
116話 ローラはローティス嬢とハイド嬢の部屋に泊まらせてもらうことになりました。
翌日、ローラは、
2人の女性と朝食を共にしました。
そしてローティス嬢が、
新聞を読みながら
葉巻を燻らせている間、
ローラはハイド嬢に連れられて、
2人の淑女が使っている部屋を
見学しました。
ローティス嬢の部屋のドアは
観音開きになっていて、
金色のノブを握って押すと、
暗い色調で満たされた
部屋の風景が現れました。
赤いダマスク織の布と
黒いベルベットで飾られた
大きなベッドと銅の燭台。
最高級のオーク材で作られた机。
壁一面に掛けられた浮世絵の版画。
神秘的な風景に感嘆しながら
部屋を見回していたローラの視線が
一点で止まりました。
そして、決して小さくない悲鳴を
上げました。
ペンドルトン嬢が何に驚いたのかに
気づいたハイド嬢は、
あらかじめ伝えておきべきだったと
急いで謝罪しました。
しかし、ローラは、
返事をする余裕がありませんでした。
恐怖に震え、舌が根元まで
固まってしまったからでした。
ベランダに通じる大きなガラスドアに
カーテンの代わりに、
大きなオスライオンの皮が
掛けられていました。
四本の足を左右に大きく広げ、
口を大きく開けたままでした。
たてがみは、
生きている動物のそれのように光り輝き
牙は、仕留めたばかりの鹿の息の根を
今にも止めようとばかりに、
鋭くギラギラしていました。
ローラは動揺しながら
あれは偽物ですよね?そうですよね?
と確認しました。
しかし、ハイド嬢は、
本物だ。 ローティス嬢自ら
アフリカで狩りをして、
皮を剥いだと答えました。
ローラは、
「自ら、狩りを?」と
聞き返しました。
ハイド嬢は「はい」と答え、
ローティス嬢が名射手で、
特に巨大な動物を狩るのに
長けていること。
水牛やヒョウ、ゾウなど、
捕まえたことのない動物は
いないらしいということ。
全て、自分自身で皮を剥いだのは
言うまでもないけれど、
それら全てを持って旅行するのは
無理なので、一番大切にしている
ライオンの皮以外は、
全て周囲の人々にプレゼントしたことを
説明しました。
想像し難いことでした。
ローティス嬢は小柄で
片足も引きずっていました。
そんな女性が
水牛を捕まえたというのか。
ハイド嬢はローラの手を引いて
ライオンの皮の方へ
歩いて行きました。
そして手を伸ばして、
まるで大切にしている
シェパードのように
頭を撫でました。
そして、ローラに、
怖がることはない。
見ての通り、完全に死んでいると
話しました。
確かにライオンは、ハイド嬢の手に
全く反応しませんでした。
しかし、ローラにとって、
死んでいるか、生きているかは
重要ではありませんでした。
ローラは幼い頃からずっと
大きな動物を怖がっていました。
女性たちの一般的な趣味である
乗馬を習えなかったのも
そのためでした。
ああ、自分も
ライオンを捕まえてみたい・・・と
ローラが決して共感できない願いを
ハイド嬢が呟きました。
そういえばハイド嬢は
乗馬の腕前が一流でした。
キツネ狩りの季節には
時々銃を持って彼女の兄に付き添い
狩猟地を
駆け回ったこともありました。
その姿にフェアファクス氏が惚れ込み
数ヶ月間、彼女の後を
付いて回ったこともありました。
ローラは、
ローティス嬢が、
またアフリカへ行く予定はないのか。
きっとハイド嬢を、
ライオンのいる場所まで
案内してくれると思うと言いました。
ハイド嬢は、
アフリカには、
とても長い間、滞在していたので
もう行かないだろう。
おそらく次の行き先は日本だろうと
かなりの期待感が混じった声で
答えました。
ローラは、
ハイド嬢も一緒に行くのかと
尋ねました。
彼女は、
ローティス嬢が
自分を解雇しない限りはと答えました。
次に2人は、
ハイド嬢の部屋を見学しました。
ローティス嬢の部屋に劣らず、
広くて趣がありました。
部屋を見回していたローラは、
ふと机の上に散らばっている
紙の束を見つけました。
インクの跡が乱雑な紙の上に、
ハイド嬢特有の活気あふれる文字が
びっしりと書かれていました。
ローラの視線が紙に触れたことに
気づいたハイド嬢は、
急いで机とローラの間に
立ちはだかりました。
ローラは
「日記ですか?」と尋ねました。
ハイド嬢は真っ赤な顔で
首を振りながら、
小説だと躊躇いがちに答えました。
驚いたローラは、
小説を書いているのかと尋ねました。
ハイド嬢は、
実は下宿を始めた時から、
少しずつ書き始めていた。
本格的な作業は、
ここへ来てから始めたと答えました。
ローラは、
読んでみてもいいかと
尋ねましたが、
ハイド嬢は激しく首を振り、
後ほど、もう少し完成した時に、
見せると答えると、机の方を向き
急いで原稿を片づけ始めました。
ローラは、
これ以上お願いしませんでした。
ハイド嬢の耳が、
熱くなった石炭のように
真っ赤になったからでした。
ローラは、
彼女が原稿を片づけている間、
部屋の中を
ゆっくりと見回しながら
物思いに耽りました。
彼女は、数ヶ月前に世話になった
ハイド嬢の下宿を思い出しました。
そこは実用的で清潔で、
女性が1人で住むのに、
申し分ありませんでしたが、
今、滞在している
ホテルの部屋と比べると
見劣りするレベルでした。
ハイド嬢は勇気を出して、
タウンハウスの窮屈な部屋から
脱出しました。
そして、ベッドタウンの女性用下宿を
通り過ぎ、
このように美しいホテルの客室に
滞在していました。
そして部屋が変わる度に、
望む仕事に、さらに近づきました。
ハイド嬢の着実な成長に
ローラは感動しました。
出発地点で
自分の助けがあったのは事実だけれど
決断して実行したのは
ハイド嬢でした。
ローラは、彼女の成長が
今まさに始まったばかりだと
考えました。
ローラは、
かつてハイド嬢が川に投げた
水切り石のように、彼女が
遠く遠く水平線の向こうまで
伸びて行くだろうと思いました。

正午になると、女性たちは
フレンチレストランへ向かいました。
予約したテーブルは2人用でしたが、
1人多く座っても、
席が足りなくなることは
ありませんでした。
ウェイターは、
椅子をもう1つ持って来て、
ローラは自然に、
ハイド嬢とローティス嬢の間に
座りました。
注文した料理が出て来るのを
待っている間、ローラは、
ローティス嬢の部屋で
ライオンの皮を見て驚いた。
自分自身で捕まえたのかと
尋ねました。
杖を椅子の片隅に掛けて、
あらかじめ注文したワインを
ちびちび飲んでいたローティス嬢が
頷きました。
彼女は、アフリカへ行ってから
4年目の年に捕まえた。
心が乱れていたので
気分転換になったと答えました。
ローラは、
その頃に、何か嫌なことがあったのかと
尋ねました。
ローティス嬢はフフッと笑うと、
運営していたコーヒー農園で
火事が起きて、
土地を丸ごとダメにした直後だった。
完璧な破産だったと答えました。
ローラは驚いて
ハイド嬢を見つめました。
彼女は、すでにその話を知っているのか
苦笑いを浮かべながら、
最後まで聞くようにと
ローティス嬢の方へ
小さく顎を向けました。
ローティス嬢は、
自分が18歳の時に、
大叔母の単独相続人として
20万ポンドを受け取った。
周囲の人々は、自分がそのお金で
ロンドンの社交界に飛び込み、
夫候補を探し出すだろうと
信じて疑わなかった。
自分が杖をついて足を引きずりながら
アフリカへ向かう船に乗るとは
誰も想像できなかったと話しました。
しかし、ローティス嬢はそうしたと
ハイド嬢が合いの手を入れました。
ローティス嬢は、
自分は、そうした。
そこでコーヒー農業を行い、
農閑期には、
イギリスの可愛らしい狩猟地ではなく
本物の野生で獣を撃った。
あの時ほど、生きていると
感じたことはなかった。
もし足を言い訳にして、
農場にだけ、こもっていたら、
破産後に廃人になっていただろう。
自分は宿に、
自ら捕まえた獣の皮を掛けて
暮らしていた。
それらを見ると、
自分の力を信じることができた。
自分は農夫としては失敗したけれど
人生が失敗したわけではない。
それで文章を書き始めた。
最初は、
コーヒーの栽培方法などについて
書いたけれど、つまらない出来栄えで
出版社にも断られた。
しかし、アフリカを旅しながら
経験した話をまとめた旅行記は
受け入れられ、出版と同時に
イギリスでベストセラーになったと
淡々と話しました。
ローラは感嘆しました。
彼女はローティス嬢の話に驚き
それで、その後、彼女が
完全に旅行作家になることを
決心したのかと尋ねました。
ローティス嬢は、
「そうです」と答えると、
エジプト、インド、清国などを
旅しながら休まずに文章を書いた。
馬車の中や船の上、
時にはラクダの上で。
農作業を失敗したことは
自分にとって幸運だった。
アフリカは魅力的な土地だけれど
農夫は旅行作家ほど自由ではない。
アフリカへ旅立つ際に
漠然と期待していた風のような人生を
旅行作家になって
ようやく手に入れたと話しました。
注文していた貝柱料理と
仔牛のグリル、
エビ料理が出て来ました。
ローラは食事をしながらも、
料理の味を感じることが
できませんでした。
先ほど聞いた驚くべき冒険の話に
頭が真っ白になり、味覚さえも
鈍くなってしまったのでした。
ハイド嬢はローラに
味が今一つかと尋ねました。
ローラは首を振り、
再びローティス嬢に視線を移すと
彼女が素晴らしい人生を送ったことを
称賛しました。
ローティス嬢は、
何度も死にかけたので、
危険な人生だったと話しました。
ローラは、
死にかけた理由について尋ねました。
ローティス嬢は、
台風で船が沈没しかけたこともあれば
エジプトで、
盗賊団に遭遇したこともある。
清国は、
フランスとの戦争直後だったせいか、
西洋人と言えば
無条件に命を奪おうとした。
だから、旅行中ずっと
銃を携帯していた。
寝ている時でさえもと答えると
フフッと笑いました。
そして、
イギリスは生存のために
銃を所持する必要がない点が良い。
その他は、他の国に比べて
あまり利点のない場所だけれどと
話すと、
その後は食事に集中しました。
注文した子牛肉が
とても口に合っているようでした。
ローラは、
彼女の食事を邪魔したくなくて、
自分のエビ料理に集中しました。
食事が終わると、ローラは
レストランの前で
彼女たちと別れました。
ローティス嬢は、2時に
バースに滞在している出版業者と
お茶を飲む約束をしていて、
秘書のハイド嬢も
同席しなければなりませんでした。
2人は貸切馬車に乗りました。
馬車の座席に座り、
不良っぽくも魅力的な角度で
馬車の窓に腕をかけたローティス嬢は
ペンドルトン嬢に微笑みかけながら
バースを十分に楽しんでと
告げました。
ローティス嬢の隣に座っている
ハイド嬢も、窓の方へ顔を近づけると
ここには、人が望む全てのものが
揃っていると話しました。
ローラはニッコリ笑うと、
本当に、ここは天国のようだ。
自分がいつも望んでいた
平和と安定感もあるのだろうかと
尋ねました。
ハイド嬢は、
「よく探せばね」と答えました。
馬車はペンドルトン嬢から
遠ざかって行きました。
ローラは散歩のために
バースの街を歩き始めました。
16世紀風の大理石の建築物と
交差点の中心に立つ噴水。
絵画のように美しく商品を陳列した
ショーウィンドウ。
流行に忠実におしゃれをしている
紳士淑女たち。
ローラは、その間を歩きながら、
確かにバースは、
人の魂を奪う街だと思いました。
しかしローラは、
ロンドンの社交界でそうであったように
自分が水面に浮かぶ油のようだという
感覚を拭いきれませんでした。
平和と安定感。
そのようなものは、
この高級リゾート都市にはないと
思われました。
ダンビルパークや、
ホワイトフィールドの森の中なら
まだしも。
ローラの頭の中は、
興味のない街の風景から離れ、
先ほどの昼食を思い出しました。
ローラは、
ローティス嬢のような女性に
会ったことがありませんでした。
あれほど勇敢で
進取的な女性だなんて。
胸に炎を宿して生まれたに
違いありませんでした。
メアリー・ローティス嬢は、
女性の可能性を広げ、
人生にインスピレーションを与える
非凡な運命を持って生まれた人でした。
自分とは違ってね。
ローラは、特に自責の念もなく
淡々とした気持ちで考えました。

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フェアファクス氏は、
ハイド嬢の男勝りな性格に
惚れたのですね。
でも、自分も
ライオンを狩ってみたいと思う
ハイド嬢が、親の期待通りに
渋々、フェアファクス氏と
結婚したとしても、ハイド嬢が
普通の奥さんに収まったとは
思えません。
ローラが、
ハイド嬢がフェアファクス氏と
結婚したくない理由を察知し、
ハイド嬢の母親に恨まれても、
彼女に適切な助言をしたことは
ハイド嬢の輝かしい人生を開くための
大きな役割を果たしたと思います。
ローラは自責の念を抱くことなく
「自分とは違う」と思ったので、
まだ良いのですが、
ハイド嬢の可能性を広げる
きっかけを作ったのが、
自分であることに、
誇りを持ってもいいと思います。