自分時間を楽しく過ごす 再婚承認を要求しますの先読みネタバレ付き

子供の頃からマンガが大好き。マンガを読むことで自分時間を楽しく過ごしています。再婚承認を要求します、ハーレムの男たちを初めとして、マンガのネタバレを書いています。

問題な王子様 37話 ネタバレ 原作 あらすじ マンガ28、29話 消えたエルナ

 

37話 バーデン男爵夫人がシュベリンにやって来ました。

 

全く落ち着きがないし、

優雅でないことを知っていても、

バーデン男爵夫人は気にせず、

社交的な挨拶を交わすのも省略して

あの子を返してくれと、

本論を投げかけました。

 

酒に酔った間抜けな顔で

彼女を眺めていたウォルターは

失笑しながら、

今、何を言ったのかと

問い返しました。

端正でない身なりに、脂ぎった髪。

顔色も悪く、しばらく会わないうちに

彼女の同年代になってしまったような

姿でした。

 

バーデン男爵夫人は、

文字通り、エルナを

自分が連れ戻すという意味だ。

あの良い子の評判を

台無しにした父親のそばに

エルナを、たった一日でも

置きたくないと答えました。

 

ウォルターは、

誰のおかげで、まだあの家に居座って

暮らしているのか知っているなら、

このような話を

むやみにしてはいけないと

非難すると、バーデン男爵夫人は

ウォルターのおかげで守った

あの家は必要ないと言いました。

エルナが都市で

どんな扱いを受けているかを知った日

涙を流しながら下した決定でした。

2人の使用人の意向も同じでした。

田舎の邸宅は、

彼らが暮らしていくための

大切な基盤でしたが、

この世の何物も、エルナより

貴重ではありませんでした。

 

バーデン男爵夫人は

ウォルターが持っているなり

転売するなり、

思い通りにしていいので、

すぐにエルナを返してくれと

力を込めて告げることで、

シュベリンに来るまでの長い間、

数え切れないほど練習して来た

話を完璧に終えました。

あとは、名前だけ思い出しても

恋しくて涙が出そうな

孫娘を出してもらうことだけでした。

 

ウォルターは、

でたらめを言っているのではなく

まさか、本当に、

エルナを探しに来たのかと

尋ねました。

不審な目で彼女を見ていた

ウォルターの表情が

かなり深刻になりました。

隣に座っている子爵夫人も

そうでした。

 

ウォルターは、

エルナがバフォードに

戻ったわけではないということかと

呟きました。

バーデン男爵夫人は、訳が分からず

微かに震える声で、

今何を言っているのかと

聞き返しました。

 

ウォルターは、あっという間に

酔いが覚めたような気分になり、

あっけにとられて失笑しました。

どうやらあの老人は

本当にエルナの行方を

知らないようでした。

彼女は、

あの子をこっそり連れ去って、

このような演技を

披露するような偉人には

なれないからでした。

 

では、あの不埒な者は

本当に家出でもしてしまったのか。

彼は目を丸くして、

隣に座っている妻を見ました。

ブレンダも当惑した表情で

彼を見ていました。 

 

嵐が過ぎ去った日の朝、

部屋に食事を運んで行った

エルナのメイドの泣き声で、

エルナが消えたことを知りました。

 

夜が明けるまで酒を飲んでいた

ウォルターは、泥酔状態で

その、とんでもない知らせを

聞きましたが、

あまり気にしませんでした。

あの子が行く所は、

どうせあの田舎だけなので、

近いうちに、再び引きずり出して

きちんと躾し直せばいいと

考えていました。


もう社交界で相手を探すのは

難しいけれど、

田舎の下級貴族の妻の座くらいは

手に入れられるから。

それさえもダメなら、

爵位のない成金にでも

売ってしまうつもりでした。

 

それなのに、

まさかバーデン男爵夫人が

エルナを探すために

この家に乗り込んでくるなんて

考えもしませんでした。

 

あのクソ雌犬が逃げた。

はじめて、その事実を

はっきり認識したハルディ子爵の顔が

怒りで真っ赤になりました。

 

じっと彼を見守っていた

バーデン男爵夫人は

泣きながら、大きくため息をつくと

身体を真っ直ぐに起こしました。

そして、

まさかエルナが

消えてしまったと言うのか。

今、そう言ったのかと、

震える声で叫びました。

ウォルター・ハルディは

何も答えませんでした。

 

父親のくせに、

娘がどこにいるのかも知らないまま

飲んだくれていたのか。

道理に反する人間だということは

とっくに分かっていたけれど、

まさか、自分の子供にまで

こんなことをするなんてと、

激しいバーデン男爵夫人の声が、

ハルディ家の応接室に

響き渡りました。

 

孫娘と同じような、

時代遅れの格好をして現れた

田舎の老人を見物するために

集まっていた使用人たちは、

びっくりして、

目をキョロキョロさせました。

その勢いに圧倒されたハルディ子爵も

さっと目を逸らしました。

 

バーデン男爵夫人は、

こんな者でも父親だと思って

エルナを送った自分は

とても愚かだったと、

炎のような怒りが込められた目で

ウォルター・ハルディを

睨みつけました。

 

もし、エルナに何か起こったら

絶対に許さないと、

血を吐くような思いで叫ぶと、

バーデン男爵夫人は、

震える足をかろうじて支えながら

ハルディ家を去りました。

 

苛立たしげに玄関先で待っていた

グレベ夫人は、

泣きそうな顔で近づいて来て、

エルナお嬢様はどこにいるのかと

尋ねました。

 

ようやく息を整えた

バーデン男爵夫人は

唇を震わせながら、

すぐに警官に会わなければならないと

答えました。

 

「えっ?警官ですか?」と

聞き返すグレベ夫人に

バーデン男爵夫人は、

エルナが消えてしまったらしいと

答えると、熱い涙が溢れて来て、

皺だらけの顔を濡らしました。

バーデン男爵夫人は、

自分たちのエルナが行方不明だと

叫びました。

申し訳ないけれど、

自分には決定権がないと

今日も同じ答えが返って来ました。

背筋を伸ばした姿勢で

立ちはだかっている白髪の老婦人は

とても厳しい表情をしていました。

 

「王子様とお話しなさってください。」

じっとエルナを見つめていた老婦人は

一言付け加えました。

穏やかな口調でしたが、

冷たい威厳が感じられました。

 

エルナは途方に暮れて

彼女を見ました。

このやりとりを止めて、

ここを去りたいエルナと、

そのようなエルナを阻止する

老婦人の攻防は、すでに数日間

繰り返されていました。

 

一晩眠った後に意識を取り戻すと、

見知らぬ顔が見えました。

自分をフィツ夫人と紹介した

老婦人は、エルナがここにいる事情を

簡単に説明しました。

全く、現実感のない話でした。

今も、まだそうでした。

 

窓の向こうから吹いて来る風が

ベッドヘッドに寄りかかった

エルナのパジャマの裾を

そっと揺らしました。

微かな海の匂いと、

街の活気に満ちた騒音が

風に乗って伝わって来ました。

 

布団をしっかりと掴んだエルナは

好奇心と恐怖が入り混じって目で

周りを見回しました。

 

ここはビョルン王子が所有している

タウンハウスでした。

あの夜、王子が、直接エルナを

ここへ連れて来たと、

フィツ夫人の説明を聞くと、

意識の向こうに残っていた

記憶が一つ二つと次々と蘇りました。

 

見知らぬ家で目を覚ました深夜。

そばにいた王子。

「大丈夫です」と耳元で繰り返された

優しい声。

 

エルナは、

王子様と話をするには

どうすればいいかと尋ねました。

もう病状が良くなったので、

いい加減、

去らなければならない時期でした。

いつまでも、

ここで世話になっているわけには

いきませんでした。

 

「うーん、お嬢様」

フィツ夫人は困惑した顔で、

穏やかなため息をつきました。

 

嵐の最中、

シュベリン宮に戻って来た御者が

慌ただしく彼女を訪ねて来て、

タウンハウスに

主治医を連れて来るよう

王子に命令された。

できればフィツ夫人も一緒に

連れて来て欲しいと要請されたと

話しました。

 

王子様ではない。

他に患者がいるという言葉が

添えられなかったら、

老いた心臓が止まってしまったかも

しれませんでした。

今にして思えば、この方が、

より衝撃的なことでしたが。

 

大急ぎでタウンハウスに駆けつけ

目にした光景を思い出すと、

今でも頭がズキズキしました。

 

ハルディ家の令嬢が

王子のベッドで眠っていました。

気絶するが如く驚いたフィツ夫人と、

凍りついている主治医。

 

ベッドの横に置かれた椅子に

座ったまま眠っていたビョルンが

すっと目を覚ましました。

目が合うと、

彼は笑顔を見せました。

呑気極まりない態度でした。

 

王室の主治医が、

横たわっているエルナ・ハルディを

診察している間、

二人は別の部屋に移動して

話をしました。

 

ビョルンは、まるで

社交的な挨拶を交わすような口調で

おおよその事情を説明しました。

「何てことでしょう」

フィツ夫人が言えるのは

それだけでした。

 

他の誰でもない

ビョルン・デナイスタが、

女性を巡って

金を賭けるようなことに

足を踏み入れたことと、

ハルディ家の令嬢が

この家に来ることになった理由は

とても受け入れがたい事実でした。

 

「何てことでしょう、王子様!」

フィツ夫人は真っ青な顔で

ビョルンを叱りました。

悩みの種の王子のお尻を叩くのを

避けるために、

彼女はすべての忍耐力を

動員しなければなりませんでした。

 

しばらくハルディさんの面倒を

見てくれるかという

ビョルンの提案を受け入れたのは

完全に罪悪感のためでした。

自分が間違って育てた王子のせいで、

可愛い女性が、

苦難を経験することに

なったからでした。

 

彼らしくないことをしたのを見ると

心を許した

相手なのかもしれないという期待を

抱いてもみました。

よくよく考えてみると、

とんでもないことでしたが。

 

考えをまとめたフィツ夫人は、

申し訳ないけれど、

自分の立場で答えを出すのは

難しい。

今は、王子様が戻られるのを待つのが

最善のようだと

落ち着いて答えました。

 

ビョルンは、大雨が止み、

夜が明け始める頃に

タウンハウスを去りました。

そして何気なく、

再び自分の日常に戻りました。

 

フィツ夫人と

主治医を通じて報告を受けるだけで

直接ここに戻ることは

ありませんでした。

 

それでも、

このお嬢様を家に帰してはいけない。

さっぱり、ビョルンの心の内が

分かりませんでした。

 

エルナは、

王子様を待ってみることにすると

素直に頷きました。

きれいな顔のあちこちには、

まだ、痣や、明らかな傷跡が

残っていました。

 

フィツ夫人は、

知らず知らずのうちに、

固く手を握り締めました。

 

エルナはフィツ夫人に

「本当にありがとうございます。

丁寧お世話をしてくださった

おかげで、くつろぐことができました」

と、じっと彼女を見ながら、

丁重にお礼を言いました。

にこやかに笑うと、

たちまち明るい顔になりました。

 

フィツ夫人は、

とんでもない。

当然すべきことをしただけだと

謙遜しました。

固く閉じていたフィツ夫人の唇にも

いつの間にか、

微かに笑顔が浮かびました。

 

近くで見守ったエルナ・ハルディは

世間で噂されているような

悪女ではありませんでした。

やや、ぎこちない面があるけれど

礼儀正しい女性でした。

 

フィツ夫人が退出しようとした間際

エルナは、

もし明日になっても

王子様が来なければ、

シュベリン宮に連絡してもらえないかと

頼みました。

そして、

「申し訳ないけれど、お願いします。

事が大きくなる前に去るのが、

王子様にとっても良い事だと思う」

付け加えました。

 

エルナの目つきが

一層真剣になりました。

緊張した面持ちでしたが、

それでも気持ちを変える気は

なさそうでした。

 

小鼻に下がった眼鏡を上げた

フィツ夫人は、

目を細めてエルナを見つめました。

とんでもないお嬢様という評価は

どうも変えるのが良さそうでした。

ただ要領か悪いだけで、

芯は結構真っ直ぐで

実直に見えました。

直接エルナ・ハルディに会った

王妃から聞いたことと、

彼女がなぜ好意的な評価をしたのか

初めて理解できました。

 

フィツ夫人は

「はい、お嬢様。そういたします」

と返事をして、

そっと一歩退きました。

ため息をついたエルナの顔の上に

再び明るい笑顔が咲きました。

とても愛らしく笑う女性でした。

証券取引所を出たビョルンは、

大股で一歩を踏み出し

通りに出ました。

片手に握っていた帽子をかぶる仕草が

ダンスの一つの動作のように

エレガントでした。

 

銀行員と証券ブローカーが

忙しく行き来する中心街を離れると

シュベリン港へと続く

運河が現れました。

ビョルンはその道を歩きました。

彼のタウンハウスは、その通りの

突き当たりにありました。

 

リゾート地の雰囲気が漂う

都市南部とは異なり、

北部は歴史的な商業地区でした。

海を行き来する貿易船の拠点である港と

金融会社が密集しており、

かなりダイナミックで

慌ただしい雰囲気を帯びていました。

 

物資と資本が集中しているシュベリンは

このレチェン、

いや、この大陸全体の中で、

最も栄えた金融都市といっても

過言ではありませんでした。

ビョルンが

この都市を本拠地としているのは

それが最大の理由でした。

 

海が近づくと、

空を突くようにマストを高く掲げた

帆船が見え始めました。

普段より

港が混雑しているのを見ると、

新しい貿易船が

入って来たようでした。

 

たまに歩みを止めて

視線を向けてくる人に

会ったりもしましたが、

ビョルンは気にしませんでした。

気づいて近づき軽く挨拶をされるか

そうでなければ通り過ぎて行く。

ただ、それだけでした。

 

後を追って来た老婆に

向かい合ったのは、

身体が覚えている

一種の反射作用でした。

 

ビョルンと向き合った老婆は、

握っていた雑誌を差し出しながら

「雑誌を一冊買ってください。

旦那様。お得な記事が

たくさん載っていますよ」と

言いました。

ただ単に、

雑誌を売るために追いかけて来た

雑貨商のようでした。

 

すでに数日前に読んでしまった

雑誌でしたが、ビョルンは素直に

その老婆のお願いを聞きました。

雑誌を受け取り、金貨を渡すと、

しわくちゃの老婆の顔いっぱいに

笑みが浮かびました。

 

エプロンのポケットを探る老婆に

おつりは結構だと言うと、ビョルンは

礼儀正しい笑顔を見せた後、

立ち去りました。

しかし、老婆は、

しつこく彼を追いかけて来ました。

「旦那様、

しばらくお待ちください!」と、

急いで彼を呼んだ老婆は、

片腕に掛けている籠から花を取り出し

近づいて来ました。

甘い香りを漂わせる鈴蘭でした。

 

老婆は、

「雑誌を購入してくれた方への

プレゼントです。

一つ、お持ちください」と言って

ビョルンの手に

鈴蘭の花束を握らせました。

数十本の花を束ねても、

ただの一握りにしかならない

とても小さくて細い花でした。

 

「本当にありがとうございました。

神のご加護がありますように」と

丁寧な挨拶を残した老婆は、

向かい側から近づいて来る

老紳士の方へ向かいました。

 

ビョルンは、その場に立ち止まって

チラッと渡された花束を見ました。

あの女がプレゼントしてくれた

造花を思い出しました。

 

灰皿に捨ててしまった美しい鈴蘭。

生花と全く同じように

生き生きとした花でした。

唯一の違いは、鼻先を擦る

甘い香りだけでした。

クスッと笑ったビョルンは、

再びタウンハウスに向かって

歩き始めました。

 

あれから数日が過ぎ、あの女は、

昨日から少しずつ、回復傾向を

見せているとのことでした。

どんな状態であっても

去りたいと申し出たようでしたが、

そんなことは、

到底理解できないこだわりでした。

 

まさか、人間でありながら、

ただの獣のような父親がいる家に

再び、帰るつもりなどないだろう。

また、夜逃げを試みるつもりか。

 

色々と、

無意味な考えをしている間に

高級ホテルとタウンハウスが

密集している区域が現れました。

 

ビョルンは、

帽子のつばをそっと上げて、

自分の家を眺めました。

 

とある実業家が所有していた

タウンハウスは、春に、

慌てて売りに出されました。

都市を騒然とさせた

投資詐欺に遭った主人が、

急ぎの金を手に入れるため、

相場より安い金額で

売りに出された物件でした。

前世紀の有名な建築家が

残した作品でしたが、好立地で、

投資価値は十分でした。

 

収集した情報をもとに

結論を下したビョルンは、

悩むことなく

タウンハウスを購入しました。

銀行の近くに位置しているので、

業務の折、近隣を訪れる際に

利用するつもりでした。

まさか、

家出した女の隠れ家になるとは

思いもしませんでしたが。

このように、

役に立って使われているので

それはそれで良いと思いました。

 

もちろん、一日も早く

片を付けなければならないことは

よく分かっていました。

無用な雑音が生じないよう、

最も信頼できる人々に

女を任せておきましたが、

この世に

永遠の秘密はありませんでした。

エルナ・ハルディが

ここにいるという噂が広がれば、

あの女性は再起不能になるはず。

だから一応、

エルナの状態を直接見て

判断しようと思いました。

 

バーデン家に戻すのが最善だろう。

しばらく進んで

足を止めたビョルンは、

寝室のある三階を見上げました。

意外にも窓が開いていました。

その向こうに立っている

女を発見したビョルンの目が

細くなりました。

 

蓮の花がいっぱいの

モスリンのドレスを着た女が

窓の前に立って

通りを見下ろしていました。

独特な好みを持つ、前時代的な淑女、

エルナ・ハルディでした。

 

エルナは、

人々が通り過ぎる度に、

窓から顔を出して見た後、

再びカーテンの後ろに隠れるのを

繰り返していました。

おそらく、

彼を待っているようでした。

長く垂れている髪が、

その慎重な動作の度に

しなやかに波打ちました。

 

その姿を見るビョルンの口元に

薄っすらと笑みが浮かびました。

鈴蘭の花を握った手を

無意識に握り締めたのと同時に、

街の様子を見つめていた

エルナの視線が彼に届きました。

思わず目を見開いた

エルナの顔の上に、

日差しのように明るい笑顔が

広がりました。

 

ビョルンは、慌てることなく

ゆっくり歩いて、

窓の下に近づきました。

その間に、

エルナはバルコニーに出ました。

女の上に注がれる真夏の日差しが

眩しくなりました。

 

とんでもないことをする

女を見守っていたビョルンは、

にっこり笑って、

再び立ち止まりました。

 

バルコニーの端に立ったエルナは

手すりを越えて頭を出しました。

何か言おうとして口を開きましたが

ビョルンが待っていた声は

聞こえませんでした。

ビクッとして

通りを見回したエルナは、

唇をつぐんだまま一歩後退しました。

もしかして、周りの注目を

集めることになるのではないかと

恐れたようでした。

 

二人は、それぞれの場所から

互いを見つめました。

海から吹いて来た涼しい風が

彼らの裾を揺らしました。

 

その穏やかな情景は、

都市の上に響き渡り始めた

教会の鐘の音により、

幕を下ろしました。

もうそろそろ

家に入ろうと思ったビョルンは

背筋を伸ばして一歩後退しました。

斜めに上がった唇の先端に、

微かな笑みが浮かんでいました。

 

一歩遅れて、お辞儀をした女を

ざっと見たビョルンは、

帽子を脱いで丁重に挨拶しました。

エルナはびっくりして後ずさりました。

そんな中でも、格式を備えた挨拶で

応えることを忘れませんでした。

 

教会の鐘が止むと、

街の喧騒が再び鮮明になりました。

ビョルンは何もなかったかのように

タウンハウスの入口に続く

階段を上りました。

ため息のように漏れた笑いが、

穏やかな夏の風に乗って流れました。

カップから立ち昇った湯気が、

応接室いっぱいに差し込んでいる

日光の中に、静かに染み込みました。

エルナは、

膝の上に揃えた両手の上の

ティーテーブルを見つめました。

向かい側に座っているビョルンも

沈黙を守っていました。

 

あれほど待っていた王子が

来てくれたのに、なぜかエルナは

話をすることができませんでした。

夢の中で迷っているかのように

ぼんやりした気持ちでした。

窓の下に立って

丁重な挨拶をしてくれたビョルンを

見た瞬間から、ずっとそうでした。

 

沈黙の重圧に

耐えられなくなって来た頃、

「お茶をどうぞ、ハルディさん」

と、ビョルンが先に口を開きました。

エルナはその時になって、

ようやく目を上げました。

ビョルンは足を組んで

カップを握っていました。

普通の大きさのカップのはずなのに

子供用のように見えるのは、

彼の手が、とても大きいからだと

気づきました。

 

顔を包み込んでくれた

あの手の感触を思い出し、

エルナの頬が赤く染まりました。

王子に再会すると、

大雨が降り注いだ夜の記憶が

さらに鮮明になりました。

 

突然、雨が止んだ瞬間から、

この家のベッドに横たわった

夜明けまで、

パズルのように散らばっていた

断片的な記憶が、

すでに、一つに合わさりました。

 

最も悲惨で、ぼろぼろの姿を

見られてしまったという事実で、

エルナは、

とても恥ずかしくなりました。

今更、プライドを保つのは

難しいけれど、それでも、

あのようなドン底の姿まで、

さらけだしたくは

ありませんでした。

王子には、何の意味もないことだと

分かっているので、

らに、エルナの頬は赤くなりました。

 

しばらくして、

再び顔を上げたエルナは、

王子様が助けてくれたおかげで

苦境を脱することができた。

本当にありがとうございましたと

挨拶のようなお礼を述べました。

カップを触りながら、

小さな手を擦っているのを見た

ビョルンの唇が微かに曲がりました。

 

「お身体はいかがですか?」

熱意のない目で

エルナを見つめていたビョルンは

淡々と尋ねました。

エルナは、

王子様が助けてくれたおかげで、

もう、すっかり良くなった。

本当にありがとうございましたと

同じ言葉を繰り返しました。

 

まだ顔色は良くなかったけれど、

ビョルンは知らないふりをして

頷きました。

少なくとも、あの晩よりは

良くなったからでした。

 

息を整えたエルナは、

このご恩は、必ずお返しすると

言いました。

重大な宣言でもしているかのように

真面目な顔つきでした。

 

ビョルンは首を傾げて、

「どうやって?」と聞き返しました。

慌てるエルナを見ているうちに

退屈だろうと思っていたティータイムが

少し面白くなりました。

 

「はい?それはどういう・・・」

と尋ねたエルナに、ビョルンは

「造花を作るのかなと思った。

ハルディさんの特技ではないか」

と答えると、カップを下ろして

椅子の背に、ゆったりと

身体をもたせかけました。

 

たかが軽い冗談なだけなのに

エルナは心から困っていました。

その姿を見守っていたビョルンは、

いじめるつもりはなかったのにと

クスッと笑ってしまいました。

窮地に追い込まれた女のお金や小銭に

執着しているわけではないのに、

複雑な気分でした。

 

ビョルンは、

心配しないように。自分のせいで、

引き起こしたことの責任を、

ハルディさんに

押しつけるつもりはないと

言いました。

 

「王子様のせいですか?」と

聞き返すエルナの瞳が揺れました。

明るく輝く瞳が、

小さな顔のあちこちに刻まれている

残酷な暴力の痕跡を、

さらに浮き彫りにしました。

 

ビョルンは、

あのスキャンダルのせいで、

ハルディさんが

困ったことになったからと

答えました。

ぼんやりと頬の傷を見ていた

ビョルンの目が、

まだ傷のある赤い唇に触れました。

 

エルナは「いいえ!」と

一抹の躊躇もなく、

しっかり否定しました。そして、

あんな小説のような話を

広げた人々のせいで、

王子様だって大きな被害を受けた。

それでも、

再び、自分を助けてくれたと

言いました。

 

ビョルンは

「そうですか?」と聞き返しました。

エルナは「はい、絶対に」と

確信に満ちた返事をして頷きました。

その仕草で揺れた

ドレスのリボンの飾りの上に、

大雨が降った夜の記憶が

浮かび上がりました。

ビョルンは、しばらくじっと

そのリボンを見つめました。

 

帽子と上着を脱がしたものの、

エルナは、まだずぶ濡れでした。

到底、そのままの状態で

放置しておくことは

できませんでした。

 

しばらく考え込んだビョルンは、

胸に抱いていた女を、

まずベッドの横にある椅子の上に

寝かせました。

意識を失っていたエルナが

キラキラ輝く目を開けたのは

その時でした。

 

ビョルンは、

濡れた服を着替える必要がある。

このままにしていると、

本当に大変なことになるからと、

驚く女を落ち着かせながら

ゆっくりと話しました。

 

しかし、エルナは頑なに首を横に振り

今にも死にそうな姿をしているのに

ドレスの前立てをつかみながら

自分でやる、自分でやれると、

無駄にこだわり続けました。

 

痴漢にでも会ったように、

騒ぎ立てる様子が面白かったけれど

とりあえず、

女の要求に従うことにしました。

 

タオルと女のトランクを持って来た

ビョルンは、

しばらく寝室の外に退出しました。

ドンという音が聞こえて来たので、

結局、あの愚かな女は

倒れたようでした。

反射的にドアノブを握った

ビョルンの唇から、

複雑な気持ちと苛立ちの入り混じった

ため息が漏れました。

 

小さな唸り声と共に、

トランクが開く音が

聞こえて来るのを見ると、

気を失ってはいないようでした。

 

五分。

ビョルンは、

自分なりの制限時間を決めた後、

懐中時計を開きました。

それ以降も、

あのような状況で待たせるなら、

むしろ痴漢扱いをされてもいいと

言うつもりでした。

そして、実際に彼は、

そのつもりでいました。

しかし、正確に五分後、

寝室のドアを開いた

ビョルンの目に入って来たのは、

推測とは全く異なる光景でした。

 

エルナは、

パジャマ姿で椅子に倒れこんで

眠っていました。

驚いたことに、たくさんのボタンも

全てきちんとかけ、首元のリボンまで

きちんと結ばれていました。

その結び目の形も整っていました。

たかがリボンに、

人間の毅然とした意志と信念を

感じることができるという事実に、

改めて、

敬虔な気持ちになった夜でした。

 

微笑んだビョルンは、

エルナを慎重に抱き上げて

ベッドに寝かせました。

そして、夜明けまで眠らせ、

翌朝、主治医が到着するまで、

その愚かな淑女のそばで

見守りました。

 

一体、なぜ?

自分でも理解しにくい行動の

連続だった、あの夜を思い出すと

再び悩ましい疑問が浮かびました。

ビョルンは、その答えを探すように

反対側に座っている女を見ました。

 

たおやかな姿勢で座っていたエルナは

テーブルの端に置いた

小さな花束に触れていました。

彼があげた、あの鈴蘭でした。

 

とにかく自分には無駄な物なので、

花が好きな女に与えただけなのに、

エルナは、すごいプレゼントでも

もらったかのように喜びました。

 

再び鈴蘭の花の香りを楽しんでいる

エルナを見つめたビョルンは

微笑みながら、

「ハルディさんは、

花がとてもお好きなようですね?」

と尋ねました。

 

ただの純粋な疑問に過ぎなかったのに

エルナは、叱責を受けた子供のように

急いで花を下ろしました。

そして、

「すみません、王子様」と謝りました。

ビョルンは

「何にですか?」と尋ねました。

エルナは、

紳士から花をもらったのは初めてだと

答えました。

花束の上を彷徨っていた

エルナの視線が、彼に向けられました。

彼女は、

このような状況が初めてなので

少し不思議で、

自分でも分からないと答えました。

 

とんでもないことを言う女を見た

ビョルンは、

シュベリンにある花屋の花を

全てさらっていった女性が、

よくもそんな嘘をつきますねと

言うと、曖昧に微笑みました。

 

賭場の連中は、毎日のように

ハルディ家に花束を送りました。

ただ女の顔を気に入っただけの

他の人々も、熱烈な求愛を

繰り広げたということを、

ビョルンはよく知っていました。

 

しかし、エルナは

眉ひとつ動かさずに、

いいえ。

そういう意味ではないと

真面目に反論しました。

そして、

もちろん、家に花が配達されたことが

度々あったけれど、このように

直接、花をもらったことはないと

悔しそうに申し立てました。

馬鹿馬鹿しい主張でしたが、

嘘ではありませんでした。

 

ビョルンは湯気の立ったカップ

再び握りました。

多くの輩が、

たかが小銭一枚の花にこだわる女を

誘惑するのに失敗したわけで、

彼らが気の毒に思えました。

いや、小銭一枚で済む雑誌を買って

もらったおまけだから、

それよりも安値だと見るのが

正しいようでした。

 

「お見舞いに来てくださった上に

このような花も

プレゼントしてくださり

本当にありがとうございます。

大切にします」と、

感謝ばかりする女が、

再び丁重なお礼を言いました。

 

ビョルンは、

花は、結局枯れると、

訳もなく、残念な返事をしました。

女性の反応が気になる

ひねくれた好奇心、あるいは意地悪。

いずれにしても、

彼らしくない行動でした。

 

ビョルンは、

女が慌てるかもしれないと

思っていましたが、エルナは

でも、王子様から花をいただいた

瞬間の喜びは枯れないからと

結構、的を得た返事をしました。

 

ビョルンは笑うのを止めて、

真面目な顔で、

エルナと向かい合いました。

彼女は、

久しぶりの良い思い出なので

大事にする。

他に親切にしてくれたこともあると

言いました。

 

ビョルンは、

何だか別れのようだと言いました。

エルナは、

もう、そんな時になったからと

落ち着いた笑顔で答えました。

 

ビョルンは、黙々と

エルナの話を聞いていましたが

彼女が、

そろそろ帰ることにする。

王子様が、

また困ることになるといけないし、

自分も友人を探さなければ・・・

と言ったところで、

「友人?」と、

突然エルナの言葉を遮りました。

顰めた眉の間の、

形の良い鼻筋の上を流れ落ちるように

日差しが落ちました。

 

ビョルンは

「ああ、パーベル」と囁きました。

その名前に、

エルナの目が大きくなりました。

おそらく正解でした。

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タウンハウスは

ビョルンの半分隠れ家的な存在で

必要な時には呼ぶけれど、

普段は、メイドや侍従が

常駐していないのかもしれません。

ビョルンが認める通り、

エルナを匿うにはもってこいの

場所だったのだと思います。

 

ずぶぬれになったエルナを

放っておけず、

タウンハウスにまで連れて来て

主治医が来るまで、

エルナのそばで見守っていたのに

彼女への自分の気持ちに

気づかない鈍感なビョルン。

純粋培養されたエルナの

全く悪意のない優しい言葉に

さらに、

心を動かされたと思いますが、

それでも、その感情が何なのか

気づけていないのが残念です。

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