180話 夜中に誰かがラティルの部屋の窓を叩きました。
◇訪問者◇
黒魔術師、怪物、ゾンビ、
吸血鬼、暗殺者、裏切り者。
ラティルの頭の中に、
色々なものが浮かび上がりましたが
暗殺者や裏切り者であっても、
この高さを上って来たので、
人間ではないと思いました。
それでは、誰が上って来たのか。
ラティルは、
部屋のあちこちに隠されている
武器の位置と、
それを握るための動線を
思い浮かべました。
枕の下は一番近いけれど
それを持ち上げて武器を取り出すのに
時間がかかる。
天蓋の上は、腕を上げる間に
隙間ができる。
窓枠の下に隠した短刀は
タイミングが合わなければ
取り出すことができないし、
襲撃を受けるかもしれない。
その時、ラティルは
窓を叩いた相手の
動きがなかったことに気がつきました。
どうしてなのか。
もう寝たと思って、
事態をもっと見守ろうとしているのか。
いや、それならば
窓を叩くこともしないはず。
ラティルは寝返りを打つふりをして
横を向くと、
枕の下に手を入れました。
そして、剣を握りしめると
ベッドを蹴りました。
その間も、
両目で機敏に状況を見極めながら
周囲から襲ってくる攻撃に備えました。
ところが、部屋の中も、窓の前も
窓の後ろも、人気がありませんでした。
ラティルは警戒を緩めずに
剣を持ち上げたまま
片手で窓を開けました。
しかし、相手は
確実に消えた後でした。
ラティルはようやく剣を降ろすと、
窓から顔を出して、
周りを見渡しました。
暗い闇の下に、城壁を照らす、
かすかな明かりが灯っていました。
やはり、人が出入りできる高さでは
ありませんでした。
ところが、窓を閉めている時に
窓枠の端に
植物が1本置かれていることに
気付きました。
ラティルは剣を持っていない方の手で
それをつかみ、
窓を閉めた後に、
寝室の明かりの下で植物を見ました。
ローズマリーでした。
今の季節にローズマリーが咲くの?
ラティルは再び窓を開けて
周囲を見回しましたが、
やはり誰もいませんでした。
花がここにあるということは、
確かに誰かが
訪れたということだけれど
ここまで上がって来て、
どうして花だけ置いて行くの?
◇ついでに◇
警備に立っている2人の兵士が
天気の話をしている時に、
彼らの頭上を、
黒い影がさっと通り過ぎました。
勘のいい兵士は、
顔を上げましたが
もう1人は
何も見ることができませんでした。
勘のいい兵士は、
今、何かが通り過ぎたような
気がしたと言って、
首を傾げましたが、
しばらくすると、同僚兵士と、
再び天気の話をし始めました。
彼らの頭上を、
恥ずかしがり屋の吸血鬼が
通り過ぎたことなど、
見当もつきませんでした。
「すみません」と言うところだった。
ギルゴールは1人で笑いながら、
高い城壁を軽々と乗り越えました。
宮殿を出たギルゴールは
城壁にもたれて、
口にくわえていた紫の花びらを
食べた後、
声を殺して笑いました。
皇帝だから、
礼儀正しい吸血鬼が好きだろう。
もし、皇帝が本物のロードなら、
今度のロードは良い所に生まれた。
ロードが皇帝である姿を
一度も見たことがない。
ギルゴールは宮殿の頂上を見上げると
クスクス笑いました。
恐がらせないようにして
会いに行かないと。
今度は、絶対に怖がらせない。
その瞬間、空の上をフクロウが
バタバタ飛んで行くと
ギルゴールは笑うのを止めて
頭を下げました。
彼は、
来たついでに
あの子にも会って行こうと呟きました。
◇タッシールの服◇
机で字の練習をしているラナムンに、
これは本当に高かったと言って
カルドンは、
蓋付きの箱を突き出しました。
しかし、ラナムンは、
そちらへ首も回すこともせず、
手を振りました。
ずっと豊かに暮らしてきたので
「値段が高い」と言われても
彼の興味を引きませんでした。
しかし、
カルドンがしつこくせがむので
ラナムンはやむを得ず、
箱の中身を見ました。
高級感はあるものの
平凡な夏用の服で
金糸で若干文様が
刻まれていることを除けば
黒一色なので、
何の変哲もありませんでした。
こんな物を高値で買ったとしたら
詐欺に遭ったのではないかと
ラナムンは考えましたが、
カルドンが
気を悪くするといけないので
適当に頷き、
カルドンに着るように言いました。
しかし、カルドンは
この服はラナムンの物で、
平凡な服ではなく、
アンジェス商団から
秘密裏に受け取った。
タッシールの弟を一生懸命説得して
高値で買ったと言いました。
ラナムンは、「この服が?」と
思ったようで、
表情の変化は少ないけれども、
渋い顔をしました。
それに気づいたカルドンは、
両手で服を持ち上げながら、
この服は、ただの服ではない。
誤って叩くだけで、
ぱっと剥げる服だとのこと。
アンジェス商団の頭が
タッシールにあげるために
研究中だけれど、
彼の弟が自分の友人と知り合いなので
譲ってもらった。
一度だけ来てみて欲しい。
外では着られないけれど、
皇帝が来た時に着ればいい。
と説明しました。
しかし、ラナムンは
カルドンの提案に
侮辱されたと思ったようで、
自分にタッシールと
同じレベルになれと言っているのかと
冷たく言い放ちました。
その表情を見たカルドンは、
躊躇いながら、力なく服を
箱の中へ下ろしました。
そして、
すみません。
こうすればお役に立てると
思いました。
一旦、箱は置いて行きます。
と小声で呟き、
部屋の外へ出て行きました。
その後、ラナムンは10分程、
字の練習をしていましたが、
ペンを降ろすと、
ゆっくりと立ち上がり
周囲を見回しました。
そして、扉の前に行き
鍵がかかっていることを
確認すると、
再び机の前に行き、
箱から服を取り出しました。
見た目は普通の服に見えるのに
叩くと本当に剥がれるのだろうか。
ラナムンは服の前後を見ましたが
邪な考えを抱いて作ったとは
思えませんでした。
ラナムンは、初めての夜、
彼の胸に頭を当てて
恥ずかしがっていた皇帝を
思い出しました。
それなのに、彼女が何もせずに
帰ってしまったことに、
ラナムンはプライドが
傷つけられました。
しかし、考えてみると
あの時の方が、まだましでした。
その後の彼女は、
ちゃっかり彼を避けていました。
しかし、ラティルが
ラナムンの素肌に反応したのは
明らかでした。
しばらく考え込んでいたラナムンは
自分の服を脱いでその服を着ました。
カルドンが見たら、
私にはあんなことを言ったくせに。
と悔しがると思いましたが、
どうせ、この服を実際に着ても、
見るのは皇帝だけで
カルドンは見られないから
大丈夫だと思いました。
ラナムンは、服を着替えて
鏡に姿を映している時に、
誰かが外から窓を叩きました。
そちらを向いたラナムンは
見たことのない人が、
窓枠に寄りかかっているのを
発見したので、
鏡に掛けておいた剣を抜きました。
けれども、見知らぬ人は
剣を見ても怖くないのか、
じっと見ていて笑い出しました。
私が誰なのか気にならないの?
すぐに剣を抜くんだね。
私は素手なのに。
見知らぬ人は両手を広げて
武器を持っていないことを
示しましたが、
騎士道に関心のないラナムンは
依然として剣を構えたまま、
冷たい目で見知らぬ人を見つめました。
彼は、にやりと笑うと、
手を下ろしました。
その姿を見たラナムンは、
神殿にいる時に、
夢で彼に似た人を見たけれど
夢ではなかったようだと言いました。
見知らぬ人の口元に
ニヤニヤと笑みが浮かび、
覚えているんだ。
と言いました。
覚えていないはずは
ありませんでした。
幼い彼が見ても、
あの白い髪は衝撃的で
しかも、その人は、
空から降りてきて彼に近づきました。
現実的な幼いラナムンが
夢として記憶しているのも
無理はありませんでした。
しかし、あれが夢でないとすると
ラナムンは、
さらに変だと思いました。
あの時、
白い髪の男は空から降りてきたし
幼い頃見た姿と今の姿は
少しも変わっていませんでした。
そんな怪しいものが、
真夜中に窓を叩くなんて
普通ではありませんでした。
ラナムンは、
さらに警戒を緩めずにいると、
白い髪の男は敬虔な表情をして、
ラナムンが覚えているなら
話が簡単だと言って、
悪が押し寄せている。
悪を処断すべき時が
近づいている。
立ち向かう準備を
しなければならない。
と真剣な表情と声で告げました。
その言葉は、
彼に手紙をずっと送ってきた人が
書いていた言葉だったので、
ラナムンは、
彼が手紙の送り主なのかと尋ねました。
白い髪の男は頷きました。
そして、
ラナムンが返事をくれないから
直接来たと言いました。
ラナムンは、返事をしないのも
それなりの返事だったと答えました。
白い髪の男は、
ラナムンが関心がないことに
がっかりしながらも、
彼は対抗者なので、
混乱した世の中を抑えられるのは
彼だけだと言いました。
白い髪の男の声は
世の中に対する懸念と心配で
いっぱいでした。
英雄を導くに値する師匠らしい態度で
詐欺師には見えませんでした。
しかし、ラナムンは
関心がないと言って
剣先を白い髪の男に向けると
出ていくように命じました。
その断固とした姿を見ていた
白い髪の男の口元から
ずっと見せていた
慈愛に満ちた笑みが消えました。
よく育ったか見に来たのに、
これは、よく成長したと
言うべきだろうか。
その呟きが終わる前に、
ラナムンは前方へ走って行き
窓を飛び越え、瞬く間に、
白い髪の男の腰から剣を抜いて
彼の首に向けました。
あっという間に起こったことに
白い髪の男の目が感嘆を帯び、
やがて、ニヤリと笑いました。
ここまで、全て
見せなくてもいいのに。
白い髪の男が現われてから
初めてラナムンの表情が揺れました。
素肌に夏の夜風が
涼しく感じられました。
よく剥がれるように作られた服が
窓を飛び越えながら、
あっさりと剥がれました。
ラナムンの揺れる瞳を見た白い髪は
満足そうに笑いました。
見事に大きいね。
ローズマリーの開花時期は
10月から5月。
今、咲いていないローズマリーを
なぜ、ギルゴールが送ったのか。
私を思って、変わらぬ愛、記憶、
追憶、あなたは私を蘇らせる、
などです。
すでにラティルは
ギルゴールに会っていますが、
彼は、それを知りません。
だから、ラティルに
自分を思い出させようとして、
ローズマリーを送ったのかなと
思いました。
ロマンチストな一面もありますね。
ラナムンは、大きいのですね。
タッシールと
どちらが大きいのか、
良からぬことを考えてしまいました。