891話 あいつの匂いとは、誰の匂い?
◇何もしないから◇
また喧嘩しているの?
ラティルは早く帰って来たので
残っている時間に
仕事をしていましたが、側室たちが
また喧嘩しているという報告を聞き
首の後ろを押さえました。
ラティルは、
ひとまず仕事を全て終えた状況なので
体を起こしながら、
誰が喧嘩しているの? クライン?
と尋ねました。
侍従はぎこちなく笑いながら
メラディムとギルゴールだと
答えました。
また、あの二人。
ラティルは首から手を離し
カッとなりましたが、
目を見開きました。
ギルゴールは議長に付いて行って、
ここには、いないはずなのに、
ギルゴールが喧嘩していると聞いて
ラティルは驚きました。
侍従は、ギルゴールが
ラティルに知らせてまで、
出て行ったことを
知りませんでした。
元々、ギルゴールは、
何も言わずに出歩く人として
知られていたためでした。
その上、普段から、
ギルゴールとメラディムは
あちこちで
喧嘩を繰り返していたので、
侍従は皇帝が驚くと、自分も驚き
慌てて 「はい、はい」と答えました。
ラティルは、
どこで喧嘩しているのかと尋ねると
侍従が、
温室の方・・・と答え終わる前に
そちらへ駆けつけました。
通りかかった宮廷人たちが
挨拶もできないほど
速いスピードでした。
ラティルが
温室の扉を蹴って入ると、
四方に満開の花が見えました。
爆発するように
押し寄せて来る花の香りに
ラティルは、
しばらく息を止めました。
彼女は、
ギルゴールのことが
もっと恋しくなるのではないかと思い
彼が去ってから、
この中に入りに来ませんでした。
ザイオールだけが
一人でここで過ごしながら、
必要なものがあれば
持ち込むだけでした。
ところが、
数ヵ月ぶりに入ってみると、
温室の中は、すでに春の花が
たくさん咲いていました。
ゆっくり呼吸すると、
濃い花の香りが優しく押し寄せて来て
肺を満たしました。
ザイオールが頭の花と
変な植物を全部抜いたのだろうか。
なぜ、皆、花なのだろうか。
あまりにも花がいっぱいなので
温室の中にあるギルゴールの家さえ
見えませんでした。
それにメラディムとギルゴールが
喧嘩していると聞きましたが、
その声も
聞こえて来ませんでした。
すでに決着がついたのだろうかと
思いながら、
ラティルは一歩一歩中に入り、
巨大な綿菓子のような花々を
ぼんやりと見回しました。
そうしているうちに、
花束が腕をトントンと叩きました。
横を見ると
巨大な花束が見えました。
いや、花束のせいで
顔が隠れた人が立っていました。
ギルゴール? ギルゴールだよね?
ラティルが質問しましたが、
花束は片付けられませんでした。
しかし、答えを聞かなくても、
それが誰なのか
分かることができました。
花束を持った5本の指全てに
ラティルがプレゼントした指輪が
はめられていたからでした。
ラティルは、
心臓がドキドキし始めました。
彼女は花束を
ゆっくりと押し下げました。
花が片付くと、
笑みを浮かべた目元が
徐々に現れました。
お元気ですか?お嬢さん。
ラティルは花束を投げ捨てて
彼をギュッと抱き締めました。
そして、腰を抱えながら、
今まで、どこへ行って来たのかと
腹を立てました。
彼が帰って来て嬉しいのに、
怒りのせいで、
自然と声が荒くなりました。
自分勝手な人は
強い力でラティルの体を
丸ごと自分に引き寄せ、
後ろに倒れました。
ラティルはギルゴールを下敷きにして
豊かな花畑に
横たわるようになりました。
ギルゴールの髪と白いコートの裾が
花の上に散らばりました。
彼は花を背に横になったまま、
9本の指に指輪をはめた手で
ラティルの頬と耳、目元を
撫でました。
会いたかった。 お嬢さんは?
と尋ねるギルゴールに、ラティルは
自分が先に質問したのにと
不平を漏らしてから、
どこへ行って来たのか。
何をして過ごしていたのか。
どうして、こんなに遅く
帰って来たのかと
矢継ぎ早に質問しました。
ギルゴールは、
ぞっとするような笑みを浮かべながら
もしかして、可愛い鳥から
話を聞いていないのかと尋ねました。
グリフィンは何も言わなかったと
言ったら、
大変なことになりそうでした。
ラティルは、
自分の質問は脇へ退けて、
ギルゴールが、
議長に付いて行ったと聞いていると
答えざるを得ませんでした。
そうですね。 どうしたことか
きちんと伝えたね。
と呟くと、
ようやくギルゴールは口角を上げ
ラティルの口角を親指でつかんで
一緒に上に上げました。
そして、
なぜ泣きそうな顔をしているのか。
自分が帰って来て
嬉しいのではないかと尋ねると
ラティルは、
ギルゴールが完全にいなくなったと
思ったと答えました。
ギルゴールは、
やはり、あの鳥は
何も言わなかったようだと言って
体を起こそうとすると
ラティルは力を入れて
彼の肩を押しました。
ギルゴールは
あっという間に横になり、
驚いたように目をパチパチさせると
ラティルの力が、
さらに強くなったみたいだと
呟きました。
ラティルは
ギルゴールの指の指輪を
一つ一つ確かめながら、
議長の後を、
悉く付いて回ったのか。
もう完全に戻って来たのかと尋ね、
今度は、ギルゴールが答えてと
頼みました。
ラティルは、
この指輪をあげたら、
彼がずっとそばにいると
思ったけれど、
ギルゴールが気にせずに
議長について行ったことを
経験すると、指輪なんて、
全く何の役にも立たないという
気がしました。
しかし、彼が戻って来たのを見ると
役に立ったような気もしました。
ギルゴールは、
議長が何をしているのかと思い
付いて行ってみたけれど、
何もしないのでイライラしたから
戻って来たと
今度は素直に答えました。
その言葉に、ラティルは
笑いを爆発させました。
彼女は、
何もしていないって何なのかと
尋ねると、ギルゴールは、
一人で薬草のようなものを栽培しながら
ただ小さな家で暮らしていたと
答えました。
ラティルは、
アリタルと議長、シピサの3人が
暮らしていた家を思い出しました。
もしかして、そこだろうかと
思いましたが、知らないふりをして、
そうなんだ。
と呟くと、ギルゴールは
10本の指の中で、
唯一指輪が消えた方の手を
見せながら、
おとなしくしているか、たまに
確認しに行かなければならない。
それでも今は、
あいつが何か企んで移動しても、
どこに行くのか分かると言いました。
指輪で何かをして
渡したのだろうか。
ラティルは気になりましたが
聞きませんでした。
その代わりに
横から花を一本摘んで、
彼の空いている指に
指輪の代わりに縛ってあげました。
しかし、花の指輪は細すぎて
彼の細長い指にくっ付いている
弱々しい花は、
まるで自分と彼の約束のように
薄ぺっらなものに見えました。
それを見ると、ラティルは
心配が押し寄せて来たので、
たまに席を外しても、
ずっと帰ってくるよねと尋ねました。
ギルゴールは
粗悪な花の指輪を見下ろして
一気に食いちぎってしまうと、
ラティルの額にキスをし、
自分はいつもそうだった。
お嬢さんが知らなかっただけだと
答えました。
◇ハーレムの男たち◇
ラティルは、執務室に戻るや否や、
ギルゴールが帰って来たので、
皆で食事をしようと
側室たちに伝えて欲しいと、
浮かれながら侍従長に頼みました。
侍従長も、ギルゴールが
議長に付いて行って
消えたことを知らなかったので
ラティルが、あんなに喜ぶのが
不思議でした。
しかし、彼は、
ラティルが指示した通り、
側室たちの所へ、それぞれ人を送り
皇帝の言葉を伝えました。
ラティルは興奮しながら
寝室に入りました。
今日は良い日なので、
きちんと着飾るつもりでした。
しかし、自分がいない時、
いつも側室たちが
喧嘩をしていることを思い出した
ラティルは、自分が遅れて行けば
また、争いが起きるかもしれないと
思いました。
ラティルは服を着替えずに
タッシールだけを
迎えに行きました。
もう行かれるんですか?
着替えようとしていたタッシールは
慌てて時計を見ました。
そして、まだ30分もあるのにと
呟くと、ラティルは
喧嘩しそうだからと答えました。
タッシールは、その言葉に納得し
100%喧嘩するだろうと答えると、
業務の時に着ていた服を
元通りに着て、
ラティルに付いて外へ出ました。
そのように努力した甲斐があり
食堂へ行ってみると、
到着しているのは
ラティルとタッシールだけでした。
これで、今日は喧嘩なしで
食事ができる。
ラティルは安心して上座に座りました。
皇配のタッシールは、
自然にラティルの右隣の席に
座りました。
それから10分ほど経つと、
ザイシンが食堂の中に
入って来ました。
ラティルを見たザイシンは
目を丸くして喜びました。
陛下、早く来られましたね。
と言うと、ザイシンは
他の側室が誰もいないことを確認し
興奮して、
ラティルの左隣の席に座りました。
それから3分ほど経つと、
今度はクラインが
食堂に入って来ました。
彼も、ラティルを見て驚き、
あれ?陛下。もうおいでですか?
と尋ねましたが、
ラティルの隣の席に座っている
ザイシンを発見すると
眉が斜めに上がりました。
彼が早く来たのは、前もって
ラティルが座る席の横に
座るためでした。
ところが、すでにザイシンが
座っているので不愉快でした。
しかし、不愉快ならば
片付ければいいだけのこと。
クラインは、
皇帝が早く来ると分かっていたら
自分も、もっと早く来たのにと言って
ニコニコ笑いながら
近づいて来たかと思うと
ザイシンを押し退けて、
自分が椅子に座りました。
あっという間に
隣の席に押し出されたザイシンは
訳が分からないまま
ぼんやりと空中を見ていましたが、
後になって状況を把握して
口をポカンと開きました。
しかし、ザイシンは、
これ以上戦う気になれず、
不愉快そうに席を移しました。
クラインは、ラティルに向かって
にっこりと微笑みました。
この様子を見ていたラティルは
ザイシンが先に来ていたのに
何をしているのかと
クラインに文句を言っているところに
ちょうどラナムンが
食堂の中に入って来ました。
ラティルはラナムンに
手で挨拶をしながら
クラインに立つようにと
指示し続けました。
クラインはブツブツ文句を言いながら
立ち上がりましたが、
彼が席を立つや否や、
ラティルがザイシンを呼ぶ前に
ラナムンが自然にそこへ来て
座ってしまいました。
これはどういうことなのか。
ラティルは口をぽかんと開けて、
呑気なラナムンの顔を一度、
それから、
どさくさに紛れて
彼に席を譲ることになってしまい
表情を崩したクラインを
一度見ました。
タッシールは、
自分の席が固定だからなのか、
2人で喧嘩しますか?
と楽しそうに聞きながら
ナプキンをたたみました。
どうしてですか?
ラナムンが、
訳が分からないかのように問い返すと
ラティルは
口をパクパクさせながら
ザイシンを見ました。
彼は落ち込んでいて、
額が、ほとんどテーブルに
触れそうになっていました。
ラティルはラナムンにも
立てと言うべきかどうか
躊躇いました。
ラナムンが、故意にそうしたのか、
そうではないのかが
分からなかったからでした。
その間、サーナットが
食堂の中に入って来て、
のっしのっしと歩いて来たかと思うと
ラナムンとラティルの間の空間に
ただ立ちました。
ラティルが見ると、サーナットは
どうしたのかと
きちんと尋ねました。
ラティルはサーナットに
立っているつもりなのかと
尋ねました。
サーナットは、
自分は立っていてもいい。
これが楽だと答えました。
しかし、ラナムンは、
そんな風にそばに立っていると
食事をするのに煩わしいと
眉を顰めて抗議しました。
けれども、サーナットは
それが自分と何の関係があるのかと
堂々と答えました。
ラナムンの冷たい顔に
亀裂が入りました。
しかし、2人が
本格的に口論を始める前に、
いつの間にか現れたカルレインが
サーナットとラナムンの対立を見て
彼らに近づき、ラナムンの椅子を
さっと横に押しました。
どれだけ力があるのか、
ラナムンが座っているのに
椅子は氷の上を滑るように
そっと押し出されました。
ラナムンは怒って
文句を言おうとしましたが、
カルレインはサーナットまで
その横に押し出しました。
それから別の椅子を持って来て
新たに、ラティルの隣に置きました。
タッシールはお腹を抱えて
テーブルに額をもたせかけました。
ラティルは、彼らがどこまでやるのか
見てみようと思い、口をつぐみました。
ところが、
カルレインが最終勝利者になって
椅子に座った瞬間、
彼の姿が椅子ごと消えました。
その席には、
ゲスターが座っていました。
カルレインをどこへやったの?
驚いたラティルは、
これ以上、見ていられなくなり
立ち上がりました。
単純に隣の席に押し退けることと、
いきなり、食堂から
姿を消させるのとでは
大きな差がありました。
当てたら返すと、 ランスター伯爵は
からかうように答えました。
少しも、すまないという気持ちのない
態度でした。
ラティルは頭に血が上り、
首の後ろを押さえました。
本当にこの者たちは・・・
と思った瞬間.、
みんな私を歓迎しに集まったの?
と、ラティルの背後から
ギルゴールの声が聞こえて来ました。
彼はいつ来たのか。
驚いたラティルが振り向くや否や、
ラティルをさっと抱き上げて笑い、
でも、私は、うちのお嬢さんと
2人で遊ぶのが好きなんだけど。
と言いました。
普段なら、ラティルは
彼の積極的な愛情行為に
少し気分が良くなっただろうけれど
相次ぐ側室たちの争いで
怒りが頭のてっぺんまで
上っていたラティルは
下ろして!
と真顔で指示しました。
ギルゴールは、ラティルの顔に
笑みが一つもないのを見て
舌打ちしながら彼女を下ろしました。
自分が早く来ても遅く来ても喧嘩する。
頭が痛くなったラティルは
こめかみを押しながら
側室の数を数えて時計を見ました。
ところが、
メラディムが来ていませんでした。
ラティルは入り口の近くに立っている
宮廷人に、
メラディムのことを尋ねました。
メラディムは
ギルゴールに会いたくないので
来ないそうだと、宮廷人の代わりに
タッシールが答えました。
本当にみんな自分勝手じゃない?
ラティルは、
精神力が半分ほど枯渇して
ため息をつきました。
そして、ギルゴールが依然として
そばに立っているのを見ると、
ゲスターに、
今日はギルゴールを歓迎する
食事会なので、隣の席は
ギルゴールに譲り、
カルレインを連れ戻してと
指示しました。
話し終わるや否や、
すぐにゲスターは席を立ち、
分かったけれど、
自分は心を痛めたので
先に行くと言って、今度はゲスターが
すぐに食堂の外に出てしまいました。
その後ろ姿を見て
ラティルがポカンと口を開けると
タッシールは唇を押さえて
笑いを堪えました。
一方、ギルゴールは
譲られた席に座りながら笑いました。
ここは相変わらずだと
ラティルは額を押さえながら
無理やり笑い出しました。
そして首を横に振ったラティルは
怯えた表情で立っている宮廷人に
食べ物を持ってくるよう指示しました。
そうだよ。怒ったところで
自分だけが疲れる。
彼らがこうしてこそ
ハーレムの男たちだと
ラティルは思いました。
メラディム以外、
側室たちが勢揃いの最終話。
ギルゴールが戻って来て
本当に良かったです。
側室たちの争いは
ラティルにとって
頭の痛い問題ですが、
彼らが一致団結するのは
力を合わせなければ
敵と戦うことができない時だと
思います。
ラティルの隣の席を巡って
喧嘩をするのは大人げないけれど
そのような喧嘩ができるのは
平和だからなのだと思います。
次回から外伝です。