344話 ラティルは妊娠したと嘘の発表をしました。
◇罪悪感◇
家族を欺くという罪悪感に
押し潰されそうになっていた
ラティルは、母親が近づいてくると
無理矢理、満面の笑みを浮かべ、
母親を呼びました。
その次の言葉が思い浮かばなくて
ラティルは両腕を広げて、
妊娠したと叫びました。
ラナムンと偽妊娠の話をする時は
恥ずかしくて気まずかったけれど、
母親が、とても驚いているので
ラティルは、より強く、
罪悪感を覚えました。
ラティルはお腹の上に手を乗せて
ぎこちなく笑うと、
ここ数日、
なぜか頭がずっとくらくらして、
調子が悪かったと言いました。
母親はラティルの手を握ったまま
立ち上がり、娘の頭を
ぎゅっと抱きしめました。
母親が手を放すと、
ラティルは再びぎこちなく笑い、
そんなに嬉しいのかと尋ねました。
母親は、嬉しいけれど、
あまりにも早く
妊娠したのではないかと思い
心配になると言いました。
ラティルは、
皇帝にしては早い方ではないと
言いましたが、母親は、
一年間は行動に制約が生じると
真剣に心配しました。
さらに罪悪感を覚えたラティルは
侍女たちを見ると、
彼女たちは、ここで歓声を
あげることはできないので、
静かに喜んでいました。
乳母は感動したのか、
小さな皇女様が、
いつの間にか大きくなってと
言って、目を真っ赤にして涙を流し、
侍従長も顔を真っ赤にして、
手を振っていました。
涙が出そうになるのを
我慢しているようでした。
これ程までに皆が喜んでいるので
ラティルはさらに罪悪感が強まり
わざとアトラクシー公爵と
ロルド宰相を見ました。
2人共、口が耳にかかるくらい
笑っていましたが、
随時、互いに相手を横目で見て
妙な表情をしていました。
何故かは分からないけれど、
2人とも自分が子供の祖父だと
確信しているようでした。
そしてラティルは、
応接室にいるのを見た
サーナット卿が、
この場にいないことに気づきました。
ここに入りにくかったのだろうか、
家族でいるべきだと
思ったのだろうか?
侍従長や侍女たちも
入って来ているのに、
色々な冗談を言って
からかってくる
サーナット卿が見えないので
少し心配していると、
侍女たちの一人が
恥ずかしそうに笑いながら、
どの側室が赤ちゃんの父親かと
尋ねました。
その質問が出るや否や、
皆、静かになりました。
皇配がいない今、
ラティルがあえて
子供をそばに置いて教育すると
宣言しない限り、
子供は父親の方で
養育することになりました。
皇帝の最初の子の父親は、
皇配になる確率が高くなり、
皇配にならなくても、
皇配さえ無視できない
権力を持ったも同然でした。
ロルド宰相とアトラクシー公爵は
緊張した面持ちで
ラティルを見ました。
子供の父親を正確に知るためには
日付と子供の顔、髪の色などを
よく調べる必要があるけれど、
それよりも、さらに比重が大きいのは
皇帝の宣言でした。
子供が人魚として生まれても
皇帝が、
ラナムンの子供だと宣言すれば
その子はラナムンの子供になりました。
皇室では、
子供が権力であり力なので、
子供が未来の皇帝になれなくても
自分の子供が多ければ多いほど良く
人魚が生まれても、
時期的に自分も父親になる可能性が
あると思ったら、側室も目をつぶり
自分の先祖の中にも人魚がいるので
その子は自分の子だと
言わなければならない状況でした。
ロルド宰相とアトラクシー公爵は
緊張して、ラティルの口だけを
眺めていました。
ラティルは、子供の父親を
ラナムンにしたことを
しばらく後悔しましたが、
彼に頼んでいたので
仕方がありませんでした。
ラティルは、
時期的にラナムンのようだと
答えると、
侍女たちは小さく悲鳴を上げ、
明るくなりました。
母親と乳母は、
子供の父親が誰なのかより
ラティルの体調が気になるようで、
あまり反応を示しませんでした。
ロルド宰相は、
天気が悪い日の雲に
首を絞められたような顔をしていたので
ラティルは申し訳ないと思いました。
◇父親たちの争い◇
本当に良かったと、
アトラクシー公爵が
ロルド宰相に告げると、
彼は「全然」と返事をしました。
アトラクシー公爵は、
ラナムンと皇帝はどちらも黒髪なので
赤ちゃんも黒髪になるだろうと言い、
その後、ロルド宰相に、
ラナムンの赤ちゃんの時に
会ったことがあるかと尋ねました。
ロルド宰相が曖昧な返事をすると、
アトラクシー公爵は、
ラナムンは今もハンサムだけれど
幼い頃もハンサムだったので
会えなくて残念だ。
赤ちゃんがラナムンに似ているなら、
歩く赤ちゃん天使だ。
どれだけきれいなことかと自慢すると
ロルド宰相は、
アトラクシー公爵の顔で
ラナムンの顔が生まれたように、
アトラクシー公爵の顔の子供が
生まれるかもしれないと
意地悪を言いました。
アトラクシー公爵は、
皇帝に似れば、陛下と先皇后が
とても可愛がってくれるだろうし
誰が見ても
皇帝の子という顔をしている赤ちゃんを
ラナムンが抱いていたら
絵になると言いました。
ロルド宰相は、
それは駄作だと悪口を浴びせましたが
アトラクシー公爵は
気分が浮わついていて、
何を言われても
気分が悪くなりませんでした。
一方、ロルド宰相は
アトラクシー公爵がそうするほど
さらに腹が立ち、
顔だけ偉そうなラナムンが
皇帝を虜にしたと思うと、
なおさら腹が立ちました。
ロルド宰相は、
ラナムンはバカだし、
性格も良くないし、
社交性もないので、
子供をきちんと育てることができない。
子供が泣いても、
あやすことができない。
半年くらい子供を育てていれば
ラナムンが良い父親になれないことを
皇帝も分かるだろう。
その時、皇帝は子供の養育を
誰に任せるだろうかと
皮肉を言いました。
アトラクシー公爵は腹を立てましたが
ロルド宰相の言葉は、
的を得ていました。
ラナムンは、とても美しいけれど
性格があまり良くなく、
子供の頃も、弟たちを嫌っていました。
実際、アトラクシー公爵も、
ラナムンが子供の世話をすることを
想像できませんでした。
ロルド宰相が言ったように、
ラティルが、
ラナムンの子供だと言っても、
後で、ラナムンは
実父ではないようだと言って、
子供をロルド宰相の息子に任せたり
ラナムンを実父だと言っても、
養育は他の側室に任せることも
ありました。
それは絶対にダメだと思った
アトラクシー公爵は、
慌ててハーレムに歩き始めました。
ところが、ロルド宰相に
なぜ、後を付いて来るのかと
文句を言われました。
アトラクシー公爵は、
自分の息子の所に行くと
反論しましたが、
ロルド宰相は「帰れ!」と
叫びました。
しかし、アトラクシー公爵は、
自分の息子には、良い知らせを
早く伝える必要があるけれど
ロルド宰相の息子には、
悪い知らせを
遅く伝えた方がいいと思うと
言い返したので、
ロルド宰相は激怒しました。
◇本当になったら◇
イーゼルの前で
湖の絵を描いていたラナムンは、
「誇れる我が息子!」と
廊下から聞こえてくる
父親の騒がしい声に眉をひそめました。
いくら父親でも、
外で大声で叫ばれると不愉快なので
ラナムンはカルドンに
早く中に連れてくるよう
目で合図をしました。
カルドンは急いで外に出て、
アトラクシー公爵を
部屋の中に連れて来ました。
彼の顔は思い切り上気していたので
ラナムンは、
酒でも飲んだのかと尋ねると、
アトラクシー公爵はカラカラ笑い
ラナムンの頭を撫でながら、
彼のことを立派だと褒め、
ラナムンは生まれた時から
本当にすごい人になると
思っていたと話しました。
ラナムンは、
どういう意味かと尋ねると、
その冷たい声にもかかわらず、
アトラクシー公爵はただただ喜び
皇帝が妊娠初期であることを
告げました。
ラナムンは、
今日が、その日なのかと思い、
淡々とした表情で頷きました。
アトラクシー公爵はにっこりと笑い
誰の子供だと思うかと尋ねたので
ラナムンは、微かに笑いながら
自分の子供だろうと答えました。
アトラクシー公爵は驚き、
なぜ、分かったのか。
皇帝が、そのように
話していたのかと尋ねると、
ラナムンは、
皇帝は自分とだけ過ごしたからだと
平然と答えました。
アトラクシー公爵は
胸がいっぱいになりました。
子供が生まれるまでは
確信し難いと思っていたけれど
ラナムンとだけ過ごしたのなら
100%ラナムンの子供で
間違いないと思いました。
ラナムンはどのように反応すれば
自然なのかと考えながら、
紙の上に筆をおくと、
父親が泣いているので
驚いて立ち上がりました。
ラナムンは
父親が泣いている理由を尋ねると、
アトラクシー公爵は、
自分が未来の皇帝の祖父になり
息子が皇帝の父親になることを
知らなかった。
こうなることが分かっていたら
ラナムンを遊ばせておくのではなく、
もう少し勉強させるべきだった。
自分はラナムンが、
遊んで食べて生きるだけだと
思っていたと言いました。
ラナムンは、
先ほどは、生まれてすぐに
すごい人になると思っていたと
言っていたのにと、思いました。
ラナムンは、本当に子供が
できたわけではないことを
知っているせいか、
すすり泣く父親を見ていると
妙な気分になりました。
そして、
これが本当になるかもしれないと思い
自分の広い部屋の中に
小さなゆりかごを置き、
そこに自分とラティルに
半分ずつ似ている子供が
横になっているのを
想像してみました。
皇帝は業務が終わるたびに
子供の面倒を見るために
訪ねて来るだろうし、
彼は皇帝に、国政を放り出して
子供だけを見に来てはいけないと
心配するふりをする。
皇帝が眠っている子供を眺めている間
カルドンは簡単なおやつを
用意してくれる。
ラナムンはラティルに
子供の日課を聞かせ、
夜になると皇帝は
再び彼を訪ねてくる。
彼は皇帝の疲れた一日を慰める。
ラナムンは考えただけで
胸がいっぱいになり、
かすかに微笑みました。
アトラクシー公爵は、
そんなラナムンを
誇らしげに眺めていましたが、
ロルド宰相に、
ラナムンが子育てをしているのを
皇帝が見れば、
子どもを連れ戻すと言われたので
今からでも育児の練習をしようと
真剣に助言しました。
ラナムンは眉間を少ししかめ、
この状況にどう反応すべきか
悩みましたが、父親が
ロルド宰相の話を持ち出したので、
彼もこのことを知っているのかと
尋ねると、アトラクシー公爵は
口元を満足そうに上げて、
知っている。
今頃、息子を抱きしめて
泣いているはずだと答えました。
◇夢◇
ロルド宰相は、ゲスターに
皇帝は何か勘違いしている。
数日前、ゲスターの母親が
懐妊の兆しになる夢を見たので
きっとあの子はゲスターの子供だと
確信していると告げました。
乳母は、嘘の妊娠だと
知っているはずなのに、
涙まで流すなんて、
演技がうまいのではなく、
周りの人たちが
感動しているのにつられて
本当のことだと
勘違いしたのでしょうか?
母親は、
ラティルがサディに化けていたのを
見破ったように、
妊娠も嘘だと気付いていたら
面白い展開になりそうです。
相手を徹底的にけなす
アトラクシー公爵とロルド宰相の
言い争いには辟易としますが、
どちらも、自分の家門から
皇帝を出したいと思っているので
必死になるのも分かります。
自分を守るための嘘で
忠臣まで翻弄するラティルは
罪づくりだと思います。
そんな中、ラナムンが
ラティルとの間に
本当に子供が生まれた時のことを
想像するシーンは
彼が、ただの冷たい人間では
ないことを感じさせてくれました。
ラナムンも、
ラティルの側室になり
様々なことを経験していく中で
変っていった一人なのだと
思います。