思いを隠せずにいる
グレディスを思えば、
この女性に善意の嘘を一つくらい、
ついてあげられないことは
ありませんでした。
ダンスが終わる前、ビョルンは
上手だったと
エルナの耳元で嘘を囁きました。
そして、トロフィー代は
ゆっくり弁償してもらうことにすると
喜んで善意も施すことにしました。
その瞬間、
信じられないといった様子で
彼を見つめていたエルナの顔の上に
明るい笑みが浮かびました。
あの頃、
グレディスがそうだったように
子供のように
にっこり笑う女でした。
まさか本当に
恋愛をしているわけではないよね?
そんなわけはないだろうけれど
本当なら、 それはルール違反だ。
と、しつこく追いかけて来た
ギャンブラーたちの戯言が
テラスの平穏を揺さぶりました。
ビョルンは、何も返事をせず
椅子に座って葉巻を吸いながら
話を聞いていました。
ビョルンの反応がないと、
ペーターは、エルナに
粘り強く花とカードを送ったおかげで
拒絶の返事を受け取ったと、
意気揚々と自慢し始めました。
ペーターの手紙を読んだレナードは
こんなのを返事と呼べるのか。
きちんと断られているのにと、
クスクス笑い始めました。
その手紙は、最後に
ビョルンの手に渡りました。
手紙には、
プレゼントの花と手紙に対する
お礼の言葉。そして、
返せないプレゼントを受け取るのを
心苦しく思っていること。
失礼は承知の上だけれど、
一緒に散歩をしたり
お茶を飲んだりするのは難しいという
断りの言葉。
ベルゲンさんの大切な花と手紙が、
そのようなことを一緒にできる
他の淑女の方に
届けられるといいということ。
そして、改めて
深い感謝とお詫びの言葉が
端正な筆跡で書かれました。
読んでいたビョルンも、
他のメンバー同様、
すぐに笑いを爆発させました。
怯えた目を、ゆっくり瞬かせながら
深刻な表情でひそひそ話す
彼女の声が、
聞こえて来るような手紙でした。
手紙を取り返したペーターは
嘲笑にも屈せず、
笑うな。最初は皆、
こうやって始めるんだと
大声を上げました。
ビョルンは
無意味な騒ぎから目を逸らし、
テラス越しに海を見ました。
その時、ホールの様子を窺っていた
ペーターは、顔を歪めながら
自分たちのゲームに
勝手に割り込むあの野郎は何なのかと
文句を言いました。
楽しそうに彼をからかっていた一団と
ビョルンは、そちらを見ました。
若い男がエルナと話していました。
ハインツ家の次男であることに
気づいたビョルンは目を細めました。
評判はそれほど良くないけれど、
少なくとも若いので、
レマン伯爵よりは、
マシな花婿候補かもしれないと
思いました。
ビョルンは、
悔しければ賭け金を貰ってくるように。
そうでなければ放っておけ。
自分たちの賭けは賭け。
ハルディさんも
自分の商売をしなければならないと
無情な言葉を吐き出すと、
ホールの騒ぎから目を離しました。
平然と葉巻ばかり吸っている
ビョルンに向かって、ペーターは
彼を疑ったことを謝りました。
そして、ちょうどビョルンが、
葉巻を灰皿に投げ入れた時、
彼を巡って騒いでいた一団が
突然静かになりました。
少し話をしないかと言う
ありがたくない声の方を、
ビョルンはゆっくり向きました。
さらに、ありがたくない
彼のかつての妻が
そこに立っていました。
「はい、お姫様」と返事をすると
ビョルンは
新しい葉巻を一本取り出して
噛みながら頷きました。
そして
「おっしゃってください」と言って
再び海に向き合ったビョルンの顔には
もう笑みが残っていませんでした。
顔色を窺っていた者たちが席を外すと
グレディスはゆっくりと近づいて来て
彼と話をすることを求めた無礼を
謝りました。
それから、彼女は
ビョルンが座っている椅子の横で、
罰を受けている子供のような姿で
立ち止まりました。
葉巻に火をつけたビョルンは、
ようやく
グレディスをまともに見ると、
本論を言うようにと催促しました。
少し、煩わしそうなことを除けば、
どんな感情も見られない顔でした。
グレディスは、
屈辱感に襲われた顔をすると、
これからもずっと、
あのようなやり方で、
あの娘を利用するつもりなのかと
尋ねました。
ビョルンが「あの娘?」と聞き返すと
グレディスは、
自分を苦しめるために利用している、
あのかわいそうな田舎娘のことだと
答えました。
ビョルンは、「ああ、エルナ」と
甘い旋律の歌を口ずさむように
その名前を囁きました。
ビョルンは、
利用だなんて、自信過剰だと
非難すると、笑いました。
そして、本気ではないと、
どうやって確信するのか。
自分の目には、あの田舎娘の方が
お姫様より美しいし、
優しくて純真だと言い返しました。
グレディスは、
お願いだから、
いたずらに人を傷つけるのは
やめて欲しい。
自分たち2人のことは
自分たち2人で・・・と訴えると、
ビョルンは、
あの日、はっきり分かるように
話したはず。
あの取引は公正だったので、
自分たちの間には
もう何も残っていないと
冷淡な言葉を吐き出しました。
しかし、彼の口調は
一様に落ち着いて穏やかでした。
あのように騙されて
離婚をしながらも、
一度も怒ったことのない関係でした。
今さら、生々しい感情を
吐き出すのも滑稽だし、
吐き出すものすら、
残っていない間柄という事実が、
この状況を、
もう少し苛立たせました。
すると、悲恋のヒロインになって
適当に涙を絞り出して
帰ると思っていたグレディスが
意外にも、
別の取引を提案すると言ったら
どうだろうかと尋ねました。
この退屈な場から立ち去るつもりで
立ち上がったビョルンは、
ゆっくりと体を戻して
グレディスに向き合いました。
彼女は、
そうすれば自分たちの関係も
変わるかもしれないと言うと、
ビョルンは、
どんな取引かと聞き返しました。
グレディスは、
目に涙を一杯浮かべながら、
自分のせいで失くした
ビョルンの王冠を取り戻したい。
そのためにレチェンに戻って来た。
そうすることで、ビョルンに謝罪し、
ビョルンと再び、
最初からやり直したいと答えました。
ビョルンは、
お姫様が、自分の王冠を
取り戻してくれるのかと尋ねました。
グレディスは「はい」と答え
力いっぱい頷きながら
ビョルンの前に近づきました。
そして、自分たちがよりを戻して
幸せに暮らしていく姿を
見せつけて、民心を変えれば、
ビョルンは王太子の座を
取り戻すことができるだろうし
必ずそうすると
父親も約束してくれたので
父親も支援を惜しまないと思うと
話しました。
泣きそうな瞬間にも
グレディスの声は
相変わらず澄んできれいでした。
ビョルンは落ち着いた目で
彼女を見ました。
グレディスは、
もちろん自分を簡単に許すことは
できないということを知っているし
あえて、それを期待もしていない。
しかし、少なくとも
償う機会を与えて欲しい。
憎んでもいいから
無視しないでと懇願すると
ビョルンの袖をつかみました。
幸いにも彼は
その手を振り払いませんでした。
グレディスは、
幼くて分別がないせいで
犯した自分の過ちを、
どれほど後悔したか分からない。
ビョルンに悪いことをした分、
自分も罰せられた。
とても大変で苦しかったと
話しました。
ビョルンが
「そうなの?」と聞き返すと
グレディスは、
それでも十分でなければ
もっと努力する。
ビョルンの心が和らぐまで
何度でも謝ると答えました。
ビョルンは、その話を
十分理解したかのように頷き、
「なるほど」と返事をしました。
今や、グレディスの目は
かすかな希望で輝き始めました。
しかし、ビョルンは、
でも、どうしよう。
その取引は、
成立不可能だと返事をすると
ため息混じりの苦笑いを吐き出し、
まるで汚いものを振り払うように
袖に触れているグレディスの手を
振り払いました。
ギョッとして退いた
グレディスの目から
大粒の涙が流れました。
ビョルンは、
あの王冠は、お前のせいで
失くしたのではないと言うと
しわくちゃになったシャツの袖を
整えて笑いました。
そして、もし自分が
本当に王冠を守りたかったなら
いくらでも方法はあった。
あの子の命を奪えばいいだけの
ことだったと話しました。
グレディスは、
「今一体、何を・・・」と
戸惑っていると、ビョルンは、
とても簡単で
確実な方法だったではないか。
お腹の中にいる時に
薬を飲ませてもよかったし、
死産を装うこともできた。
そのような方法を使えば、
子供を失う不幸を経験した王太子として
適当に同情されて、
王冠も守ることができた。
妊娠した妻と子供を同時に失った
悲運の王太子も悪くなかっただろう。
それが一番懸命だったと思うと
話しました。
死人のような顔色の
グレディスが目の前にいても
ビョルンは驚くほど
平静を保っていました。
ビョルンは、
そのような楽な道を捨ててまで
自分が王冠を下ろしたのは、
自分がさほど、その王冠を
望んでいなかったからだと話すと
傾いたカフスボタンを再び閉めて
ニッコリ笑いました。
吐き出す言葉が残忍になるほど、
ビョルンの微笑は
柔らかくなっていきました。
それから、ビョルンは、
お前が、自分の王冠を
取り戻すと言っているけれど、
レオニードはどうなるのか。
ラルスのお姫様が望んでいるから
彼の意志とは関係なく
受け取った王冠を、
彼の意志とは関係なく
また手放さなければならないのかと
尋ねました。
グレディスは、
そういう意味ではないと弁明しましたが
ビョルンは、
レチェンの王座は、
そんなに取るに足らないものに
見えるのかと尋ねました。
グレディスは、
そういうことではないと答えると
止めて欲しいと、
泣くのを堪えながら哀願しました。
ビョルンは、
再び愛される王太子妃に戻りたいなら、
他の王国を探すように。
聞くところによれば、ベルンの王妃が
老衰で亡くなったそうなので
その座を、一度狙ってみるのも
悪くない。
王太子妃より王妃の方が、
はるかに実益があるのではないかと
言いました。
グレディスは、
ここまで残忍でなければならないほど
まだ自分がそんなに憎いのかと
尋ねると、ついに泣き出しました。
ビョルンは、
これ以上言うことがないと言うように
視線を逸らすと、
嗚咽するグレディスのそばを
淡々と通り過ぎました。
盗み聞きしようとしていた
見物人たちは、びっくりして
後ずさりしました。
彼らに向かって
笑みを浮かべながら黙礼した
ビョルンは、
テラスを抜け出しました。
誰も、あえて
大公を捕まえることは
できませんでした。
ビョルンは、ホールを横切る間
ずっと振り返りませんでした。
ビョルンがグレディスの手を
払い除け、
本当に王冠を守りたかったら
いくらでも取り戻す方法は
あったというシーン。
LINEマンガの16話では、
殺める対象を
「あいつ」としていますが、
マンガだけを読んでいた時は
この「あいつ」はレオニードのことを
言っているのではないかと
思っていました。
ところが原作では
「あいつ」ではなく「あの子」と
なっていたので、
韓国版のマンガでは
どうなっているのか
確かめてみたところ、こちらでも
「あの子」となっていました。
ビョルンが離婚と
王太子の座から退くのを決めたのは
子供が生まれた日の夜であることと
今回のビョルンの辛辣な言葉が
省略されていなければ、
ビョルンがグレディスの不義の子を
王位に就かせないために
離婚をして王太子の座を退いたことが
よく分かったのに、
この部分を省いてしまったのは
本当に残念だと思います。
それにしても、
自分が王冠を取り戻してあげるって
グレディスとラルスの王は
どれだけ上から目線なのでしょう。
ビョルンは国益のために、
あえて、
自分の浮気のせいで離婚したことにし
自分への非難も
甘んじて受け入れた。
それなのに、
グレディスが不貞を働いたビョルンを
寛大な心で許したという構図を
作ろうとするなんて、
ラルスはレチェンを
甘く見過ぎています。
このようなことを考える王が
国を治めているので、
国力が弱くなってしまうのだと
思います。
グレディスはビョルンに
憎まれていると思っているけれど
彼はグレディスのことを
何とも思っていないし、
このような騒ぎを起こされて
煩わしさしか感じていないことを
理解すべきです。
自分のことしか考えていないので
無理でしょうけれど。
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いつもたくさんのコメントを
ありがとうございます。
皆様の温かいお言葉と
励ましのおかげで
この1年間、頑張ることができました。
明日から、また新たな気持ちで
頑張りたいと思います。
皆様、良いお年をお迎えください。
今日は朝から、
お餅をつき(餅つき機がですが)
これから来客予定なので
「泣いてみろ・・」の記事の更新が
難しそうです😢
明日、「泣いてみろ・・・」を
先に更新しようと思いますので
「問題な王子様」の更新は
遅い時間になるかと思います。
もし、できなかった場合は
ご容赦ください。