8話 いよいよ即位式です。
◇100人の味方の血◇
即位式の日
皇帝の礼服を着たラティルは
鏡の前に立ち
感慨に浸っていました。
嬉しくもあり、悲しくもあり
胸がいっぱいで、
恐ろしくもありました。
ラティルは
6年前、カリセンの皇后に
なりたがっていたのを
覚えているかと
乳母に尋ねました。
もちろん、覚えていると言って
乳母は嬉しそうに
ラティルを見ました。
彼女の目に涙が流れました。
喜ばしい日に泣くなんて。
と言いながら
ラティルは乳母を抱きしめました。
乳母は皇后陛下が
ラティルの姿を
見られれば良かったのにと
言ったので
ラティルは、
知らない人が聞いたら誤解する。
母親は元気だから見せればいいと
言いました。
乳母はラティルの母親が
即位式に来られないことを
残念がっていました。
ラティルは、
即位式の服に似たような物を作って
見せればいいと言いました。
乳母は、ラティルが皇帝になれば
もっと忙しくなるし
行動一つ一つに制約が伴うので
遠い神殿へ行けないのではと
心配しました。
それでもラティルは
一度は行かなければと言いました。
けれども、心の中では、
直接母親に来てもらいたいと
思っていました。
昔は自分より大きかった乳母が
今はラティルの懐の中に
すっぽり入るようになったので
彼女は胸がいっぱいになりました。
そして、乳母がいつも
ラティルの手助けをしてくれることに
感謝しました。
ラティルが皇太女になった時
乳母がそばにいると
気が緩むという理由で
先帝は乳母を解雇してしまいました。
乳母は領地へ戻りましたが
そのおかげで
トゥーラが1年間宮殿を奪取しても
乳母は生き延びることができました。
今日は、感動しても
泣いてはいけない日なのに
泣いている乳母につられて
ラティルも涙がこぼれました。
ラティルは自分の頬を叩きました。
泣いてはいけない。
自分を助けてくれた人たち、
自分を疑っている人たち、
トゥーラ皇子を助けなかったけれど
心の中で彼を支持していた人たちに
誰が皇帝なのか、
自分がどれだけ威厳に満ちているか
見せなければならないと
ラティルは思いました。
準備を終えて出かけようとすると
サーナット騎士団長が
兄のレアンの訪問を告げました。
前皇太子が即位式に出るのは
良くないと言って
不参加を表明していましたが
突然、訪問してくれたことに
ラティルは気分が良くなりました。
気が変わったの?
やっぱり妹の素敵な姿を
見たくなったの?
とラティルは尋ねました。
レアンは浮かない顔をしていました。
ラティルはレアンを心配しました。
彼は、
ラティルを
残念がらせないために来た。
そして、言いたいことがある。
公式的な訪問ではないので
すぐに帰ると言いました。
レアンは
トゥーラを処刑する必要があったのか。
私たちは仲が良くなかったし
彼が宮殿を奪取したことで
さらに関係が悪化したけれど
私たちは血がつながっている兄弟だ。
と言いました。
わかっている。
と言うラティルに、レアンは
それなのに
血を見る必要があったのか。
過度に血を見るのは良くない。
執権初期には慈悲に満ちた姿を
見せる必要がある。
と話しました。
ラティルは
お兄様は正統な皇太子だったから
反対勢力はほとんどいなかった。
私は皇太女の時代、
いつも他の兄弟姉妹と比較されていた。
私より、
適任者を探している貴族が数百人いた、
私は慈悲深い姿を
見せている場合ではなかった。
断固とした姿勢が必要だった。
と反論しました。
そして、彼の耳元で
私は100人の味方の血を見るより
1000人の敵の血を見る方が
良いと思う。
と囁きました。
ラティルは
恐ろしいことを言ったのとは裏腹に
ニコニコ笑っていました。
彼女の意見に同意しないレアンは
額に手を当てました。
しかし、彼はそれ以上
ラティルに何も言いませんでした。
皇帝になるのは妹で
苦難を乗り越えたのも妹。
自分が恐れて、行けなかった道を
歩もうとする妹に必要なのは
小言ではなく信頼でした。
レアンはラティルを抱きしめました。
◇即位式◇
レアンが帰った後
ラティルは大宴会場へ行きました。
中央には赤いじゅうたんが敷かれていて
その周囲にあらゆる官吏や貴族たちが
集まっていました。
一方、大神殿から来た神官たちは
皇冠を囲んで
ひそひそ話をしていました。
ラティルはその光景を眺めなら
軽く笑いました。
不思議なことに
緊張感がなくなりました。
大きな太鼓とラッパの音と共に
ラティルが姿を現すと
四方が静かになりました。
人々は両脇に下がりました。
ラティルは笑顔を浮かべたまま
赤いじゅうたんの先に置かれた
皇冠に向かって歩いて行きました。
ラティルは皇冠の前に近づき、
立ち止まると
神官は皇冠を持ち上げ
ラティルに渡しました。
ラティルは皇冠を頭の上に乗せて
小さな段を上がりました。
皇冠が斜めになったらどうしよう、
カッコ悪いと、
乳母に話していた皇女は
いませんでした。
私は皇帝だ。
ラティルは、充足感に満たされ
低い位置に立っている
貴族と大臣たちを
ざっと見回しました。
彼らは片膝をつき
忠誠の印に頭を下げました。
全員が頭を下げた瞬間
ラティルは脊椎を貫通する
喜びを感じました。
◇御前会議◇
タリウムの慣例に従い
ラティルは
即位式を終えたその日の夕方
最初の御前会議を主催しました。
初めての会議なので
細かいことを指摘するよりも
全体的に
自分がどのような統治をするのか
国政運営の全般的な方向を
提示する場でした。
通常、この時に
上級官吏を新しい皇帝側の人間と
交替することになっていましたが
ラティルは、トゥーラに加担して
空席になった席のみ、
新しい人を入れて
それ以外は、父の時と同じにしました。
メロシーの領地で過ごした日々を除き
ラティルが皇太女として生活したのは
わずか2年なので
その間に自分の側の人たちを
作るのは難しかったのと
親皇帝派の大多数が
アトラクシー公爵に従って
ラティルに味方してくれたので
あえて交替する理由は
ありませんでした。
そして、父の側近たちは
まだ盛んに活動する年齢だったので
既存の優れた経歴者を維持しながら
ゆっくりと自分のやり方に
合わせていくことが
ラティルの計画でした。
当然、反発もなく、
御前会議はスムーズに
流れて行きましたが
ラティルの配偶者と後継者について
話が出始めると
雰囲気が少しずつ変わって行きました。
大臣たちの意見が衝突し始め
穏やかだったラティルの表情が
硬くなりました。
皇帝にとって
後継者は重要だけれど
ラティルは、
彼らの間に流れる雰囲気に
気分を害しました。
先皇帝と違い
陛下は皇配一人だけしか持てない。
陛下の健康のためにも
後継者を作ることを最優先にすべきだ。
早急に皇配を迎え入れることに
尽力してください。
ラティルは彼らの言葉を聞きながら
首を傾げました。
早く後継者を
作らなければならないという言葉自体は
聞き流すことができました。
皇帝の家庭の事情は
個人の問題ではなく
歴代皇帝の御前会議でも
取り上げられてきましたが
ラティルが側室を持たないこと、
一人だけの皇配を持つことを前提に
彼らが話していることに
ラティルは気分を害しました。
ラティルは
ハーレムを作るために
皇帝になろうとしたわけではなく
ハーレムを作ることを
期待してもいませんでした。
皇太女になってから
休む間もなく走って来たので
初めから、そんなことを
考えもしませんでした。
ヒュアツィンテのことを
思い出さないようにするだけでも
手一杯だったのに
皇帝になれるかなれないかの問題が
目の前にあり
ハーレムのことを考える
精神的余裕がありませんでした。
けれども、
大臣たちの話を聞いているうちに
ラティルは意地を張りました。
彼女は、皇太女の時代に
歴代御前会議の記録を
何十回と読みました。
初日の御前会議に関しては
ほとんど丸暗記していました。
御前会議では
皇后と後継者について催促され
側室の話は
それよりも多く出ていました。
けれども、ラティルが
皇配一人だけを持ち
側室を持たないことを当然だと
大臣たちが考えているので
ラティルはハーレムを
作りたくなりました。
ラティルは
レアンに話したように
強い君主になるつもりでした。
何気なく自分を
レアンやトゥーラ、他の皇族たちと
比べている彼らに
振り回される気はありませんでした。
ラティルは
今すぐ皇配を
迎えるつもりはなかったので
ハーレムを作ってもいいかもしれない、
できないことはないと
思いました。
その1つ目の理由として
ラティルは、まだ
ヒュアツィンテの衝撃から
完全に抜け出せていませんでした。
忙しさのせいで
彼のことを忘れられたけれど
夫と聞くや否や
ヒュアツィンテと彼の与えた痛みが
思い浮かびました。
この状況で本物の夫を
迎えたくありませんでした。
2つ目の理由として
自分の基盤をしっかり整える前に
皇配に権力が分散されるのも嫌でした。
けれども、誰も迎えなければ
国政を率いるどころか
毎日のように
後継者の話が出る。
ハーレムを作って
側室を何人か入れれば
彼らが後継者問題の
防波堤になると思いました。
考え終えたラティルは
かすかに笑いながら
そなたらの言葉を
よくよく考えてみた。
と口を開きました。
彼女が話し出すと
周りが静まり返ったので
ラティルは快感を覚えました。
この感じを受けたくて
ヒュアツィンテは
自分を捨てたのかと思いました。
ラティルは、
大臣たちの言葉は正しいし
理解していると話すと
アトラクシー公爵の口元に
かすかに笑みが浮かびました。
ラティルを支持し
皇帝の功臣として
確実に位置づけられた彼は、
ラティルの口から
ラナムンの名前が出てくると
考えていました。
他の大臣たちも
家柄や外観など、客観的に見ても
ラナムンが有力な皇配候補だと
言及していました。
けれども、ラティルは
アトラクシー公爵には
少し申し訳ない。
たくさん助けてもらったけれど
まず、側室を置くことにした。
と言いました。
ラティルがレアンの耳元で囁いた
私は100人の味方の血より・・の言葉。
マンガでは、
100人の味方より・・・
と血が抜けていたので
最初にマンガを読んだ時は
意味がよくわからなかったのですが
ラティルは
100人の味方の血を流させないためなら
千人の敵の血を流すという意味で
言ったのだと理解しました。
そして、ラティルは
大臣たちの言葉に触発されただけで
ハーレムを作ろうとしたのではなく
きちんと考えた上で決めたことも
理解できました。
ラティルが本物の夫を持てるように
早くヒュアツィンテのことを
忘れられるようになって欲しいです。