18話 ポロの試合が始まりました。
バスティアンは3番、
主将の番号を付けていました。
観客席に座ったオデットは
目を細めて、彼を見ました。
名だたる名門の家の子弟たちで
構成されたチームに属している
唯一の平民が、
その栄誉を得た理由を理解するまでに
それほど長い時間は
かかりませんでした。
試合が始まるや否や、
ボールを奪うのに成功した
バスティアンは、
敵陣のゴールに向かって
疾走し始めました。
序盤の勢いに乗った海軍側の雰囲気は
すぐにヒートアップしました。
体面を保つのを忘れた
観衆の熱い歓声が、響き渡りました。
オペラグラスを取り出す女性たちも
続出していました。
オデットは、
両手を膝の上にきちんと重ねて
試合を観戦しました。
最後にポロを見てから
10年は経ちましたが、
微かに記憶が残っているので、
試合の流れを理解するのは、
そんなに大変ではありませんでした。
ほとんど得点を取るところだった
チャンスが惜しくも阻止されると
あちこちから、
深いため息が漏れました。
選手たちは再び原点に戻って
勝負を繰り広げていました。
両軍の親睦と和合を図るという
本来の目的とは、
かなりかけ離れているように見える、
非常に激しく好戦的な試合でした。
広大な芝生を
疾走する選手たちの中から、
オデットは難なく、バスティアンを
見つけることができました。
スティックに結ばれた
ピンク色のリボンのおかげでした。
無理に、そうする必要は
なかったはずなのに、さっぱり、
心の中が分からない男でした。
取引関係。
彼の言葉は簡潔で明確でした。
無情な態度でしたが、
間違ったところはありませんでした。
考えてみれば、バスティアンは
一度も自分の欲を隠したり
歪曲しようとしませんでした。
彼が、ありのままを
さらけ出すのを知りながら、
オデットはこの縁談に応じました。
それなのに、今更、
道徳の判断基準を持ち出すのは
理に合いませんでした。
もちろんラナト伯爵夫人との
よこしまな関係は
多少衝撃的でしたが、
それは、この取引とは無関係な
個人的な事情に過ぎませんでした。
オデットは、それくらいで
リボンを持って行った
バスティアンが与えた混乱を
整理しました。
その時、
熱狂的な歓声が上がりました。
走れ!そうだ!もう少し!
思わず立ち上がった観衆は、
再び猛烈な勢いで攻めて行く
バスティアンの名前を
一斉に連呼していました。
オデットが適切な反応を
悩んでいる間に、バスティアンが
力いっぱい振り回した
スティックに当たったボールが
ゴールポストを横切りました。
海軍が先制点を取りました。
体力を使い果たした馬のスピードが
次第に遅くなり始めました。
バスティアンはそれを察知し、
馬の首を競技場の端に向けました。
出場準備を完璧に終えた次の馬が
待機しているところでした。
バスティアンは地面を踏むことなく
この鞍からあの鞍へと
素早く馬を乗り換えると、
すぐに新しい馬を駆って
試合に合流しました。
彼が所有するポロ用の馬の中で
最速のスピードを誇る白い種馬は、
たちまち敵陣を横切って
ボールに近づいて行きました。
二本のスティックがぶつかり合う音が
力強く走る馬の蹄の音を
圧倒しました。
ボールを奪うことに成功した
バスティアンは、
相手のゴールポストがある方向に
馬を進めました。
同点で迎えた最後の試合。
攻撃と守備が頻繁に入れ替わる接戦は
今や最高潮に達していました。
再び、遠くまで
ボールを打ったバスティアンは、
全速力で馬を走らせました。
ゴールポストの手前まで運んだ
ボールを奪われた陸軍の主将は、
やけくそになって
彼の後を追って来ました。
助けに集まった
両チームの選手たちまで加わると、
一瞬にして八頭の馬が絡み合う
激しい争いが繰り広げられました。
僅差を保ちながら
疾走していたバスティアンは、
馬の手綱を握っている左手に
全体重をかけたまま
上体を傾けました。
まだゴールポストとの距離は
かなり離れていたけれど、
このように執拗な守備を突き抜けて、
その前まで、
安全にボールを運んで行くことは
不可能でした。
それなら、
賭けをしてみることにした
バスティアンは、力いっぱい
スティックを振りました。
芝生と並行になるくらい
伏せていた上体を立て直して
座っている間に、
ボールは放物線を描きながら
光の中に舞い上がりました。
その瞬間にも、
バスティアンを乗せた馬は
疾走し続けていました。
愛してるぞ、この狂った野郎と
後から追いかけて来たエーリッヒが
動物のような歓声を上げ始めました。
ようやく視界に入って来た光景を見た
バスティアンの口元にも、
満足げな笑みが浮かびました。
得点を告げる
審判の赤い旗が翻るのと同時に
試合終了を知らせるホイッスルが
鳴り響きました。
一点差で勝利を収めました。
バスティアンは、
競技場をゆっくり回るという
パフォーマンスを披露しました。
馬を回すために手綱を引いた瞬間
観客席の端にいる
オデットが目に入りました。
熱狂する観客の中でも、オデットは、
依然として冷静な態度を
維持していました。
拍手をしているけれど、
ただそれだけで、
特別な感興は見られない顔でした。
彼と目が合うと、
オデットは丁寧な黙礼で
お祝いの挨拶を伝えました。
非の打ち所のない礼儀作法のせいで
むしろ傲慢な印象を与える女でした。
与えられた責務には忠実だけれど、
それ以上のものは、決して
何も与えないとう態度のせいでした。
丁寧に挨拶を返したバスティアンは
馬の首を回しました。
とにかく女は、
自分の役目を果たしていたので
それでいいと思いました。
サンドリンは、勝利を祝うために
選手たちの控え室を訪問し、
そこで、いとこのルーカスと
しばらく話を交わしました。
シャンパンの洗礼を受けたため、
シャワーを浴びているという
バスティアンは、その時まで
姿を現しませんでした。
面倒くさくなったサンドリンは
そのくらいで背を向けると、
よりによって、そこに
バスティアンの装備が
置かれていました。
その見苦しいピンク色のリボンも
一緒でした。
このようなことは
今までになかったと思うと
スティックに結ばれた安物のリボンが
さらに馬鹿らしく見えました。
すでに有名なポロ選手でした。
そのおかげで、
毎年主要競技の主力として
活躍して来ましたが、一度も出陣式に
参加したことはありませんでした。
貴婦人のお守りを得られないことを
非常に大きな不名誉と考える伝統に
徹底的に反する行動でした。
そのため、サンドリンは
彼の最初の出陣式を
さらに切望しました。
いつか、そのような時が来れば、
その日の主人公は、
当然自分になると信じて来ました。
それは自分たちの間に存在する
暗黙の約束も同然でした。
結局、くだらない男に
過ぎないのだろうか?
サンドリンは心からの疑問を
繰り返しながら、
バスティアンのスティックの前に
近づきました。
リボンの先をそっと引っ張ると、
するりと解けました。
自分のことに没頭している
将校たちを見たサンドリンの視線は
再び手に持ったリボンの上で
止まりました。
それをつかんだのは
衝動的な選択でした。
新しいタバコを見つけたルーカスが
振り向くと、サンドリンに、
このまま行ってしまうのか。
もう少し待ったらどうかと
提案しました。
サンドリンは、
急ぐことなくリボンを隠して
ニッコリと微笑むと、
どうせ今は、
きちんとした話をするのが
難しいと思うので、
また今度約束すると答えました。
ルーカスは、
サンドリンが来たことを
伝えておくと告げました。
サンドリンは、
本当に、そうして欲しいと頼むと、
オデット嬢も、
選手たちの祝賀パーティーに
参加するのかと尋ねました。
ルーカスは、
バスティアンのパートナーなので
多分そうだろうと答えましたが、
呑気に笑って手を振りながら、
皇帝によく見せようとして、
努力しているだけなので、
心配しないように。
気の狂った皇女のせいで、
バスティアンが、
非常に頭を悩ませていたことを
よく知っているではないかと
言いました。
サンドリンは、
もちろん知っていると答えました。
ルーカスは
信じて待つように。
火の雷を避けたら、捨てる相手だ。
普通の女でなければならないと
興奮しながら、
ぼそぼそ話していましたが
初めての出会いが、どれほど
めちゃくちゃだったことか。
完璧なまでに最悪だった・・・と
言ったところで、
突然、言葉を切りました。
サンドリンは、
なぜ、そんなに凄い初対面なのかと
尋ねました。
ルーカスは、
とにかくバスティアンと彼女が
結ばれることは絶対ないとごまかし、
固く口をつぐみました。
どうも今日は、これ以上のものが
得られそうにないと
サンドリンは思いました。
さあね。 それはあなたの考えだと
喉元まで上がって来た反論を
飲み込んだサンドリンは、
適当に微笑むことで話を終えました。
男たちの熱気と汗の臭いが充満した
控え室を離れると、
心がさらに冷たく沈み込みました。
オデット嬢は美しい女性でした。
それは個人的な感情とは
無関係な領域にある
明白な事実でした。
あんなにすごい美人が、
今まで愚かな父親の尻拭いをする
貧乏人として生きていたという事実に
当惑するほどでした。
その気になれば、裕福な男の後妻や
愛人の地位くらいは
とっくに手に入れたはずの女でした。
馬鹿でもない限り、
自分が持っている武器が何なのか
分からないはずがありませんでした。
サンドリンが恐れていたのは
まさにそれでした。
その姿で生きてきた理由が、
さらに大きな野望を
叶えるためだったとしたら?
バスティアンは、彼女の人生に訪れた
一筋の光のような幸運でした。
しかも皇帝という後ろ盾まで
持つようになりました。
まともな考え方ができれば、
この機会を逃すはずが
ありませんでした。
もちろんバスティアンは、
簡単に罠にかかるような相手では
ありませんが、だからといって
安心することはできませんでした。
英雄だの野心だのと言っても、
結局は男として全盛期だし、
オデットは、これ以上
失うものがない女でした。
もし盲目的に身を投じて、
妊娠でもしたら、彼の妻の座を
占めることになるかもしれないと
思いました。
サンドリンは、
クラブハウスの庭に入った瞬間、
あの娘のために
小さなプレゼントを
残したくなりました。
彼女は、慎重に周囲を見回すと
残雪が溶けてできた水たまりを
発見しました。
サンドリンは、
ゆっくりとした足取りで
そこへ近づきました。
握っているリボンの先には、
彼女の名前の頭文字が
丁寧に刺繍されていました。
サンドリンが、さっと手の力を抜くと、
リボンは、
水たまりの上に舞い降りました。
サンドリンのデビュタントの日、
ここは狩場だ。 勇敢な狩人が
立派な獲物を手に入れるものだと
母親は言いました。
当時は、あまりにも幼くて
分からなかったその言葉の意味を、
サンドリンは、もう完璧に
理解することができました。
彼の可哀想な女には
何の悪感情もないけれど、
同じ餌食を狙った戦いなら
話が少し変わりました。
庭を離れる前、サンドリンは、
もう一度自分が残したプレゼントを
確認しました。
泥水に浸ったピンク色のリボンは、
遠くからも一目で、
目を引きました。
神経に触った、その野暮ったい色が
初めてきれいに見えた瞬間でした。
女の勘は鋭い。
サンドリンの心配は
あながち間違っていないと思います。
ただ、バスティアンが
オデットに関心を持つのは、
彼女が美人だからという
理由だけではなく、
オデットが誇り高いけれども、
一本筋が通って、
心が擦れていないところに
惹かれているのではないかと思います。
サンドリンでさえ、オデットのことを
あんなにすごい美人と
言っているということは、
オデットは誰もが認める
相当な美人ということなのでしょう。
ディセン公爵が、「問題な王子様」の
エルナの父親ウォルターと同じくらい
貪欲だったら
さっさとオデットをお金持ちの家に
嫁がせていたでしょうけれど、
ディセン公爵は努力することが嫌いで、
楽してお金を稼ぐことしか
考えていなさそうなので、
そんなことは
思いもつかなかったのではないかと
思います。
お金はあるけれど、
とんでもない男と結婚させられるよりは
その方が、オデットにとって
幸せだったかもしれません。
クロディーヌのいとこは
リエットのことだと思います。
リエットはマティアスと
母方のいとこ同士なので、
クロディーヌは、リエットと
父方のいとこ同士ではないかと
推測されます。