16話 オデットはポロの競技場にやって来ました。
早過ぎず遅すぎず、オデットは、
謙虚な客たちが好む
多くの人々の中に埋もれるのに
適した時に登場しました。
残念ながら、
高い人気を博しているオデットには
そのような幸運は
与えられませんでしたが。
しっかり待ち構えていた
エラ・フォン・クラインは、
慌ててレセプション会場の入り口に
駆けつけると、先に乞食姫を捕まえて、
あの夜、舞踏会で自分たちは
少し挨拶を交わしたけれど、
自分のことを覚えているかと
尋ねました。
しばらく考え込んでいたオデットは
口元に薄っすら笑みを浮かべながら
クライン伯爵家の娘さんで、
フランツ・クラウヴィッツ氏の
婚約者だと記憶しているけれど
間違っていないかと尋ねました。
エラは、
色々な面で慌しかったはずなのに、
こんなに正確に覚えていてくれるなんて
本当に親切だと、意図的に声を上げて
感嘆しました。
そして、自分の仲間がいる方へ
オデットを案内しました。
幸いなことに、今日、オデットは
あの気難しい老婦人と
一緒ではなかったので、
より容易に話題の主人公を
占有することができました。
オデットは噂通りの人では
ありませんでした。
崖っぷちまで追い込まれた境遇とは
思えないほど孤高でしたが、
そのような姿が、特に生意気に
感じられませんでした。
オデットは、
主に傾聴する方でしたが、
必要な時が来れば、礼儀正しく
優しい態度で会話に臨みました。
模範的な淑女の
標本のような姿でした。
探り合いが終わる頃、
一歩、下がった所で様子を窺っていた
ブラント伯爵家の令嬢は、
冬が戻って来たようで
心配していたけれど、
天気がまた良くなって本当に良かったと
初めて口を開きました。
そして、ゆっくりと立ち上がった
クロディーヌ・フォン・ブラントは
本当にきれいなドレスだ。
よく似合っていると言って
オデットの前に近づきました。
エラは、一歩下がって
二人の淑女の間の雰囲気を見ました。
オデットのドレスを
吟味したクロディーヌは
ライネの服みたいだ。
自分もその洋装店が大好きだ。
シフォンとシルクを
きちんと扱う方法を知っている
裁縫職人がいる所だと
とんでもないことを言い出しました。
生まれて初めて聞いた名前に
当惑したエラは、
目を丸くして周囲を見回しました。
他の女性たちの表情も
それほど変わりませんでした。
まさか罠を仕掛けたのか。
クロディーヌの顔色を窺っていた
エラの目が、
期待感で輝き始めました。
普通の平民にも劣るという
貧乏人の淑女が、
高級洋装店のオーダーメイドの服を
持っているはずがありませんでした。
今日、着ているドレスは、
確かに腕の良い裁縫職人の
作品のようでしたが、よく見てみると
少し手を加えた部分が目につきました。
オデットのために
作られた服ではないという証拠でした。
誰かが、
皇帝もあんまりだ。
皇女を守るチェスなのだから
使えそうな服を何着か用意してくれても
良かったのにと言うと、エラは
あまりにも急に決まった縁談なので、
時間的な余裕がなかったのだろう。
人気の高い洋装店は、
少なくとも二シーズン前には
予約しておくべきだからと
クラウヴィッツ家の体面を考えて
オデットを庇いました。
しかし、いくら鼻っ柱の高い洋装店でも
あえて皇命に逆らうことは
できないということ、そして、
十分に助けられたにもかかわらず
皇室が介入しなかったのは、
それだけの価値がないと
判断したからだということを
エラもよく知っていました。
ほどなくしてオデットは
クロディーヌが褒めてくれたことに
お礼を言いました。
必死で笑いを堪えながら
ひそひそ話していた淑女たちの関心は、
再び試練を受ける可哀想な淑女に
向けられました。
むやみに相槌を打ったら、
大恥をかくことになるだろう。
だからといって、自分の無知と
貧しさをさらけ出すことも、
品格が欠けるのは同じ。
どんな返事をしても、
笑いものになる身の上を免れることは
難しそうでした。
ところがオデットは、
まだ服に対する眼識と好みが未熟で、
シャペロンの助けを受けている。
幸い伯爵夫人の姪の体型が
似ているおかげで、
色々な洋装店の服を
あらかじめ着てみる幸運を
享受しているところだ。
令嬢が教えてくれた名前の
優先順位を高くして
悩んで行こうと思うと
ニコニコしながら、
ずうずうしい言葉を並べ立てました。
無駄な虚勢を張っているようでしたが
考えてみると、
嘘だと見なすのは難しい言葉でした。
どちらの勝利なのか
判定すべきか分からず、
困った淑女たちが顔色を窺っている間に
陸軍省の将校たちが登場しました。
もうすぐ始まる試合に臨む準備を
終えた様子でした。
いとこを見つけたクロディーヌは、
自然に笑みを浮かべながら、
そろそろ行かなければならないと
別れを告げました。
先程の会話は、
もうすっかり忘れたような
顔をしていました。
クロディーヌは、
オデットの横を通りながら、
また近いうちに会おうと、
かなり好意的な挨拶をしました。
ところが、
突然、首を回したかと思うと、
クロディーヌは妙な笑みを浮かべながら
それはサビネ洋装店の服だ。
名前を間違ってしまった。
どうか広い心で理解して欲しいと
付け加えました。
オデットは、
間違いなく覚えておくと
返事をしました。
故意的なミスであることは
明らかでしたが、オデットは
何の素振りも見せませんでした。
ニッコリ笑ったブラント家の令嬢は、
すぐに陸軍チームのテントの下へ
去って行きました。
冷たいレモン水で唇を潤している間に
「フランツ!」と
嬉しそうな声が聞こえて来ました。
エラの婚約者が
ちょうど到着したところでした。
どうしてこんなに遅れたのか。
そろそろ寂しくなるところだったと
言って、婚約者の腕にしがみついて
甘える若い娘の顔は、
隠すことのできない喜びで
上気していました。
適当に返事をした
フランツ・クラウヴィツは、
上品な笑みを浮かべた顔で
婚約者の友人たちと
挨拶を交わしました。
濃い茶色の縮れた髪と
憂鬱そうな灰色の瞳を持つ男は、
事業家の後継者というより
鋭敏な芸術家のように見えました。
父親が同じだなんて、
とても信じられませんでした。
最後に
オデットと挨拶を交わす番になると
フランツの顔色が
目に見えて暗くなりました。
長い間、つま先を見下ろしていた
フランツは、会えて光栄だと
ややぎこちない挨拶をしました。
冷たくて湿った霧が
かかっているような気がする視線が
不快でしたが、オデットは
そんな素振りを見せませんでした。
オデットが、
礼儀正しい挨拶で返事をしたのと同時に
海軍省の選手たちが
競技場に入場して来ました。
そのおかげで苦境を免れたオデットは、
日差しが降り注ぐ
芝生の向こうを眺めました。
とても大きくて壮健で
すらりとした若い将校たちは、
彼らが操る動物に
似ている印象を与えました。
誰よりも
バスティアンがそうでした。
試合を共にする馬の状態を
点検した彼らは、
レセプションの場所に近づきました。
オデットは、
静かなため息をつきながら
首と腰をまっすぐにしました。
テントの下にじっと留まっていても
息が切れるのは、胸を締め付けた
コルセットのせいのようでした。
体に合わない服を着るためには
避けられない選択でした。
テントの下に入ったバスティアンは、
当然のようにオデットに近づきました。
目が合うと彼は、
正午の日差しに似た微笑を
浮かべました。
軍神のように美しい男。
サンドリンは、そのような理由で
まるで今のように、
また憎みました。
バスティアンは、
皇帝に抱え込まされた嫁と一緒に
レセプションを楽しんでいました。
本当の恋人といっても信じられるほど
優しい姿でした。
純真無垢な顔をした若い婦人が
どうやら、
今年中に結婚式を挙げるような
雰囲気ではないかと、生半可に
サンドリンを挑発しました。
彼女は快く頷いて
明るい笑みを浮かべました。
そして、
そうできればいい。
次の赴任先に向かう前に
良い妻を手に入れられれば
バスティアンの生活は、
ずっと安定するだろうと
返事をしました。
婦人は、
そんな思慮深く考えられるなんて、
やはりサンドリンは本当に優しいと
褒めました。
サンドリンは、
友情を深め合った友人として、
当然、持つべき気持ちだと
明らかな嘘をつく瞬間にも、
一様に大胆でした。
おかげで先に爪を立てた方が
かえって困ってしまいました。
これ以上、この話を続けても
得になることはないと判断したのか
婦人は、
夫と幼い子供を自慢する、
社交界の若い婦人たちが
愛してやまない種類のおしゃべりに
慌てて話題を変えました。
おかげで会話から抜け出せた
サンドリンは、
再び二人を見守ることに熱中しました。
このような災いを招いたイザベル皇女を
火刑台に立たせたい気分になる瞬間にも
彼女の微笑は変わらず穏やかでした。
実際、
あの男が欲しくて狂いそうな気持ちを
この世の誰よりもよく知っているので
皇女のことを、
全く理解していなかったわけでは
ありませんでした。
ただ、サンドリンは、
そんなことをするほど
愚かではありませんでした。
それで幸いであり、
また不幸でもありました。
結婚さえしていなければ。
ふと夫の顔が浮かび上がると、
長いため息が洩れました。
男色に狂っているラナト伯爵は
最悪の夫でしたが、だからといって
ひたすら、
憎むわけにはいきませんでした。
おかげで弱みを握って
堂々と離婚を要求することができ、
そのような欠陥があるせいで、
持つことができるように
なったからでした。
そんなことを考えると、
サンドリンは、あの馬鹿を
許すことができました。
慰謝料を少しでも減らすために
離婚訴訟を遅々として進めている
みみっちい姿まで耐えるのは
無理でしたが。
彼を見つめ続けて
どれくらい経っただろうか。
やがてバスティアンが
サンドリンの方を向きました。
その顔に向き合うと、
サンドリンの憎しみは
再び愛になりました。
プライドが傷ついても
仕方のないことでした。
サンドリンは待合室の方向へ
目配せしました。
バスティアンが
その意味を正確に理解したことは
疑いの余地がありませんでした
サンドリンは少し席を外すために
片手に持っていた
シェリー酒をこぼすという
適当な言い訳を作りました。
そして、見せかけだけ
心配そうな顔をした淑女たちを
宥めたサンドリンは、
急いでレセプション会場を離れました。
涼しい建物の中の
廊下の突き当たりに立つと、
心臓が、
破裂しそうにドキドキしました。
あの男はきっと来てくれるだろうと
サンドリンは少しも疑わなかったし
その信頼は、
すぐに現実になりました。
廊下の向こうから
規則正しい足音が聞こえ始めました。
逆光のせいで
顔を確認できませんでしたが、
それでもサンドリンは一目で
バスティアンを
見分けることができました。
やがて角を曲がった
バスティアンに向かって
サンドリンは柔らかい声で
自分に
話したいことがあるのではないかと
尋ねました。
そして、自分には
聞かなければならないことがあると
告げたサンドリンは、
バスティアンの前に近づきました。
その恐ろしい美しい男は、
恥知らずにも平気で笑っていました。
「泣いてみろ乞うてもいい」の
クロディーヌ登場!
見事に、
ブレることのない意地悪さを
発揮してくれました。
クロディーヌは皇女に勝って
マティアスを手に入れたのだから
皇室を追放された皇女と
落ちぶれた公爵家の娘のことなど
無視すればいいのに、
身分的にはオデットの方が上だし、
自分を差し置いて
社交界の注目となっているオデットが
気になって、つい、彼女を
いじめたくなったのではないかと
思いました。
きっとオデットもレイラのように
馬鹿にすることができると
思っていたのでしょうけれど、
ヘレネから受け継いだ
皇室仕込みの礼儀作法や
オデット自身の機知に負けてしまい
悔しい思いをしたと思います。
サンドリンは、本当に
バスティアンのことが好きなのですね。
男色の男性と結婚したことは
お気の毒様でした。